透過、セーラー服
――――禁忌。秘密。知っているのは二人だけ。そう思っていたのは私達だけだった。そんな言葉を簡単に呑み込んでしまうほど、私達は幼かった。
秘密なんて正常に機能するものじゃない。甘い響きだけを纏って少女を惑わせる。相手しか見えない霧の外、その先で燻り始めているものに気付くことはなかった。
盲目的な関係の裏。噂話は早く、どこまでも広がる。
「華子と未來が……ああ、なんということだ、禁忌だ、禁忌ではないか」
「祟りが来るぞ」「ありえん!」
ざわめく老人たち。木造建築の公民館、その最奥にある畳張りの部屋。蛍光灯の明かりが薄っすらと馴染んでゆくような夜、輪になった上層部の村人たちはやんややんやと大騒ぎしている。
「皆様、どうか冷静になられてください」
その中心に立つ一人の神官が彼らを宥めた。その細くつり上がった目が、くるり、と周囲を見渡す。
「わたくしから提案なのですが、まず
その言葉によってさらに場がざわめいた。皆こそこそと耳打ちし合い意見を述べている。
「あれは背きはしませぬので。問題は橘未來の方です。あれが汚れた故あの方がお怒りなのです」
「未來に責任を取らせるのか」
一人の老人が声を上げた。それに追随するように周囲も野次を飛ばし始める。神官は彼らをもう一度見渡し、至極冷静に言う。
「はっきり言えば、そうでございます」
「彼女は有益な存在だぞ」
飄々とした態度の神官に老人たちは各々叫ぶ。よく田畑の手入れを手伝ってもらっていたんだ、妻の介護を手伝ってくれていたんだ、など。それだけで橘未來がどれだけ好ましく思われていたのか分かるだろう。しかし神官はそんな彼らに目も向けない。
「有益無益ではなく、あの方の祟りは橘未來にあるのですよ」
くふふ、と。それは笑う。異様な雰囲気に老人たちは黙り込み、ただ彼を見つめることしかできない。
「祟りには、あの儀式を」
私が知るはずのない記憶。神官は暗闇の中、微笑んでいた。
――――あれはいつのことだっただろう。夏の終わりだったのは覚えている。蝉の抜け殻がいくつも道端に転がっていて、数少ない小学生たちがそれを集めてはきゃっきゃとはしゃいでいた。工作なんかに使うのか、それとも集めて楽しむのか。私には分からない。 正直趣味が悪いなとさえ思う。
そんな子どもたちを横目に、私と未來はいつものあぜ道を通っていた。学校帰りの鞄は二人してすっからかんだ。私はめんどくさいから、彼女は家でやらずとも身につくから、置き勉。肩に掛けたそれには体育服だけが入っている。歩くたび揺れて、おそろいのキーホルダーがからからと音を立てた。
「あっついねえ」
私の少し前を歩く彼女はスカートをばさばさとして涼んでいる。薄手のそれは光を透かし、その奥にある綺麗な脚の影をうっすらと映し出す。 目のやり場に困って、道端の用水路なんかを眺めながら言った。
「お行儀悪いよ」
「はいはい」
こんなことをしているけれど、吹き付ける風は少しずつ冷めてきている。半袖の制服もそろそろ終わりだ。彼女のしなやかな腕が衆目に晒されなくなるのだと思うと、少し安心するような気もした。 ため息を漏らすと、またすこし淡くなった夏風が肌を撫でる。彼女の腰ほどまである長い髪が揺れる。少し後ろから見る彼女がやはり一番綺麗だ。正面から見る彼女は整いすぎている。眩しくてまっすぐ見ることのできない太陽のような。
改めて、夏が終わるんだという感覚がした。どこか遠くで、一つ蝉の声がする。皆に置いていかれたのだろうか。たったひとり、誰かを待ち続けて鳴いているのだろうか。
ぼうっとしながら考えていると、彼女がぱっと振り返った。
「そうだ、今日は先に帰ってよ。用事あるからさ」
いつも通りの完璧な微笑みとともに言う。
「用事って?」
「なんか、村長たちが困ってるらしいからお手伝い」
