第31話

 試験は滞りなく終了した。

 清水からは『くたばれ』以降にメッセージは来ていない。


「……おう、どうだった、高村」

 神田が悲壮な顔で声をかけてきた。嘘のつけない性格の神田である。


「人事を尽くして天命を待つ。そっちは?」


 美羽は余裕の笑みだ。


「赤点だけは避けたい。願わくば高村が補習になって、俺が梓ちゃんとデートできますように」

「今日は金曜だろ。試験結果が出るのは……」


 神田より先に美羽に教える。


「採点用紙が返ってくるのは月曜から。総合順位は火曜の午後に貼りだされる」

「よし、結果が出るまで休戦だな」


 美羽と神田は互いに拳をつきあわせて、別れた。

 教室にはまだ森崎が残っている。クラスメートの女子とだべりながら合間に美羽のほうをちらちらと見ている。意識しているのは一目瞭然だ。

 かたや美羽の方はというと、熱心にスマホに文字を打ち込んでいる。

 どうやら『試験終了のお知らせ』を清水に送りたいらしい。


「あっちは明日まで試験なんだろ。あれ? 明日は土曜日だよな?」

「特待生の特別試験があるのよ」

「一日ぐらい我慢しろよ。あと身体、替わってくれよ。森崎に声をかけたい」


 森崎の視線をことごとく無視するのはやめてほしい。


「そうね、替わってもいいけど……ああ、もう!」


 清水からの返信はモールス信号だった。

 内容は『にちよう どう』だ。なにがどうなんだ。どういう意味だ。


「なんて書いてあるの?」


 美羽は上目遣いで俺を見る。頼られるのは少しばかり心地いい。


「しばらく忙しい。連絡するまで待ってて、だって」

「ええ~」

「なあ、おい。交代してくれよ」


 森崎が帰り支度をしている。教室を出る前に声をかけたい。

 いまこのときにつれない態度をとることが、なぜかはわからないが、最悪の結果を招く気がした。

 教室の戸が開き、森崎が出て行こうとしたタイミングで、


「高村」


 クラス担任の浜田に呼ばれた。


「ちょっと来い」


 その横を森崎がすり抜けていく。


「もう身体は大丈夫なのか」


 いまさらな問いかけに首をひねる。

 美羽は無難な返しをした。


「はい、おかげさまで。ご心配お掛けしました」


 連れて行かれた校長室には、校長、学年主任、英語の担任、数学の担任がずらりと揃っていた。

 嫌な予感しかない。

 勝手にフェンスを乗り越えたことがいまになって問題になっているのだろうか。


「まあ、そこに座りなさい」


 革のソファに浅く腰掛けた美羽は全員の顔を見渡しながらそつなく頭を下げた。


「このたびはご迷惑をおかけいたしました。先生方がご心配になるようなメンタルの問題ではありません」

「きみが飛び降りでなくて本当によかったよ。スマホを取ろうとしてフェンスを越えてうっかり、だったよね。怪我もなく試験を受けられたのは喜ばしいことだ。ところで、きみが呼ばれたわけがわかるかね」


 校長はこほんと空咳をして美羽を掬い上げるように眺めた。


「……事故に関連することではなさそうですね」

「これは期末試験のきみの解答用紙だが」


 校長はふいにテーブルに用紙を並べ始めた。たしかに高村弓弦の名前が入っている。昨日までの試験の結果だった。

 ちらと覗いたとたんに、ぞわりと背中に悪寒が走った。ほぼ満点だった。

 偏差値が20以上違うとはいえ、ここまで差が出るものなのかと驚いた。しかも美羽は一学年下なのだ。さらにいえば試験範囲の勉強などは一切していなかった。


「死ぬには惜しい逸材だったんだなあ」


 俺は素直な感想を漏らしていた。美羽が「頭がいい」と評する清水の賢さは、きっと俺には理解できないレベルだろう。素直に羨ましく感じた。

 だが美羽はにこりともせず、抑揚を欠いた声をだした。


「カンニングを疑っていらっしゃるのですか」


 どきりとした。その発想に至らなかった自分が恥ずかしい。

 校長は笑顔を保ったままだ。


「今日の試験の分も、きみのだけはさきに採点させてもらったよ。驚いたね、正答率は95%を超えている。これまではぎりぎり赤点を免れていたきみがどうしたんだね。まるで別人のようじゃないか。まずはきみの話を聞きたいと思ってね」


 美羽が一瞬だけ俺の方を見た。その目は「あんたバカすぎ」と語っているようだ。


「カンニングをしたという証拠はあるのでしょうか」

「いや、それは……」

「正直に答えなさい。やりかたも含めてすべて先生に話しなさい」


 担任の浜田が肩を怒らせて問い詰める。体調を心配するふりをしながら、カンニングを確信していたような口ぶりだ。


「もしカンニングだったら、どうなりますか?」


 美羽は冷静に問う。


「最悪は退学。よくても停学は免れない。反省の弁はないのかね。いまから親御さんを呼ぶから、待っていなさい」


 学年主任が名簿を開く。連絡先番号を指で押さえながら受話器に手をかける。


「たしか高村君は片親でしたね。母親は書道教室を運営されているようですが、いったいどんな躾をしているのやら」


 失礼なことを言われているのにも気づけないほど、俺は焦りまくった。

 母さんに連絡されてはまずい。不正やズルを嫌う母さんは膨大なショックを受けるだろう。失望させてしまう。

 美羽に身代わりを頼むのは明らかな不正だという自覚はある。自覚はあるが良心の呵責はない。不正はバレなければいいのだ。

 すべては美羽にかかっている。

 俺は両手を合わせて美羽大明神に祈った。


「美羽、頼む。なんとかごまかしてくれ! 俺のために!」


 うつむいていた美羽はゆっくりと顔を上げた。


「では正直に言います」

「うん、そうしなさい」

「事故のせいです」

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