第六節 世界
図書館は三番街の一番端に位置していた。石造りの立派な建物だ。私は重たい扉を難なく開き、書棚の間に滑り込んだ。なるべく人間とかかわらずに今日は過ごしたい。
まずは「歴史」からにしようか、「地理」からにしようか......明日も時間があるわけだ、歴史は長くかかりそうであるし、なるべく切りよく終わらせたい。「地理」からにしよう。
「地理、地理学」の分類の書棚の前に来た私は、「世界地図」という名の分厚い本を取り上げた。それを片手で持ち、陳列してある机の一番端に行き、椅子に座って本を開いた。
私はページをめくった。そしてそこに記されていた文字を目にしたとき、衝撃のあまり言葉を失った。
「アセルデニヒュト地図」
なぜ、私の生きていた世界と、名が同じなのだ!
震える手を握りつつ、地図に目を通した。
ありえない。ありえない!
泣きたいのか、笑いたいのか、分からなかった。
ああ、ある。我が友の住んでいた「永遠の森」が。そして次の名を目にしたとき、涙がこぼれそうになった。
「夜明けの山」。懐かしく、愛しく、そしてもう二度と目にすることはないと思っていた。私は――私は――これは良い夢なのか、悪い夢なのかは分からないが、夢ならば覚めないでほしい......願わくば、もう一度、暁の光の中で神々しく輝く我が故郷を、目にしたい......。
困惑と興奮とで思考が支離滅裂になりかけたところを、冷静な自分が押し留めた。急ぎ地図の他の部分を見ると、やはりそこにはあった。北西の
そして中央には、私の生きていた世界では西に砂漠、東にだだ広い平原が広がっていて、中央に人間どもの王が住まう「メード王城」がある。王城のあたりは「王都」などと言われて栄えていたが、平原には小さな集落が点在するのみ、砂漠に至っては全くの不可侵だった。だがこの世界では違うようだ。無論砂漠と平原は変わっていないが、随分と街が増え、街道が確立されている。
私は速読が得意であるが故、次から次へとページをめくれば、大陸の中央の平原と砂漠はすべて「クリーズ王国」なる王国に統治されており、その他王国の周りは
さらにたくさんの地理の本を貪るようにして読んでいたら、図書館が閉まる時間のようだ。閉館とは非効率的なシステムだが、仕方があるまい。明日また出直すとしよう。
次の日、私は朝一番に図書館へ向かった。今日は「歴史」を学ぶ。
「歴史」に分類された書棚に、「アセルデニヒュト史」と名を冠する歴史書を見つけた。広げた手のひらよりも分厚い書物だが、私には重さは関係ない。他にも十冊程度を片手で難なく抱え、机に置いて「アセルデニヒュト史」に向かった。
「アセルデニヒュトの歴史は遠く神話の時代にまで遡る。だがこの時代の文献についてはほとんど現存するものがない。今となっては口伝でほそぼそと伝えられてきた物語しかこの時代についての手がかりは残されていない」
この言葉から始まり、著者はまずクリーズ王国の興りについて論じた。
「――であるからして、〈神々の戦争〉に終止符を打ったのは大魔道士クリーズ様の起こした〈世界の崩落〉だ。そして野蛮な先住民族である魔族が滅び、新たに平和になったアセルデニヒュトにクリーズ様がクリーズ王国を創立したのである。〈神々の戦争〉によって魔族の神は滅び、本物の神である我らが女神フローデ様がアセルデニヒュトに君臨されたのである。――」
これが歴史書なものか。歴史書とは公平無私であるべきであって、個人の偏見で語る代物ではない。これは間違いだらけの文だ。〈神々の戦争〉など起こっていない。実際は、愚かな人間の男クリーズが自らの力を過信して放った魔法が大きすぎたため制御を失ったことによって暴発し、そのエネルギーに巻き込まれたクリーズの魔力が火に油を注ぐように次々と爆発して多くの命を奪ったというのが真実だ。
魔法は使うときにそのエネルギーに相当する対価を必要とする。すなわち魔力だ。魔力が足りなければ、それを補おうとするごく自然の摂理が発生する。真空に空気が流れ込むことと同じ原理だ。そして一番近いもの――この世のすべての物質は魔力からできているため、薪を燃やして炎を大きくするように物体を魔力に変換することが可能だ――であるクリーズ自身の肉体を魔力として利用した。だが物質が魔力に変換されるときには多大なエネルギーが発生するため、爆発がどんどん増大したのだ。
私の知る限り肉体を魔力に変換して生き残った者はいないが、あのフローデの様子だとわざわざ生かしておいたのだろう。
これではっきりと分かった。認めるしかなかろう......この世界は、私の生きていた世界であると。
偽りの歴史書を読み進めたところ、現代は私の生きていた時代――この
実はクリーズの滑稽で悲惨な事件には続きがあるのだ。魔法の大爆発によって我ら魔族が甚大な被害を受けたことを好機とばかりに、人間どもが大挙して攻め込んできたのだ。我ら魔族は野蛮ではないし、その真逆でとても平和的で知的だったが、大きな力を持っていたことは確かだ。その力を恐れていたのだろう、人間どもはクリーズの爆発で被害を受けた我らを見て調子に乗ったようだ。爆煙の中からクリーズが生還したことも奴らの士気を上げることにつながったのだろう。
脆弱だが数が多かった人間どもに囲まれ、大きな傷を負っていた我らは、必死の抵抗も虚しく次々と無へ
私は――最後だった。全力で戦い続けてなお、一番最後に残ってしまった。愛する〈夜明けの山〉の頂上で、攻めてきたすべての人間を塵となるまで引き裂き、人間どもへの憎しみと愛する友を喪った悲しみと自らの弱さへの怒りとをすべて一撃一撃に込めて奴らを葬り去った。だが最後の抵抗とばかりに飛んできた一本の槍に心臓を貫かれ、息絶えたはずだった......私はそれでもなお、死ぬことを許されなかった。どうして今、すべてを失って敗北した今、再び生きねばならぬのだろう?
私はもうその答えを見つけている――すなわち復讐だ。悪魔フローデへの制裁だ。私を生かしたからには、もう好きにはさせぬ......我らが無念、晴らしてくれよう。私はあのとき、私自身の最後の炎に――海のごとく、自由な碧き炎に誓ったのだ。
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