第4話 川
部屋の外で水滴の音階が不規則な楽曲を奏でる。タパパ、パパ。ザザ、ザザザ。不協和音な窓に打ち付けられる音が楽しい。
台風が直撃したことで学校は休校になり、家で暇を持て余していた。
だが、こんな天気も嫌いじゃない。雨が全てを流して、消してしまうような気がするから。
雨が人間の汚いものを洗い流してくれればいいのにと私は思った。そうすれば、人間の心なんて消えてしまうから。
外には出たくない。体が濡れるのを本能的に拒絶するから。けれども気づいてしまった。食料の備蓄が殆どないことに。
私は頭を抱えた。こんな時に店に食べ物が残ってるはずがない。しかし、飢えるのはなんとしても避けたい。
意を決して雨風が吹き荒れる外に出た。先程とは違い、天気は私に牙を向ける。安物の傘を風に煽られないように上手く使い、近所にあるスーパーマーケットまで出かける。
道の途中で川を見た。いつもは穏やかな流れでちらほらと釣り人がいるような川なのだが、今日はそれが嘘のように荒れ狂っていた。一歩でも足を踏み入れようものなら、足首を掴まれそのまま引き摺り込まれなほど。
そんな川を見てふと思う。もし、この川に入ったのなら、どこに連れて行ってくれるのだろうと。
頭がふわふわする。傘をその場に落とす。気づけば河川敷を一歩、また一歩と降り、川と同じ水位に足を置く。あと一歩踏み出せば波にさらわれる。あと一歩…。
「何をしているんだ、私は…。」
足元を見て妙に寂しい気持ちになった。川との距離はあと数センチ。しかし、それは今の私にとっては世界一長く辛い数センチだった。
「私はまだ、何もしていない…。」
死ぬことはどんな生物でも確実に行う最後の生命活動だ。それが遅かれ早かれたいした問題ではない。だが、この世に何か自らが生きていた爪痕をつけられない人生など意味があるのだろうか?
自問自答する。しかし、答えは存在しない。
傘が無意味な雑貨になりながら目的地に着く。びしょ濡れになった靴でスーパーに入り、かろうじて残っていた缶詰やカップ麺をかごに放り入れ、食料を確保した。正直好みの味ではなかったが、この際仕方が無い。
どのようにしてこの食料たちで数日間耐えしのごうかと買い直した傘を抱え、考えながら歩いているとさっきの川のところに来た。引き寄せられないよう見向きもせずに、そそくさとその場を後にしようとする。
そのつもりだった。だが、少しの欲望に負け、一瞬川に目を向けた。
そこには先ほどの私と同じように川に足を踏み入れようとしている少女がいた。髪が雨に濡れ、顔を覆い被せるせいで表情を確認することができない。まるで幽霊のようだった。
雰囲気からすぐにどのような人間なのか察した。私はそれを助けるわけでもなく、ただただ見守った。あの少女がどのような姿になるのか見てみたいと思ったのだ。
雨の音が激しくなり、鼓膜を塞ぐ。風が少女の背中を押すように煽る。同じペースで滑らかに時間がただ過ぎていく。だが、一向に状況は変わらない。ただ川の前で突っ立っているだけ。何度か水が手を伸ばし引き込もうとするが、それすらも無関心に跳ね除ける。いい加減見ているのもウンザリしてきた。このまま家路についてもいいが、周りを見回してみると私一人しかいない。
見捨てるのは簡単だが、死なれては後味が悪い。そう思い、少女を川から離れさせることにした。
再び河川敷を降りる。先ほどとは違い、荒れ狂う川を見て恐怖を覚えた。正常な感覚に戻ったことに安堵する。
少女の肩に手を置き、危険だから川から離れるよう促す。しかし、少女の反応はない。何度も声をかけても反応が返ってこない。
仕方なく腕を掴み、多少強引な方法で川から離すことにした。よろよろと脱力しきった様子で少女はついて来る。何故自分がこんな面倒くさいことをしなければいけないのかと思うとため息が出た。
その時、突風が傘を吹き飛ばす。さらなる不幸が重なり、本格的に気が滅入りそうになる。その拍子で少女の濡れた髪も風で巻き上げられ、顔が現れた。
その少女はハルだった。
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