第7話

 美羽は俺を無視して先を歩いていく。このまま身体の支配権を奪うつもりじゃないだろうな。

 ぞっとした。肉体と霊体がしばらく離れ離れになると霊体のほうは干からびてしまうと美羽は言っていたじゃないか。美羽の気分次第で俺は永遠に体を奪われるのだ。早く美羽を成仏させなくては。


「先輩、どうして家の中でヘルメットを被っているんですか?」


 リビングに通された美羽はソファの端っこにちょこんと座って首を傾げた。

 飲み物を用意すると言ってキッチンに向かったヘルメット着用状態の清水の背を一途な目で見つめている。

 だから、目の前に立って邪魔をしてやった。


「おい、返事しろよ。男の身体だけど『中身は美羽です』って言うのか。びっくりするだろう」

「言わない。……先輩は私の存在を知らないから、名前は意味がない」


 美羽の声はひそめられていたが硬く尖っていた。


「ほんとに、一方的に圧倒的な片思いなのか。清水は生前の美羽を知らないのか。じゃあ、いったい……?」


 ゴールが見えない。俺は嫌な予感を覚えた。


「ヘルメットはねえ、さっき蛍光灯を交換してたんだけど……」


 清水はキッチンから間延びしたノイズのように語りかけてくる。


「万が一頭の上で蛍光灯が割れちゃったらって想像したんだよ。細かい破片が地肌と髪の毛の間に潜り込んだらどうしようと思ったら怖くてさ。ヘルメット被って対処してたんだ。これは単なる脱ぎ忘れだよ」


 清水がそんなどうでもいい説明を続けているあいだにも美羽とのひそかな会話は進行する。美羽は俺に向かってきっぱりと言った。


「高村弓弦として告白して、身体を重ねるの。初めてのエッチ。エッチできたらもう死んでもいい」

「ふざけるな!!!」


 他人の身体をなんだと思っているのか。さっさと体から出ていけ。


「言ったら貸してくれなかったでしょ」美羽は俺に向かって両手を合わせた。「一回だけ、一回だけでいいの。それで成仏できるから。未練はきれいさっぱりなくなるから」

「ふざけるな。女の子とキッスだってしたことがないピュアな身体なんだぞ」

「へえ、そうなんだ。心苦しいけど、ほんとにごめんね」


「それでね」清水の説明はまだ続いている。「このヘルメットは自転車用なんだけど素材がカーボンファイバーでできていて軽くて丈夫なんだよ。被っていたことをうっかり忘れちゃうくらいなんだよ。ほかには飛行機やロケットにも使われていてね──」


 清水の蘊蓄を無視して、俺は美羽だけに集中した。集中しないわけにはいかない、なんとか美羽に諦めてもらわなければ。


「ほかにもっと重い未練ないのか。そうだ、美羽の家族に会いに行こう! 家族の顔見て安心したら成仏しよう。レッツ成仏! なあ、心残りあるだろう、家族に」


 説得は効をなさないどころか、むしろ美羽は苛立ちをあらわにした。


「エッチさえすれば今すぐ成仏できるのよ。私が悪霊になって未来永劫苦しみ続ければいいとでも思ってるの?! 人でなし!」

「そんなこと──」


 俺は自分の肉体を他人の下劣な欲望で汚されたくないだけだ。


「お待たせ。きみ、変わったパジャマ着てるね」


 清水がホットコーヒーを持ってきた。時間がかかっていたのはわざわざドリップしてくれたからだろう。


「ありがとうございます」


 美羽が頭をさげると、俺もつられて顔を傾けていた。


「ごめんね、僕、よく覚えてないんだけど、きみは……」

「はい、すみません。後輩というのはうそです。高村弓弦って言います。清水先輩にずっと片思いしていたのは本当です。さっきは感極まって泣いちゃって……困らせてすみませんでした」


 後輩は嘘ですと言いながら、清水先輩と口走る美羽。俺と清水は同学年だから先輩という呼称はおかしいことにも気づかないほど動転しているようだ。それほどこの男に夢中なのだ。

 よほど魅力があるのだろうと思うが、清水をヘルメットからつま先まで眺め回してみても、魅力を発見できない。首を捻るしかない。


「ああ、そうなんだ。僕のこと、どうして……どこで知ったの」


 いや、そこいいだろ。さっさとフレよ! 頼むから、さくっとビシッとフッてくれよ。


「かっこよくて頭もよくて優しくて。理想なんです! 清水さんが大学受験に専念するために部活を辞めたことも知ってます。そんな大事な時期に、邪魔をする気はなかったんですが、どうしても、どうしても思いが抑え切れなくて、すみません。あの、」

「気持ちはうれしいよ。好意はありがたいと思う、だけど」

「逆接の接続詞はまだ待ってください。もう少し考えてくれませんか。同性だからですか。清水さんは同性とおつきあいしたことないですもんね」


 美羽の目元はまた潤み始めた。

 清水はソファに座った。美羽の隣に寄り添うように。


「うん、ないね。でも、そういうことじゃなくて」

「だったら、一回でいいんです。抱いてください!」

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