第二節 青空

 目が覚めると、視界は真っ青だった。頭がはっきりしてくると、限りなく晴れた青空だということがわかる。二番目に入ってきた思考は憎しみ——フローデへの憎しみだ。

 呻いて、驚いた。唸り声が明らかにドラゴンのそれではないのだ。形容するならば、まるで、そう……憎しみの序列第二位の人間どもの声に似ていた。吐き気がして、唸るのをやめた。

 起き上がろうとして、さらに驚いた。手だ……ドラゴンの前足ではない。指が五本ついた、人間の手なのだ。思わず噛み千切ろうとかみついて、絶望に襲われた。この人間の脆弱なあごの力では、嚙み切れるものも噛み切れない。数秒頑張ったのち、噛み切ることができそうだったのでやめた。手の機能が使えなかったら困る。うまく手加減して神経を傷つけないようにしていたので、血が流れている程度だ。少なくとも、あごの力は脆弱だが、牙は鋭いままのようだ。それが確認できただけでも収穫と言えよう。

 人間はどうやって立ち上がっていたのだったか……私はふらつきながら立ち上がった。私がいくら人間を憎んでいると言えど、いつも人間に驚かされてしまうことも事実だ。二本足で立つだなんて、至難の業だ。なぜ四本足で歩かないのだろうか?これまで幾度となく繰り返してきた疑問が再び浮かび上がってきた。だが、今はそれどころではない。

 まずはどこへ向かうか……どうやら視力は衰えていないようだ。人間はドラゴンよりはるかに視力が悪いため、これは助かる。ほかの五感も問題がない。だがいつも腹の底に眠っていた炎の感触が感じられない。ずっと共に生きてきた相棒を失い、私は少し寂しくなった。

 水場を探そう。私はそう決意し、慣れない二本足でよたよたと歩き出した。バランスが難しいな。む……こう、リズムよく歩けばいいのか?おお、これならバランスがとりやすいやもしれぬ。だが少し変な歩き方だな。もっと自然な感じに……うむ、慣れてきたぞ。

 私はいくらか歩いてやっと平原にぽつんとたたずむ池を見つけた。池をのぞき込む。私の容姿は悪くなかった。人間とドラゴンの間のような姿をしていたからだ。

 プラチナブロンドの長い髪、海のような緑色の目、浅黒い肌。鋭角的な顔立ち。軽くとがった耳。右頬から首、両腕の肩から手の甲にかけて、肩の下あたりから胴全体、そして足は宝石のように固い鱗で覆われている。くわえて両脚は完全にドラゴンのようだ。関節の曲がり方や鱗の付き方が、足だけは元の私に似ている。そうして私の体のあちこちを覆っている鱗は元の私の鱗の色の通り、サファイア色。尾骶骨のあたりからは私の身長の二倍もありそうな立派な瑠璃色の尾が生えている。鋭い突起の並ぶ、元の私が有していたような尾だ。そして肩甲骨あたりからは私の身長ほどありそうなドラゴンの翼が一対、薄青の釣鐘草の色に輝いている。

 形容するならば〈竜人〉とでもいおうか。体に関してはどちらの性別かがわかりにくい。体格は人間にしては良いが、ごつい男ほどではない。それ以外にどちらの性別だと断定できる要素がない。元の私は雌だったので、女と名乗ることになるのだろうが。

 そして口からは牙ということもできないが歯の域にとどめることもできなさそうな微妙な牙が生えていた。両手の細かい鱗でおおわれた指からのびるのは長さが人差し指の半分くらいの鉤爪。根元の幅は普通の人間の爪と同じくらい。足の鉤爪はドラゴンほどではないが手の鉤爪に比べたら立派だ。

 そうして自分の新しい肉体を観察し終えた私は水をたっぷり飲み、これからについて考えた。まずはこの世界について知る必要があるだろう。そして奴がもしこの世界にも干渉しているとわかったら、生きる目的が決まる。すなわちフローデを滅ぼすのだ。我らがデライアの神々を滅ぼした報い、しかと受けさせてくれる。

 だが、どうにもこの世界のことがわからない。私の生きていた世界は滅びた。であるからしてここは別世界とでも考えるのが妥当だろう。容易には信じられない話だが、彼奴フローデにならばできるということなのだろう。

 この世界を支配する種族は何なのだろうか。いずれにしろ、人間的な見た目をしているのだから何か服を着なければならないだろう。それならすぐに解決できる。材料である背の高い草がこんなにたくさん生えているのだ、キトンくらいならすぐに編めるだろう。

 キトンとは大きな布を体に巻き付けてブローチで止める服だ。本来はしっかりした毛や綿を使った糸で布を織らねばならないのだろうが、草を編んだところで大きな布を作る分には問題はない。ブローチに関してもなくても支障はない。一番理想的な服というわけだ。

 キトンは我らラクァレ・デライア族がすんでいた〈神の山〉のふもとの〈永遠の森〉に住んでいたネーレヴィスという種族が好む服装だ。彼らは自然とともに生きる民で、自分の守るべき木や泉や岩が存在し続ける限り死ぬことも老いることもないという不思議な種族だ。彼らは頭に月桂冠やフェロニエールを冠し、キトンをまとい、色とりどりの宝石で作られたブローチでキトンを止め、ペンダントを首に下げ、太い革ひもを編んで作ったベルトをし、編み上げサンダルを履いている。ネーレヴィスとラクァレ・デライア族はよく交流し、常によき友だった。

 そんなことを考えながら編んでいると、いつの間にか出来上がっていた。草を編んでベルトを作り、キトンを巻いて草ひもで止め、ベルトを腰に巻く。空けておいた穴から翼を通してあるので支障はない。我ながら、なかなかいい出来になったではないか。

 次は、もしこの世界で文明が発達しているなら、街を見つけること。そしてこの世界のことを知ることだ。

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