4.3
「手紙便ですと、一通十リリイになります」
「了解した」
にっこりと微笑むと、ノエルは懐から大貨を取り出した。大貨一枚で百リリイ分の価値がある。そして、フリッカの手を包み込むように渡してきた。
「だ、大貨をお預かりしましたので、中貨を九枚お返しします。少々お待ち下さい」
釣り銭を渡そうとするが、ノエルはフリッカの手を包み込んだまま離してくれない。
「あ、あの、隊長さん? その、手を離してもらえないとお釣りを渡せないのですが」
「この事業はサージュ嬢が個人でやっているものかい?」
「そ、そうですが……」
「それなら、ここまで来てくれた手間賃ということで全て受け取ってほしい」
「い、いえ、そういうわけにも……」
「サージュ嬢が生活するための仕事だ。もっと配達料金を上げていいと思う」
「ですが、大衆食堂の女将さんに見せたら、これぐらいなら自分たちも利用しやすいと言っていただけました。なので料金を変えるつもりはありません。というか、隊長さん。手を、離してもらえませんか」
「あ、あの、隊長さん。こ、こういうことをしていると勘違いされますよ? 隊長さんがわたしを気にかけてくれているのはわかりましたから、早く手を離して下さい」
これ以上ノエルの手に包まれたままだとフリッカが参ってしまいそうだった。そんな気持ちを汲み取ってくれたのか、ノエルはようやく手を離してくれる。
ほっと安心して釣り銭を渡そうとしたが、いらないと言われてしまった。
「先程、僕が心配していることを了承してくれただろう? サージュ嬢を困らせてしまったから、迷惑料ということで返さなくていい」
「わ、わかりました。それでは、ありがたく頂きます。それで、こちらのお手紙ですが、どこへ届けますか? 配達時間は三番街内であれば今日中にお届けできますが」
「それはすごい。個人事業主だからできることだね。普段手紙を出すとき、当日中に届けたいとき追加で料金を払うのだけど、そういうものはないのかな」
「ありません」
「それはおかしい。手紙を出す時、三日はかかる。当日中に届くのなら、追加料金を徴収するべきだ」
「追加料金というのは、その分手間がかかるからだと思います。わたしは手間がかからないので、追加で頂くことはありません。実際にお見せしたらわかっていただけるかと思います。どこへ届けますか」
「三番街警邏隊の隊長宛だけど……」
「建物の特徴を教えて下さい。地図は頭の中に入っているんですが、建物と一致していないんです」
「三番街警邏隊の詰め所は、街の中心にある広場から港方面に行った先にある、二階建ての煉瓦造りの建物だよ」
「なるほど。ありがとうございます。窓、開けますね」
緞帳を上げ、窓を開ける。そして鞄の中から四属性の簡易魔法紙を取り出す。四枚の紙を互いに向き合うように置く。
「
短すぎる詠唱をすると、手紙大の袋を首から提げた鳩が現れた。その袋の中に預かった手紙を入れ、魔力を送り込むときに三番街警邏隊の詰め所に向かうように指示を出す。
そして窓から、鳩を放した。パタパタパタと何度か羽ばたくと、鳩は飛び立っていく。
「これで、詰め所まで飛んでいきます」
「すごい……魔術師は、こんなことができるんだね。ところで、警邏隊の隊長が受け取ったということは、どうやってわかるんだい?」
「あ……」
ノエルに指摘され、初めて気がつく。エイクエア諸島にいるときはフリッカが直接持っていっていたし、知らない人でも名前を呼べば対応してくれていた。
「す、すみません! 確認の方法を怠っていました。届いたかどうか、確認してきます。あの、ちなみに警邏隊の隊長さんはどんな方でしょう?」
火と風の簡易魔法紙を取り出し聞いていると、ノエルがぶすっとした顔をしていた。
「あ、あの……?」
「やっぱり、サージュ嬢には僕の名前を呼んでほしいな。隊長さんだなんて、誰を呼んでいるのかわからないよ」
「そ、それはそうかもしれませんが……」
「名前を、呼んで欲しいな」
「い、いえ、ですから、ここは隊長さんの職場なので……」
どうしても名前を呼んで欲しいノエル。
ここでは呼びづらいと拒否するフリッカ。
距離を詰められる分、壁へと逃げる。そんなことを繰り返していれば当然、壁際に追い込まれてしまう。距離が近く、ノエルからふわりと甘い香りがした。後退できなくなってしまったフリッカは、困ったようにノエルを見上げる。
