4.2


 ここだよ、とエドラに案内されたのは、重厚な両開きの扉。頑張ってねぇと何か企んでいそうな笑顔を向けられつつ、フリッカは深呼吸をして呼吸を整える。

(この先に、ノエルさんがいるんだ……)

 執務姿は、五枚組の姿絵で知っている。しかし実際に動くノエルとなれば、全く別物だ。

 鳩合便の料金表を鞄から取り出し、扉を叩く。

「フリッカ・サージュです。お仕事の依頼とのことで、伺いました」

 訪問の挨拶をすると、部屋の中で何やら大きな音がして、少し時間が経ってから扉が片方開けられた。

「ようこそ。わざわざ来てもらって申し訳なかったね」

(うっ……)

 にこっと微笑まれ、フリッカは思わず息を呑む。冷静さを保とうとノエルの後ろへ目を向けると、少し乱雑に置かれた書類の束が見えた。一度崩れて、積み直したのだろうか。

「さあ、どうぞ」

「し、失礼します」

 ノエルに促され、部屋に入る。執務机のすぐ前の来客用の椅子に座ろうとしたとき、一枚の書類が落ちていた。拾おうとすると、ノエルが慌てて拾う。

「散らかっていて申し訳ない。普段はもっと、きっちり整理しているんだが」

「えぇ、そうだと思います。隊長さんはきれい好きだと思いま……」

 執務机の奧にある大きな窓を見て、ノエルの前だと言うのにうっかり口を開けたまま呆けてしまった。

「ん? どうかした……」

 フリッカの突然の停止に首を傾げたノエルが、窓を見る。そして中を窺うようにびっちりと窓に張りついている兵士達を見て、青筋を立てた。

「お前ら! 前衛班は素振り千回追加! 後衛班は訓練場を百周走り込め!」

 窓を豪快に開け放ったノエルが、今まで聞いたことのない強い口調で指示を出した。いきなり窓を開けたら危ないのではないかと思ってフリッカが思わず駆け寄ると、窓に張りついていた兵士たちは全員何事もなかったかのように訓練を始めていた。

 ノエルは窓を閉めると、しっかりと緞帳を下ろす。暗くなった分の明かりを蝋燭で補う。

 改めて椅子へ案内され、腰を下ろした。

「みっともない所をお見せした」

「い、いえ。あれだけ元気だから、国の平和は守られているのだと思います」

「サージュ嬢は優しいな。あいつらはただ、サージュ嬢の美しさを理由に訓練を怠けているだけだ」

「はは。ありがとございます。それで、今日は鳩合便を利用していただけるということですが……」

 仕事の話を進めようとしたフリッカを見て、ノエルが驚いたように目を見開く。

「……サージュ嬢は、他の女性と違うな。容姿を褒めたのに流されたのは初めてだ」

「それは、すみません。お世辞は否定すると相手が肯定し直すことになり、限られている時間を無駄に消費してしまいます。お忙しい隊長さんの時間を無駄にするわけにはいかないと思ったので」

 なんて言いつつ、フリッカの心臓は今、かなり高速で動いている。

(ノエルさんに美しいって褒めてもらえたーー!!)

 今日は仕事で来た。だから公私を分けなければいけないと思っている。せめて迷惑をかけないようにと考えた上での行動なのだが、ノエルに目を向けると寂しそうに眉を下げていた。

「……サージュ嬢。貴女と親しくなれたと思っていたのは、僕だけだったのだろうか」

「っ、そ、その、ここは隊長さんが働く場所ですし、ほ、他の方もいらっしゃいますしっ」

「それは、自宅且つ周囲に誰もいなければ、また名を呼んでもらえるということかな」

「そ、それは……」

 ノエルが、期待の眼差しを向けてくる。ノエルの方が体格がよく、年上なのに、フリッカはノエルの背後にしょぼんと垂れ下がった尻尾が見えた。何なら、犬の耳も見える。

「わ、わたしは仕事の依頼をしていただけるということで、こちらへ来ています。何をどこへ届けましょうか。料金表を持ってきたので、隊長さんも確認を……」

 鳩合便の料金表を机に置く。対面に座っていたノエルが、少し前のめりになった。その瞬間、フリッカは思わず深く座り直してしまう。

「サージュ嬢。この際はっきり言ってほしい。僕は、貴女に嫌われてしまったのだろうか」

「い、いいえっ!! 決して、そんなことは……っ!」

 強く否定したとき、喜びが溢れ出ているかのような顔をしたノエルと目が合ってしまった。その瞬間、フリッカは顔に熱が集まってしまったことを自覚し、すぐに顔を下げる。

「と、とにかく、今日は仕事ですっ! 仕事をさせて下さい!!」

 フリッカが必死に訴えると、ノエルは手紙便を利用したいのだと、ようやく依頼をくれた。


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