第41話
モールスの恨みとばかりに、美羽は楽しげに森崎と通話していたが、急に顔がくもる。
「え? これから? いや、でも……」
ちらと俺を見る。
「今日は予定があるからまた今度。こっちから連絡するって言っておいて」
しかし美羽は聞こえないふりをした。
「うん、わかった。いまからうちに来てよ。待ってる。うん。じゃああとで」
軽快な口ぶりで承諾して、美羽は通話を切った。
「……おい、清水と会うのはやめるのか?」
「会うよ」
「じゃあもう一度森崎に電話して断ってくれ。俺がいないときに森崎が来ても気まずいじゃないか。母さんは森崎に会いたくないだろうし」
「いいじゃない。異母兄妹なんでしょ。家族仲よくしたら? じゃあ、そろそろ行きましょうか」
美羽は鼻歌を歌いそうなほど上機嫌だ。
「俺も行かなきゃいけないのか?」
「当然でしょ。私が成仏したら弓弦の身体はどうなるの。すぐに交替しないと、ただの死体になっちゃうよ。そばにいてくれないと駄目よ」
ということは合体場面に立ち会わなきゃいけなくなるかもしれないのか。念願叶って美羽が成仏したあとの、清水と俺が裸で抱き合っている姿を想像すると、全身が凍りつく思いだ。
いや、これも美羽のためだ。償いだと思えば忍受できる。
だが無関係の森崎を無視するのも気の毒だ。
「待て、美羽」
「待たないよ。好きな方を選んでいいから」
「好きな方? 選ぶ?」
「バカだね、弓弦は。肉体を手に入れたら復讐したくなると思わなかったの? 思わないか。いまの私は素手で梓ちゃんを絞め殺すことも、お母さんのお腹に包丁を突き立てることもできるんだよ」
「……!?」
思わず息を飲む。
冗談だろと笑い飛ばすことはできなかった。美羽の眼差しが憐憫の色を含んでいたからだ。
「……本気じゃない、よな」
「弓弦が身を挺して守る大切な家族だって私には無関係だからね。直接手を下さなくても、警察に再調査してもらったり保険会社にちくったりできるんだよ、いまの私なら」
美羽の言葉の刃は容赦なかった。
「それで成仏できればいいなあ」
「美羽、お願いだ。代わりに俺の命で赦してくれ」
「どういうこと。弓弦の身体を切り刻んでもいいってこと? 死んでもいいってこと? もしお母さんたちを殺したらきっと弓弦も死にたくなるだろうね。仲良し家族だからね。自分が家族を殺した犯罪者になるのは耐えられないでしょ?」
美羽はふらりと立ちあがるとどこか遠くを見つめた。美羽の心はもっとずっと遠くに行ってしまったと思った。
「美羽、お願いだ。うちが変なのはわかってる。だけど」
「憎らしいよ、弓弦の家族。キモいと思った。でも同時に羨ましくもあったんだよ」
美羽は財布とスマホをリュックに放り込むと、部屋を出て行こうとした。
「時間だね。もう行かなきゃ」
「待ってくれ、美羽」
「見逃してあげるよ。弓弦は私によくしてくれたから。それに早く清水先輩といちゃいちゃしたいしね」
ついていかなくてはいけないとわかっていながら、足が重くて前進できない。
「好きにしていいよ、弓弦。私はさきに行ってるから」
母さんと梓に声ひとつかけずに、むしろ身を隠すようにして美羽は出て行った。俺は美羽の小さくなっていく背をぼうぜんと眺めるしかなかった。
だがほかに選択肢はないのだ。美羽の成仏を見届ける。俺の家族のためにも。かぶりを振って気力を奮い起こす。
もうすぐ森崎が来る。母さんは玄関で追い返すだろう。そこまで見守ってから美羽を追いかけてもいい。百メートル走もマラソンも大の得意だ。
『私はさきに行ってるから』
美羽の台詞が脳内でこだまする。美羽の魂がこの世から消える。その瞬間に立ち会えなければ、放置された俺の肉体も死ぬ。
深い意味で言ったのではないだろうが、これから起こる出来事を暗示しているようで、背中がぞくりと冷えた。
「ジ」
蝉の声で我に返った。玄関で固まってしまったようだ。続けて、インターフォンが鳴った。
「はいはーい」
ちょうど二階から降りてきた寝ぼけまなこの梓が玄関の戸を開けた。
「あ、お兄ちゃんのガールフレンドだ」
扉の向こうには緊張したようすの森崎哉哉がいた。ぎこちなく梓に笑いかけている。
その後ろに継母の真由美も。さらにその隣で渋カッコイイ中年男性は会釈をした。
「はじめまして。森崎哉哉の父で、森崎亜郎と申します。これは家内の真由美です。哉哉はお兄さんの弓弦君のクラスメートで、仲よくさせていただいてます。お母様はいらっしゃいますか?」
森崎亜郎の涼しそうな頭頂部が目に入った。顔立ちは悪くない。目と耳の形は哉哉にそっくりだった。
なぜ森崎家が勢揃いして高村家を訪ねてきたのだろう。
「いま、呼んできます。えっとぅ……森崎亜郎さん、ですね」
森崎亜郎がまさか俺たちの父さんとは知らない梓はじろじろと来客を眺めた。
あらためて父の顔を見る。霊体の特性を活かせば、梓以上にぶしつけに観察できる。
しかしとくになんの感情もわいてこないことが不思議だった。父親がいないことに慣れすぎているせいか。母さんが父親代わりをしっかりと務めてくれたせいか。なんの感慨も抱けないのは残念だ。
呼ぶまでもなく母さんはやってきた。書道教室用の部屋で生徒の習作を広げていたらしく、墨の香りをまとっていた。
「梓、どなたがいらっし──」
社交用の笑みが凍りつく。
「はじめまして。森崎亜郎と申します。一度きちんとお話をすべきだと思って、失礼を承知でお伺いしました。唐突な訪問で──」
「帰ってください。忙しいんです!」
母さんは梓を横にのけると扉を閉めようとした。三和土に俺のスニーカーがないことに気づいたのか、母さんが顔をしかめる。
「梓。向こうに行ってなさい」
「待ってください。せめて話だけでも」
「私たちの世界に入ってこないで!」
母さんは必死に彼らを追い出そうとしている。森崎一家を一歩も踏み込ませたくないと母さんが望むなら、俺は従う。
だが肉体を持たないいまは何をすることもできない。
見ていることしかできないのが、はがゆい。
扉に鍵を閉めた母さんは浅い呼吸を繰り返しながら梓を振り返った。
「弓弦がどこに行ったか知ってる?」
梓は首を振り、逆に訊ねた。
「お父さんを帰しちゃうの? どうして?」
梓の口から『お父さん』という単語が出てきて驚いたのは俺だけではなかった。ぎょっとした顔で母さんは立ちすくむ。
梓は乱暴に母を押しのけて鍵を開けた。
「お父さん、待って!」
「お父さんじゃありません!」
母さんの声はむなしく響いた。開いた扉から一斉に蝉の声がなだれ込んでくる。
「お父さん、お父さんでしょ!?」
「梓……ちゃん」
振り返った真由美の腕の中に、梓は飛び込んだ。
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