たとえ君が微笑んだとしても(3)

 翌日、駅前で待ち合わせをしたわたしたちは、申し合わせでもしたかのようにふたりともスーツ姿であった。お互いに非番である。それでもスーツであるというのは、どこかに事件の捜査を行うという気持ちがあったからかもしれなかった。

 現場であるゴールデン街の居酒屋は未だに営業の再開はされていなかった。

 店主によれば、近々改装を行ってから営業を再開させる方向で考えているとのことだ。やはり、殺人事件が起きた場所でそのまま営業を再開させるというのは、気持ち的にも難しいようだ。

 店主から借りた鍵を使って店のシャッターを開けると、ふたりは中に入った。店内の空気はとても冷たく、寒さを感じさせるほどであった。長い間、人が居なかった空間というのは、空気も冷たくなってしまうようだ。

 改装前ということで、テーブルなどは店内の隅に寄せられていたが、空間としての店の雰囲気は事件があった当時のままだった。

「以前もやったことかもしれませんが、富永さんはそこに立っていてください」

 富永に指示をして、被害者であるミドリが倒れていた場所に富永を立たせる。以前、現場検証の際にも同じことをやって途中から現れた二川にあらぬ疑いを掛けられるといったことがあったが、今回も同じように富永はわたしに背を向ける形で立っていた。

 第一発見者であるミドリの同僚の証言によれば、ミドリが発見された時、店内の電気は消えていたとのことだった。発見者は誰もいないと思って店内に入り、電気をつけたところでミドリが倒れていることを発見した。

 だが、ミドリが殺された時に電気がついていたかどうかはわからない。犯人は、ミドリ殺害後に電気を消して立ち去った可能性もある。

 暗い店内でミドリは襲われた。その可能性を確かめるべく、わたしは店内の電気を消した。

 店内の窓はすべて塞がれており、外の明かりを取り込むことはできなくなっているが、昼間は隙間から入ってくる光で、ある程度の明るさは感じることができる。

 もしかしたら、事件当日もこんな感じだったかもしれない。

 わたしは足音を忍ばせながら、一歩ずつゆっくりと富永へと近づいていく。こちらに背を向けている富永は、いまどこにわたしがいるのかはわからないはずだ。

「富永さん、こちらを振り返ってもらえますか」

「え、ああ」

 富永が振り返った。わたしは直ぐ目の前に立っており、富永は驚きのあまり身体を仰け反らせた。

「まさか、こんな近くにいたとは思わなかったですよね」

「あ、ああ」

「もしミドリが何かの作業に集中していたとしたら、笠井みどりさんが近づいてきたことに気づいていなかったかもしれませんね」

 そういって、わたしは富永の側から離れた。

「なあ、高橋……」

 富永が声を掛けたことでわたしは振り返った。

 顔に窓の隙間から差し込んできている光が当たる。それはまるで女優が舞台の上でスポットライトを浴びているかのような感じだった。

「こんな時にいうのも何だけれどさ……」

「すいません、富永さん。ちょっと黙っていてもらえますか」

 わたしは富永の言葉に自分の言葉を覆いかぶせるようにいう。

 頭の中で何かがわかったような気がした。しかし、まだそれを言葉にするほどは理解できていない。考えろ、考えるんだ、佐智子。わたしは頭の中で思考を繰り返した。

「わかっちゃいました」

「なにがだよ」

「逆光です」

 わたしはそう言いながら、目を細めるようにして富永の方を見る。

 やはりわたしの推理は間違ってはいない。そう確信して、わたしは自分の考えを口にした。

「この位置からだと、窓の隙間から入ってくる光のせいで、富永さんの顔がはっきりとわからないんですよ」

「そうなのか?」

「はい。シルエットとしてはわかるんですが、はっきりと富永さんの顔ということはわかりません」

「シルエットでわかったとして、誰と松本ミドリを見間違えたっていうんだよ」

「弟のアオイさんです」

「え……」

 先日、ミドリの墓参りに行った際にアオイと会ったことを富永に掻い摘んで話した。

「なるほど。松本アオイと笠井みどりの関係を洗う必要があるな」

「そうですね。埼玉県警の調べには、松本アオイの存在が引っかからなかったので、おそらくふたりは隠れて交際していたのかもしれません」

「と、いうと?」

「ミドリの彼女だった笠井みどりをアオイがこっそり奪い取った」

 わたしの言葉に富永は顔をしかめる。

 そういうドラマの見過ぎなんじゃないか。その顔にはそう書かれていた。

「もし、松本アオイが兄のミドリから笠井みどりを奪ったとして、どうして松本ミドリが笠井みどりに刺されなきゃいけないんだ」

「そこです。そこで、見間違いが発生したのではないかと、わたしは考えています。笠井みどりはアオイさんを殺すつもりだったが、間違えてミドリを殺してしまった」

「でも、ここは松本ミドリの職場だぞ。どうして弟のアオイがいなきゃならないんだ」

「そこは調べなければわかりません」

「調べるって言ってもどうやって。すでに被疑者であった笠井みどりは死んでいるんだぞ」

「はい。だから、松本アオイについて調べようと思います」

 わたしはそう言うと、店の出口へと向かいかけ、途中で足を止めた。

「あ、そういえば、さっき富永さん何か言いかけましたけれど、何ですか?」

「え? あ、ああ……。何だったかな。忘れたよ。大した事じゃないと思うから大丈夫だ」

 富永はわたしから目を逸らすようにして言うと、一緒に店を出た。

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