血が溢れたあの日

赤青黄

第1話

ボクは問うた「絶望とはないか」と

 俺は問うた「希望とはなにか」と

 どちらも私にとって「」だった。


 ゆらゆらとろうそくの灯が踊る。

 揺らぐ火を見つめ、何を思ったのか「今日も今日とて君のダンスを見に来たわけではないのに、いつも君は踊っている」と呟いた。

 呆然とくだらない妄想にふけっている自分を感じながら、誰もいない廃墟で「あれ」を待つ。

 これからあれが来る前に心を整えていたいが、誰もいない暗闇にいても静寂が訪れるわけではない。少し離れたところから、酔っぱらいの陽気な声や車が通り過ぎる音が聞こえる。耳障りに思える誰かの奇声も。

耳障りで煩わしいと目をつぶりながら故郷を思い出す。

 虫のざわめきだけが響き渡る深夜の夜道、街灯だけが味方で、恐怖がいつも張り付いていた生まれ育った土地。ここに来る前まではそんなところが嫌いだった。だからこそ、この都市に憧れた。キラキラと夜を照らし、恐怖を払いのけ、いつでも隣には誰かがいる。そんな都市に憧れていたのに、今では帰りたいと思っている。

 あんなに虫のざわめきに飽き飽きしていたのに、今は恋しくてたまらない。遠くから見たときはあんなに頼りに思えた光が、今では恐怖に感じる。あんなに誰かと一緒に居たいと感じていたのに、今では一人になりたいと考えている。帰れるものなら帰りたいが、もうこの都市からは逃げられない。

 諦めの感情を携え、故郷の淡い思い出に身を任せていると、ゆらゆらと揺れていた火がパッと消えた。

 どうやら「あれ」が現れたらしい。これでやっと解放されると思いながら、懐からギラリと光る銀のナイフを取り出す。月の光によって刃が反射した先には、ギラリと赤く光る眼光が見える。獲物を見つけた喜びから、グルグルと喉を鳴らしている。

 血を欲しているらしい。本当に関われば関わるほど、哀れさと醜さが膨れ上がる。かわいそうな吸血鬼が暗闇から現れた。

 ぽたぽたとよだれがコンクリートの上に落ちる。どうやら久しぶりに獲物を見つけたらしい。

 「はぁー、一応言うがお前は人間と共存を望むか」と規定に従って問うが、吸血鬼は髪を逆立てながら「がああああああああああ」とこちらに向かって突進してくる。

 「やっぱりここはいらないだろう」とぼやきながら、飛びついてくる吸血鬼の首元を銀の刃で切り、後ろに回る。

 「うぎゃああああああああああ。」叫び声と噴水のように大きく吹き上がる血を見つめながら、吸血鬼の背後から心臓を穿つ。

 すると吸血鬼は灰のように変わり、先ほどの騒動が無かったかのように煩わしい音だけが残った。

 ぽたぽたと天井に降り注いだ血が落ちながら「一文字違い。」と誰か呟いた。


 奇怪爽快、ゆらりゆらりと闇が溶けてゆく。黒に支配されていた世界は、どこか妖しげな青い光に包まれ、狭い空間が無限の広がりに限界が見えていた。粘りつく悪意に染まった都市は、太陽の光によって全てを覆い隠され、まるで何事もなかったかのようにいつもの朝がやってきた。しかしいつもとは違う光景があった。

 廃墟と化した建物の前には、赤いランプが不気味に点滅し、闇に溶け込む影たちが周りを取り囲んでいた。

「ここで殺人が起こったって噂だぜ。」

「えー、マジかよ!殺人なんて、まさかあの”赤い人”とかじゃないよね?」

「だって、そんなの都市伝説じゃん。」

「でもさ…友達が話してたんだよ…」

 ざわざわと不安げに騒ぎ立てる影たち。誰が誰だかわからない、ぼんやりとした輪郭が揺らめきながら、憶測や都市伝説が次々に囁かれる。その騒がしさの背後で、冷ややかな表情を浮かべて佇む一人の女性がいた。

 彼女は長い黒髪を肩に流し、周りとは透き通る青白い肌がひときわ異質な存在感を放っている。引き締まった黒いスーツがその透き通るような肌をさらに際立たせ、キラリと光る鋭い八重歯が不気味な威圧感を添えていた。赤い目がじっと廃墟を見つめる中、その視線は鋭く、どこか獲物を捉えるかのような冷酷さを宿していた。彼女のコートの袖には、吸血機動捜査官の象徴である狼のシンボルが誇らしげに輝いている。

