たとえ君が微笑んだとしても(2)
パソコンの画面を見つめてはいたが、全然内容が頭の中に入っては来なかった。集中力ゼロ。頭の中では別のことを考えていて、目の前にパソコンの画面があるということすらもわたしは忘れてしまっていたのだ。
「なんなんだよ、さっきから」
突然、隣の席に座る富永がこちらを向いて話しかけてきた。その口調は怒っているわけではなさそうだったが、何かがきになって仕方がないといった感じではあった。
一体何のことなのだろうか。わたしは疑問を覚えて、それを口にした。
「何がですか?」
「ため息だよ、ため息。これで五回目だ」
富永は座っていた椅子をくるりと回転させてわたしの方に体を向ける。
え……そんなにため息を繰り返していたのか。わたしは驚きとともに、申し訳ないという気持ちになっており、とりあえず謝ることにした。
「すいません、無意識でした」
「何か困りごとでもあるんだったら、相談に乗るが」
「困りごとといえば、困りごとですね」
「なんだよ。勿体ぶらないで言えよ」
少し体を乗り出すようにして、富永はいう。
そんな富永に対して、わたしは少し悩んだ。このことを言うべきか、言わぬべきか。
しかし、そんなわたしの悩んだこともお見通しと言わんばかりに富永が口を開く。
「何か言えないことなのか?」
「いえ、そういう訳ではないです」
わたしは即答した後、少し息を吸いこんでから富永に質問をぶつけた。
「富永さんは、人を見間違うってことありますか」
「まあ、なくはないけど」
どうしてそんなことを聞くんだ。富永の顔にはそう書かれている。そして、突然驚いたような表情になり、周りに誰もいないことを確認してから、口を開いた。
「……ちょっと待ってくれ。まさかとは思うが、誰かを誤認逮捕してしまったとか、そういうはなしじゃないよな」
少し顔を青ざめさせながら富永が言う。
「違いますよ。大丈夫です」
「そうか、それならいいんだけど」
富永はほっとしたかのように言うと、椅子の背もたれに体重を預けた。
「ちなみに富永さんって視力はどくらいですか」
「俺は両目とも1.0だけど」
「ですよね」
わたしが急に話を変えたことで、富永は一体何が聞きたいんだといった顔をする。
「どういうことなんだ。高橋は目の悪い人を探しているのか」
「いや……まあ、そうなのかな。目が悪ければ見間違いをしたりもするのなかって思いまして」
「ごめん、全然話が見えてこない」
富永にそう言われて、わたしは自分の頭の中だけで話を完結しようとしていたことに気がついた。
「すいません。これは前提の話なんですけれど、遠目で見るとよく似たふたりがいたとして、間違えて声を掛けてしまうってことありますよね」
「まあ、似ているなら、あるかもしれないな」
「それって、どのあたりで自分が間違えたって気づきますか」
その言葉に富永は腕組みをして考える。
「声を掛けて振り返った時に、顔が違っていたらすぐにわかると思うが」
「ですよね。ただ、顔がはっきりと見えない状況だったらどうですかね。例えば、暗がりだったとか」
「うーん、どうだろうな。あまり暗がりで人違いをしたことはないが……っていうか、さっきからこれは何の話なんだ」
その言葉にわたしは机の上から一冊のファイルを取り出し、富永の前に広げて見せた。
「笠井みどりさんの視力は両目とも〇・三以下であり、普段はコンタクトレンズをつけていたそうです」
「え……高橋、お前まだその事件を追いかけていたのか」
驚いた表情で富永がいう。
「別に追いかけているわけじゃないですよ。先日、ふと思い出して」
「もう終わった事件だろ。やっぱり、ミドリくんのことで引きづっているのか」
「そういうわけではないです。いや、そういうわけなのかな……」
「わかってはいるとは思うけれど、捜査に私情を持ち込むな。それにこれは終わった事件だ。いまは目の前にある事件に目を向けろよ」
「はい。わかっています。でも、気になっちゃうんですよ」
その言葉に富永は口をへの字口にして黙り込んだが、少ししてから口を開いた。
「わかったよ。明日、非番だろ。付き合ってやる」
「え?」
「再捜査したいんだろ。仕事じゃなくて、非番ならいいだろ」
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ、さっさと今日の報告書を仕上げて」
富永のやさしさに、わたしは感謝した。
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