第2話
そこへ中年女性が走り寄った。派手な化粧、ブランドのスーツ、ハイヒール。殺風景な待合室が華やかな色に染まる。
「遅いから心配したのよ。さあ帰りましょう」
「ママ。クラスメートが入院したの。無事を確かめるまで帰らない」
「それは……哉哉には関係ないでしょう」
どうやらケバい中年女性は森崎の母親のようだ。まったく似ていないが、森崎も化粧をしたら、ああなるのだろうか。
「関係なくなんかない。だって……高村君は……」
「哉哉……」
森崎は口ごもってうつむいた。
俺はなんて鈍いんだろう。そのときになってようやく、森崎は俺のことを好きなんだと理解した。
脳内にファンファーレが鳴り響く。
森崎は二ヶ月前に転入したばかりで、なにかと控えめで遠慮がちな子に見えたけど、優しくて健気なんだな。
誤情報だよって言い出しにくい雰囲気だけど、声をかけて早く安心させてあげなくちゃ。でもいまの俺、すごく汗臭いかも。
ほんのわずかなあいだ、逡巡していたら──
看護師が戻ってきた。
「高村弓弦さん、弓と弦の字でユヅルさんですね。5階の501にいらっしゃいます。他の家族の方が付き添ってらっしゃるそうです」
「容体は」
「病室を直接訪ねてけっこうですよ」
看護師が森崎を呼びにきたせいで俺の声はかき消された。
「じゃあ、行ってくるから。ママは帰って」
「でも……」
「じゃあ、一緒に病室に行きましょ?」
森崎ママは娘の強気な態度に首を振り、ため息をついた。
「わかったわ。家で待ってるからね」
外に待たせていたらしいタクシーで森崎ママは敗北者のように去っていく。その背を追う俺の心中はもはやロミオだ。
「森崎」
森崎は小動物のようにひょこんと頭をあげて、俺を見た。正確には俺のほうを見た。だが視線が合うことはなく、すぐに看護師に向き直って、案内されたエレベーターに向かった。
「あ……」
もっと大きな声を出せばよかった。
ふと、ひとつの疑問が浮かんだ。森崎は同姓同名の別人を心配しているのではないか。
だが高村弓弦という名前は珍しいほうだろう。しかもクラスメートに絞れば俺しかいない。
となると、501号室の高村弓弦は誰なんだ。
考えられるのは、誰かが俺に間違えられている……。そいつはきっと顔を怪我している。家族が気づけないほど包帯でぐるぐる巻きにされているのかも。『他の家族の方が付き添っている』という家族とは、おそらく母さんと妹だろう。
早く誤解を解いて、無事な姿を見せてあげなきゃ。
そんなことを考えているうちに、森崎をのせたエレベーターの扉は閉まってしまった。他に3機あるエレベーターは、上階で停滞している。
エレベーターの横に階段があった。一息に駆け上がる。
「きっつ……」
荒れた息を整える。体力だけが自慢なのに、恥ずかしいやら悔しいやら。五階の廊下に出ると、すぐのところに森崎がいた。目の前の病室が501のようだ。
だが森崎は入口で呆然とたたずんでいる。なにかショックなものがあるのだろうか、ようすがおかしい。
肩越しにそっと中を覗く。
個室だ。なにやらよくわからない機械が機動音を立てている。
ベッドの上には見覚えのある姿が横たわっている。──俺だ。
てっきり顔に包帯がぐるぐる巻きされているかと思ったが、そんなことはなかった。だが俺のはずはない。誰かは知らないがそっくりさんがチューブに繋がれている。
ベッドのそばの椅子に腰かけてうなだれている女性がいる。
「母さん、俺は無事だよ!」
ありったけの声をはりあげたが、母さんは何の反応も示さない。やがてゆっくりした動作で赤くなった目元を手の甲で拭ってから、血色のない顔を森崎に向けた。
「……弓弦のクラスメートさん?」
「はい」
「母さん!」
「せっかく来てくれたのに、ごめんなさいね。いつ目覚めるか、お医者さまにもわかんないとかで……」
母さんの喉から砂利を吐くように声がカサカサとこぼれていく。こんなに憔悴した母さんを見るのは初めてだ。生徒を叱りつける厳しい書道の先生には見えない。
「なんで高村君が。どうして」
森崎の声はか細く、震えていた。小柄な体がますます小さく縮こまっている。怯えたうさぎのようだ。
一方、病床で横たわる『高村弓弦』は血色がよく肌が艶々としている。顔にはうっすら笑みさえ浮かべている。
「ほんとに、どうしてなのかしら。まさか弓弦みたいなチャラチャラしたバカが自殺を図るなんて」
「は? 俺が自殺? チャラチャラしたバカはないだろ、母さん」
「自殺……なんです、か?」
俺のツッコミは無視されて、母さんと森崎の会話が続く。
「まだわからない、けど、今警察が調べてる。わざわざフェンス越えて、学校の屋上から飛び降りたのなら、事故だとは思えないでしょ」
「……そうですね……」
学校の屋上から飛び降りた、だって。俺はチャラチャラしたバカではないし、悲観して自殺するタイプでもない。誤解してもらって困る。
母さんにうながされて、森崎は椅子に腰掛けた。そのすぐ後ろに俺は立ったが母さんとは目が合わない。この時点で、俺も察しはついていた。
その考えは背筋を凍らせた。
パタパタと廊下を走る足音が聞こえ、妹が病室に滑り込んできた。
「そこの自販機は品切れだったから別棟まで遠征してきたよ。あれ、お兄ちゃんの友達? こんにちは。よかったらコーヒーどうぞ」
「あ、俺にも」
俺が伸ばした手に妹の腕が触れた──ような気がしたが、何の感触もなかった。不思議な光景だった。俺の手が妹の体にめりこんでいる。
「きっっっっっも……!」
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