第8話
「ええ?!」
「うわあああ。悪夢だ!」
本当に言いやがった。俺は頭を抱えた。
「一回だけ、一回だけ抱いてくれたら充分です。一生の宝にします。好きになってくれなんて高望みはしません。清水先輩は忘れてくれてかまいません。僕も忘れます」
「そういうのは」
「ストレス発散にでも性欲処理にでも使ってください。タダですよ。後腐れないですよ。あ、同性の身体だとムラムラしませんか。精一杯奉仕します。初めてだからうまくできるかわからないけど、でも」
俺は美羽を思い切り殴りつけた。僅かな反発の手ごたえがあるだけで、まったく何の効果もない。
清水は困惑の表情で「うーん」と唸って頬をかいた。
「自分を大切にしないとだめだよ。性欲処理なんて言葉を聞くと悲しくなるよ」
そう、美羽を諭した清水を前にしてぞくっとした。高校生男子相手に高校生男子が言うセリフとしてはキレイごとすぎる。とはいえ自分の身体の貞操がかかっているとなると、よく断ってくれたと賞賛したくなる。
ただし、その手が美羽の頬を撫でているのが腑に落ちない。おい、ちょっと待て。
「清水、先輩……」
「同性かどうかは重要じゃないよ。僕はまだ17歳だし、恋も数えるくらいしか経験がない。これまではたまたま女性としかつきあってないだけで、これからの何十年もの長い人生で同性を好きになることはあるかもしれない。まったくわからないことだけどね。でも少なくとも偏見や差別意識はもってないつもりだよ。だから、そんなに自分を貶めた発言はしないでほしい」
期待を持たせるようなことを言うな、クソたらし野郎。
こいつみたいな偽善者は大嫌いだ。
「はい……!」
美羽は魅入られたように清水をみつめている。俺の肉体が、メットを被ったまんまの優男を見上げて目をとろんと潤ませている。
なんでこんなえげつないものを見せられないといけないんだ。辱めを受けなければならないんだ。まるでホラー映画だ。
清水は小さく笑って、あろうことか、美羽の頬についばむようなキスをした。
なにしやがるんだ、てめえ。俺の身体を汚す気か。
「あ……」
美羽は恥じらいの表情を浮かべて、顔を真っ赤にした。
これが俺の顔じゃなけりゃ可愛いと思ったかもしれない。いや、実際に可愛かった。自分の肉体なのに、こんな表情も出来るのかと驚いて、直後に猛烈な悪寒に襲われた。
俺の知らなかった新しい扉を勝手にこじ開けられていく恐怖だ。
いや、新しい扉なんかない。あったとしても爆破する。セメントで埋めて地下深くに封印する。
などと決意しているあいだに、あろうことか美羽は目を閉じて唇を突きだした。
「おかわりください」
「やめろー!」
「今日はここまでにしておこうね。僕はまだきみのことをよく知らないから」
美羽の肩をぽんと叩いた清水を見て、ほっと胸を撫で下ろした。清水はこれ以上進むことを望んでいないとわかったからだ。
美羽ははっとしたように目を開けて、「はい、わかりました」ともじもじしながら答えた。
この清水という男は危険な香りがする。
「ほら、受験勉強の邪魔しちゃだめだろ。帰るぞ」
これ以上、俺の身体を美羽の好き勝手にさせてたまるか。
「清水先輩、帰ります。時間を割いていただき、ありがとうございました」
美羽は深く頭をさげて、思いのほかあっさりと家を出た。
七月初旬とはいえ気温が下がらない、夏の夜だ。むっとした湿気を感じた。
もと来た道を戻りながら、俺はなるべく冷静な口調で話しかけた。感情がメーターの上限を超えると、かえって冷静になるものだ。
「清水ってちょっと変わってるな。蛍光灯が割れる想像をして、怖くてヘルメット被ったとか。心配性なんかな。悪い奴じゃなさそうだけど。なあ、フラれて諦めがついただろ」
美羽はにいっと笑った。
「なんだよ、気持ち悪いな」
「フラれてなんかいないでしょ。勝負はこれからだよ」
「清水は無理だって。失恋したんだよ」
「私のことをもっと知りたいって言ってたじゃん。ゆっくり愛を育みたいって」
「いや、そんなこと絶対に言ってない。都合良く解釈すんな」
美羽が聞き分けよく清水家をあとにしたのは甘い期待を抱いたからのようだ。なんと罪深い男だ、清水慈音。
「なあ、他にもあるだろ、未練が」
恋人のいない俺だったら心残りはまず一番に家族だ。自分が死んだあと、家族がちゃんと暮らせているか気になってしまうだろう。
「よし、美羽の家族に会いに行こう。おまえのうち、どっちだ?」
「えー?!」
美羽は眉根を寄せた。
「仲悪かったのか?」
「うーん、まあ。無関心の集合っつうか」
その言い草に逆に興味をひかれた。美羽の家族に会ってみたい。
「えー、会っても成仏はできないと思うよ」
「俺が見たいんだよ。それに事故についてもなにかわかるかもしれない。記憶ないんだろ、おまえも。それですっきりして未練がなくなったりして」
「いろいろ、悪趣味だなあ。個人情報じゃん」
と言いつつもまんざらでもないようすに感じるのは俺の希望的観測だろうか。
「おまえに言われたくないよ。身体の貸し賃だと思って案内しやがれ」
「いいけどさ、弓弦の学校のそばを通るから、ついでに寄ってみようよ」
「俺の高校に? なんで?」
「屋上で、記憶を拾えるかもよ」
俺たちは似た者同士だ。どちらの記憶にも穴が開いている。
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