第2話

 ヤナちゃんのあの言葉が、否定できなかった。

 心のどこか奥底に山を求める自分がいた。

 山小屋で登ってきた人たちと一緒に晩酌をして、思い出話に花咲かせていたことがあった。私は彼らの話にのめり込み、まるで、私が彼らのエピソードの中にいるように錯覚してしまった。それくらい楽しかったのだ。


 あの感覚が忘れられない。しかし、それでもひたとくっついて、忘れることができない5年前の記憶。思い出せば、憂鬱になる、あの記憶。なぜ自分が、と。

 

 一番下のタンスを開ける。埃くささが鼻をつく。山の思い出、感動が蘇り、後悔が私に寄り添う。もう2度と袖は通さない、そう決めたはずなのに、なぜか息ができないほど、昂っている。

 それなのにその気持ちを消し去り、埋めようとするようにあの記憶が雪崩れ込む。埋もれた昂りの気持ちは雪の中、青い空に少しばかりの小さな穴。だけど、今の自分にはその穴を広げる気力もなければ、助けを求める声すらあげれない。なんなんだ。変われないのか。

 そうしているうちにだんだん眠気が迫ってきた。ソファに横になった。凄まじく寝つきが悪いが、体は正直だ。私の意識はすぐに暗転した。


 目を覚ますと午前3時。ヤナちゃんと充の迎えには十分間に合う時刻であった。

 吐こうとしても吐けないもどかしい澱んだ気持ちのまま、登山の準備をした。

 ザックに水筒、着替え、防寒着、タオル、ストック、救急箱、非常食を入れる。シャワーを浴び、タイツと登山用パンツを履き、ベースレイヤー、シャツ、レインウェアを重ね着する。

 鏡に映った自分をみて、懐かしく思った。5年前まで週末はこの格好で登山に行っていたと思うと、馬鹿馬鹿しくもあり、あの頃は良かったとも思えてくる。

 キャップを被り、ミッドカットの登山靴を履く。準備はできた。あの時よりも体力が衰えたのか、はたまた、記憶の中の私が足を引っ張り、離さないのか、ザックが重い。

 家に鍵を掛け、車に乗った。窓に反射した自分はまるで澱だった。

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