碧き炎に誓う

リュディオネ

第一章・解けた封印

第一節 死

  私は長く生きている。いや、生きていたというべきか。かれこれ二千年。私は確かに生きていた。

 それは滅亡としか言い表しようがなかった。誰のせいだとか、そういうことではない。存在を維持しきれなくなり、崩壊した。ただそれだけのこと。ただ一つ思い残すことがあるとするならば、もう一度……自由に生きたかった。それだけだろう。

 だが、もし——あの時、自由になることを選択していたら、世界は滅びていなかったのだろうか……いや、そうでもないだろう。滅亡は決まっていた。私が言っているのは負け惜しみだ。いつだって人間がすべてを壊してきた。まったくもって不器用な種族。その癖におごり高ぶり、それが自らの身の平穏を侵しているとは夢にも思わずに。

 私が仲間を率いて海の向こうへ渡っていたとて、あの破壊は免れなかった。止めたとしても然り。私がこの世に生を受けた時にはもうすでに、手遅れだったのだ。今思えば長く持ったほうだろう。だがせいぜいの時間稼ぎでしかなかった。

 魔法。それは美しく、同じくらい危険な術。なぜ魔法使いがいるのか?それは魔法を使いこなすことができるから。魔法とて物理と同じ。ただ存在している。使いこなせなければ死ぬ。刃を使いこなせなければ血を流すことは目に見えているのに、なぜ魔法ではそれがわからないのだろうか。

 人間はいつだっておごる。赤子ほども使いこなしておらぬ者が魔法使いと名乗る。本当はその域までたどり着ける者がごく少ない技であるのに、どこからか持ってきた自信で満足する。そして案の定暴発し、多くの命が失われる。いつだって繰り返してきた。もう崩壊は止めようがなかったのだ。

 願わくば——私は消えゆく意識の中でそう思った。願わくば、もし次があるとするのならば、自由に生きよう。せめて生きている間だけでも自由でいよう。死んでから自由を実感するのでは、明らかに遅いから。死んでやっと解放されることは、あまりにも悲しいから。


 ふと気づくと真っ白な世界の中にいた。私は違和感にまゆをひそめた。死後の世界の概念など私にはない。だからこれは明らかにおかしいのだ。

 その世界の真ん中にはぽつんと石像が立っていた。私は警戒しながら遠目に観察していた。

「こちらへ……来なさい……」

 そう声がした。ますます怪しい。私は反射的に後退った。

「こちらへ来なさい。」声ははっきりとそう言った。私は気づけば石像の目の前にいた。何が起こったのだろうか?

「あなたは死んではいません。永き封印が解けてしまいました。不本意ですが、あなたは再びこの世界に放たれるのです。喜びなさい。」

 冗談ではない。何がうれしくてこんな胡散臭い文句を信じるというのだ?私は死んだはずだ。戯言には付き合いきれない。

「貴様は何者だ?」

 声は威厳をもって答えた。

「わたくしは女神フローデ。」

 女神だと?余計に怪しくなってきた。

「貴様に何の権限があって女神を名乗るのだ?」

 声は答えない。いや、もう声の出どころはこの石像だとわかっている。どうやらフローデとやらの像のようだ。できるだけ神々しく作ったつもりなのだろうが、私に言わせれば安っぽい。私の敬う神はディラーカ様のみ。

 ディラーカ様は私の種族の信仰している神々の一柱だ。我らラクァレ・デライア族の信仰しているデライア神話は人間どもの信仰している心の狭い一神教ではなく、すべてに神が宿るという考え方を持つ多神教だ。ディラーカ様は狩りと哲学の神。人間が俗にドラゴンと呼ぶラクァレ・デライア族はみな自らが忠誠を誓う神を成人の儀の時に選ぶ。多くの者は炎と森の女神キアルナ様か風と歌の神ルーア様を選ぶのだが、私は幼いころからディラーカ様に心酔していた。故に選ぶ者の少ないディラーカ様を選び、その日から命尽きるまでの千七百年間お仕えしてきたのだ。

 話がそれてしまった。だが私の言いたいことは一つ。このどこの馬の骨とも知れない人間の〈聖教〉とやらの絶対神であるフローデに何を言われようと信じる筋合いはないということだ。私が忠誠を誓うのはディラーカ様のみ。後にも先にも彼の方のみなのだ。

「受け入れなさい、ドラゴン。あなたは二度目の生を生きるのです。」

 ならばなぜディラーカ様が私にそれをお告げなさらないのだ?デライアの神々は生きているときでさえ神託という形で進むべき道を告げてくださる。我らの王なのだ。

「なぜ貴様が私にそれを告げる?」

 私は思いきり口から碧い炎を吐き、石像を炎で包み込んだ。石像には傷一つついていない。

「デライアの神々は滅びました。あの異端ども、いい気味です!」

 女神はあざ笑うようにそう言った。

「ならば私が貴様を滅ぼそう。」

 私は咆哮を上げ、鉤爪で襲い掛かり、渾身の力を込めて炎を吐いた。そして鋭い突起の並ぶ尾を石像に叩きつけた時だった。石像が不意に消え、声だけが響き渡った。

「なぜ運命があなたを生かしたのかはわかりませんが、わたくしはあなたを異端と認定します!願わくば、あなたが想像を絶する苦しみを味わった後、審判で裁かれ、地獄へ落ちますよう!」

 女神も願うのか?無様だな……視界が真っ暗になっていく中で、私は最後に思った。フローデとやら、願うまでもない。私はもう想像を絶する苦しみを味わっている。おそらくこれから地獄に落ちるのだろう、と。

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