訊くと、彼女は横髪を耳にかけながら言う。大人に優しくはするけれども、媚びない彼女が好きだった。言う通りにはならない。だけれど困っているのなら助ける。そんな思想。
「偉いね」
「そうでしょ、もっと褒めてくれてもいいんだからね」
付き合ってからなんだか甘えたがりになった彼女は、どこでも私にくっついてくるようになった。それで秘密は守られていると思っていられるんだから、子供というのは純粋だ。
「はいはいえらいえらい」
「もー、雑なんだから」
軽く撫でて済まそうと思ったらぱし、と手を払われ、ちょっと怒られた。そういうところも好きだった。 表面的には単純に見えるけれどそうじゃない。聡明で皮肉っぽいところもあって、それなのに人当たりは最高に良いみんなの人気者。
そんな彼女が私にだけは甘えてくれる、それだけで酔っていた。細めた目の端に浮かぶ確かな愛情を視認していい気になっていた。今なら哀れだな、と思えるけれどあの時はそんな思考には至らなかった。二人は永遠に一緒だと信じてやまない健気な少女だったから。
一途な私達を嘲笑うように、どこか遠くでクラクションが鳴った。未來が私を見て、同時に私も未來を見た。目が合って、微笑んで。
「華子」
自分で払ったはずの私の手を握って、名前を呼ぶ。
「好きだよ」
その瞳の奥にはきっと禁忌の背徳が滲んでいる。約束のような愛の言葉がいつしか習慣になって数ヶ月が経っていた。こんなことをしていてバレないわけがないのに。それでも私は無邪気に信じて、素直に声を出す。
「私も好きだよ」
そう返せば彼女は少しはにかんで、早足になる。照れ隠しが下手なところは普段の彼女からすれば意外ではあったけれど、完璧でないところを見せてくれるのが愛おしくて仕方がなかった。追いつこうと私の歩みも早まって、二人してちょっと早足になるいつも通りの道。
前を歩く彼女が急に立ち止まる。目の前にはあの日、口付けを交わしたバス停があった。彼女が振り向く。
「あたしこっちだから。じゃ、また明日ね」
あっさりとした言葉。
そこで私達は別れた。彼女は村の中心の方へ。私は村の端にある自分の家へ。全く反対方向に進む。名残惜しくなって振り向けば、そこにはまっすぐに進んでいく未來の後ろ姿があった。それが確か、彼女を見た最後だった。そう思っていた。
その帰りだ、あぜ道で子猫の死体を見たのは。ぼーっと歩いていたその道の脇にそれはあった。流石にまじまじと眺めることはしなかったように思う。ぱっと見ただけでは車に轢かれたのか、他の動物に殺されたのかはよく分からない。ただ死んでいることだけが確かだった。 なんとなく、トラクターに轢かれたのかなと思った。
これを見たら優しい未來は悲しむだろうな。でも菌とかそういうものがあるかもしれないし簡単に動かすことはできない。じゃあ、と周りを見渡して、そうしてそこに捨てられていた新聞紙をかけた。
そんな風に私は彼女の死も覆い隠していたのかもしれない。
本当は見ていたのに。
――――彼女の首が、神官に絞められるところを。
助けを求めるようなその瞳を。
私は全部知っていた。
知っていたのに。
私は……なんで、逃げた?
――――解像度を高くしすぎた画像のように、明瞭になりすぎてくらくらするような記憶。脳の中でぐらり、と歪んでそれはまた消えていく。
目の前に立つ死体の首には、絞殺痕。今私はどんな顔をしているのだろう。相当ひどい表情をしているだろうな。乾いた笑いさえも出ない。そんな私を見て、死体は言う。
「思い出した?」
そして笑った。横髪を耳にかけて、ああ、そんなところまで彼女と一緒なのか。その躰の冷たさだけが彼女と違って、それ以外はすべて彼女のままで。
「じゃあ行こう、あの村に」
その無邪気ささえも、変わらないまま。
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