「あ、あの、本当に……」
心の底から離れて欲しいと訴えると、ノエルが突然自分の目を覆ってフリッカから離れた。その状態のまま天を仰ぐ。
(よ、良かった……離れてくれた……)
少しでも動けば触れてしまいそうな距離で、ノエルに見られるのは心臓に悪い。しかし同時に、こんなに近い距離にまで来てくれるのは、もしかしてフリッカにも望みはあるのかと思ってしまう。
(ノエルさんは、五年経っても婚約者さんのことを忘れられないのに……だから、せめて仕事を頑張ろうと思うのに……)
鼓動が早すぎて、超回復をして落ち着かせるということを思いつけない。フリッカはひたすら、深呼吸を繰り返していた。
ようやく落ち着こうとしたとき、外がざわついた。建物の外から、荒ぶる馬の足音が聞こえる。それは人が走る音に変わり、フリッカたちがいる部屋の前で止まった。扉が叩かれるのかと思いきや、両開きの扉が豪快に開かれる。
「ノエル!! どういうつもりだ!!」
いかにも真面目そうで屈強な男が一人、送ったばかりの手紙を鷲掴みしたまま叫んだ。
「サージュ嬢。これが警邏隊隊長のヒューイ・トレス」
「これって言うな! なんだ、この意味不明な手紙は!!」
「何って、手紙。読んだ?」
「読んだに決まっている!! だからこうしてここ、に……ノエル。もしかして、この子供が?」
「失礼なやつだな。サージュ嬢は立派なレディだよ」
「あー、まあ、確かに、見た目は魔術師だな。魔術師ということは、最低でも十六歳ということか」
ヒューイが、フリッカを見る。しかしすぐに、ノエルが間に立った。
「あんまりじろじろと見るのは失礼だ」
「わ、悪い」
「謝るのは僕じゃないでしょ」
ノエルに指摘されると、ヒューイは直角に腰を曲げた。
「じろじろと見てしまい、すまなかった!」
「い、いいえ、お気になさらず……」
ヒューイの勢いにたじろいでいると、ノエルが問う。
「それで、どう思う? ついさっき、この部屋から手紙を届けてもらったんだけど」
「ついさっき!? なるほど、魔術師というのはこういうこともできるのか。それはとても便利だな」
がははと笑うヒューイに、ノエルの後ろから様子を窺うようにフリッカが体を出す。
「あの、現段階ではこの速度で届けられるのはわたしだけだと思います」
「何!? それは本当か!?」
「訓練された普通の鳩を使うならわかりませんが、あの鳩もわたしが精霊魔法で出したものです。あれは四属性使えないと生み出せないはずです」
「なるほど! 生み出された鳩は用事が終わると消えた。それなら魔物にもならなそうだ」
魔物、という単語が出たときにノエルがヒューイを小突いた。一般人は、それほど魔物と遭遇することはないだろう。しかしフリッカは魔術師だから、魔物が生まれる原理は知っている。
「魔物は魔力を意図的に注がれるか、精霊様が回収しきれない零れた魔力が集まってできるか、ですよね。その辺りも配慮して生み出しています」
「そ、そうだよな! それはそうだ! さすが魔術師はよく知っているな!」
腰に手を当てて言うヒューイの顔をギュムッと押して、ノエルが気遣うように言う。
「魔物は、僕達討伐隊が全て討伐している。街中に現れることは滅多にない。現れたとしても、すぐに討伐できる小物だから、心配しなくても大丈夫」
「問題ないですよ。魔物なんて、発生原理も知っているんですから」
「本当に……? ではなぜ、サージュ嬢は震えているんだい?」
ノエルに指摘され、フリッカは初めて自分の状態に気づいた。震えていると自覚すると、急に寒気がする。
(……魔物なんて、一度目の人生のときにしか見ていないのに……)
一度目の人生で生み出してしまった、デューダンデ。あのときのノエルが名前を指摘していたから、よく知られている魔物なのだろう。
(……人の死体を、動かす魔物……)
一度目のとき、フリッカは非人道的なことをした。今はそれがわかっているから、魔物の発生原理がわかっていても怖い。というより、あのときのように暴走してしまうのではないかと思うと恐ろしかった。
「大丈夫。サージュ嬢のことは、僕が絶対に守るから」
フリッカを安心させるように微笑むノエルは、とても逞しく見える。
その後、自宅に帰るフリッカをノエルが送ってくれた。
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