 「まさか殺人事件が起こるなんて…信じられないわね」と、眠たそうな声で呟く。

「信じるも何も、事実は事実ですから。反応も出てますし」と、彼女をからかうように低く笑いながら、パトカーの方からがっしりとした体格の男が現れた。

 彼もまた狼のシンボルを背負い、青白い肌と鋭い八重歯を持っていたが、違いがあるとすれば小麦色に輝く金髪だけだった。朝日の中でもその髪は艶やかに輝き、まるで光を吸い込むかのように際立っていた。

「あら、源田くん。吸血はもう終わり?」と彼女が冗談めかして問いかけると、

「はい。体力には自信があるので」と彼も負けじと返す。

「相変わらず元気そうで良かったわ」と彼女が微笑み、源田も軽く肩をすくめて笑った。

「しかし、殺人ですか。何十年もこんな事件がなかったのに、いきなりとは、驚きますね。」

「そうね。確かに五、六十年くらい殺人なんてなかったのに、まさかこんなに急に起こるなんて」

「都市がまた血のワインでも味わいたくなったんでしょうかね」と源田が詩的に表現すると、

「いつから詩人に転職したのかしら」と彼女が冷笑を浮かべる。

「あはは、少し上手くいったと思ったんですが、ダメでしたか」と源田が照れ笑いを見せる。

「ええ、少しカチンときたわ。でもさてと、そろそろ雑談は終わりよ。現場に入るわ」

「はい、先輩」と源田も真剣な表情に戻り、群衆を掻き分け二人は朽ち果てた廃墟の中へと静かに足を踏み入れていった。

 廃墟の内部は、長年放置されていたのか異様なほどに湿気を帯び、崩れかけた壁が至る所で音を立てている。漂う空気は淀んでいて、吐く息がかすかに白く曇るほどに冷えていた。

「不気味ですね。」源田は廃墟の中に立ち込める異様な空気に一瞬気圧されたのか、それとも恐怖が無意識に漏れ出たのか、普段なら言わないような言葉をポツリと漏らす。

「あら、源田くん。珍しいわね。怖かったら無理しないで戻ってもいいのよ」と彼女がからかうように微笑む。

「いやいや、この男、源田は怖いものなどありませんから!大丈夫です!」と源田は気合を入れ直し、両頬をパシンと叩いて奮い立たせる。赤くなった顔と決心を持った表情で現場に向かった。

 廃墟の奥へと進むと、パシャパシャとカメラのシャッター音が響き渡る。音の方に目を向けると、奥から小柄で若々しい印象の男がこちらに駆け寄ってきた。

あ、イリスさん。こちらにいらしてたんですね」と子犬のように人懐っこい笑顔を見せる。

「影山くん、久しぶりね。最後に会ったのは、あのダイダラボッチ事件以来かしら?」

「はい、そうですね!あの事件では本当にお世話になりました。まさか、あのダイダラボッチの正体が…」影山が嬉しそうに話し始めたところで、

「おほん。ごめんなさい世間話は後で、死んだ被疑者名前を教えて」とイリスが軽く咳払いをして話を戻す。


「あ、すみません!興奮してしまいました」と影山は恐縮しながら、ポケットからメモ帳を取り出して情報を読み上げた。

「被害者の名前は権田三郎さん、享年321歳です。独り身で、最近までは飲食店に勤務していたそうですが、少し前に辞めて現在は無職。職場の人々の話によると無口で、あまり交友関係も広くなかったようです。怨恨殺人の可能性は低いかと」

「そう…ますます面倒な事件になってきたわね。でも影山くん、よくこの短時間でこれだけの情報を集められたわね」とイリスが感心する。

「はは、これだけが取り柄なんです」と照れ笑いを浮かべる影山。「それと、もう一つ補足情報があります」

「何?」イリスが気を引き締めて尋ねる。

「権田さんが飲食店を辞める直前、様子がおかしかったらしくて。『血をどうしたい…』とよく呟いていたようです」

「血をどうしたい?どういうことかしら?」イリスが眉をひそめる。

「さあ…もしかして薬でもやっていたんじゃないですかね?」源田が憶測を口にする。

「彼の死体から薬物反応は出たの?」

「今はまだ結果待ちですけど、もうそろそろ連絡が来るはずです。」と言って影山がスマホを取り出し、電話で確認する。

数秒後、影山が電話を立ち、表情を曇らせて報告した。「どうやら薬物反応は出なかったようで、しかも殺され方もわからなかったらしいです。」

「そう。じゃあ今のところの手がかりは『血をどうしたい』という言葉だけね」イリスはため息をつき、煩雑な面持ちで考え込む。

 そのよう二人のやり取りを、朽ちた壁の向こう側から、さながら煙のように揺らめく外套を羽織った男が静寂に見つめていた。

「さて、問いに答えられるかな…それと俺はいつ休めるのか」とその男は呟くと、煙のように姿を消した。


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血が溢れたあの日 赤青黄 @kakikuke098

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