episode.30 怒りの行く先
「帝国を動かせ」その言葉の意味が理解できずにいた、王妃教育の一環で帝国との関係性は理解している。魔族との戦争の折、魔王を封印した後に王国内で不満を持った者たちが国を出て立ち上げたのが帝国なのだと。その歴史もあってか両国の関係は決して良好なものとは言えず、小競り合いが各地で頻繁に起こり常に緊張した状態が続いていると。
その帝国を動かすとなれば、一押しするだけで望むような方向へと傾くとは思うが果たしてそれは本当に私の望む結果をもたらしてくれるのだろうか。関係のない両国民を巻き込んでまで、復讐のために国を動かした戦果を巻き広げて良いものなのかと考え込んでしまう。
「ほっほっほっ、動かせといっても簡単に戦争を起こせとい事ではないぞ」
「それでは……一体」
「帝国の中枢に潜り込み、小さな戦力を持って最大限の戦果を成せ……じゃ」
「なんですか、それは」
「簡単に教えんぞぉ、自分で考えてみぃ。ここに居る間にな」
そう言いながら長老は高笑いを上げて家を出ていった、それについていくかのようにしてセブンスも出ていく。残された私はその言葉の意味を考えていたが答えは簡単に出そうにない、復讐を成し得るために何を差し出し、何を犠牲にするのかと。果たしてその結果に私は耐えられるのだろうか。
「あら、お話ぁもうおしまいなんかい?」
「あ、今終わりました」
覗き込むようにしてエインの奥様が話しかけていた、一旦は考えるのをやめて食事が出来ているとの事で案内される、この村に滞在していいる間はこの家に住んでいいとのことなのでしばらくは厄介になる予定となる。夫婦も「娘ができたようで嬉しい」とは言ってくれていた。善意なのかも知れないが、今はこの温もりが骨身に染み渡っていく。
(はははっ、知らぬ間に腑抜けたか)
(急に何……ラース)
頭の中で声が響くように聞き覚えのある声が聞こえていた、私の中に宿ったと言われていた憤怒の力を化身としたラースに、まさかもう一度声をかけられるとは思ってもみなかったですが。
(いやぁ、怒りが薄くなってるなと思ってな)
(今は話しかけないで)
「エレナさん、うんめぇもんじゃなかったか?」
「いえ、そんな事無いです……とても美味しいですよ」
「あらぁ、そう?」
「えぇ、本当にありがとうございます」
(おいおい、こんなもんに絆されやがって)
(黙って……)
(なーにが温もりだ、甘っちょろい)
(………)
無視をすることも聞こえないふりをすることも出来ない、せっかくの安息の時間がラースによって少しずつ焦がされていくように感じる。
(こんな簡単に消えていいほどなのか、お前の怒りは)
(そんなわけ無いでしょ)
(なら何故こんなところで油を売っている)
(油を売ってなんて……)
「エレナ?」
「もしかして、体調よろしくないんかいな」
「昨日の今日じゃけぇの」
「すみません、部屋に戻らせて頂きます」
そう言い残し私は食事も半ばにして部屋に戻っていく、ここで過ごすならと家の一室をあてがってくれていたので足早にその場を去る。エインとその奥様が心配そうな表情をこちらに向けていたが、申し訳ないと思いながらも私の中にいるラースがそれ以上居座ることを許さなかった。
(なんだ、逃げてどこに行く)
「関係ない……」
(そうやって逃げ続けてどこに行く)
「煩い」
(はははっ、お前には逃げることはできんよ)
「うるさいっ!!」
(そう簡単に怒りの感情は消せんよ、お前の内に生まれた俺はな)
今の私が感情のままに身を動かせば帝国を動かし王国との戦乱を巻き起こそうと画策することでしょう、かつて令嬢として教育を施されそれに加えて王妃教育にも触れていた私にとって、それは決して難しくないことだと知っている。
小競り合いを激化するようにと、この力を持って互いの国へと身がバレないように攻め込めば小さな火種を生むことは出来る。それが大きな戦火となるまで、そこまでの時間はかからないでしょう。
(まぁ、こんな腑抜けに宿ったも俺も俺だが。この魔王の力とやらを授けたあの女も女だな)
「今なんて言った」
(死んでいったあの男も、力を授けた女も馬鹿な奴らだったなぁって言ってんだよ)
「黙れっ……貴様ぁっ」
(どうする事も出来ないぜ?お前の中に俺は居る、それに間違ってはいないだろ)
「その想いを踏みにじるなよ、ラースっ!!」
(はははっ、何を勘違いしている。それはお前が弱いからだよ)
「私は弱くないっ」
(弱いさ、力もなければそれを手に入れるための対価を差し出すのも怖いと来た……臆病者の弱者だ)
部屋の中で一人ラースとの会話がいつの間にか続いていた、話せば話すほどに沸々と込み上げてるくる感情がある事に気がつく。頭を抱えてうずくまるようにしてその場で伏せるが、その声は次第に大きくなる。
(お前の為に死んでいった奴らはまさに犬死だな!)
「黙れぇっ!!!」
その瞬間、吹き出すような怒りと共に頭の中の何かが切れたような感覚に襲われ次第に理性が失われ抑えきれない衝動が全身を包み始める。次第に体は熱を帯び始め、煮え滾るような熱さが内から痛みつけていた。
「がぁっ、なにこれっ」
(はははっ、一度蓋は開いたんだよ。そう簡単に抑え込めると思うなよ)
「何を言ってっ…がぁぁっああっ」
異変を感じたのかエインが慌てた様子で部屋の中に入ってくるのが見えたが、私は意識を保つのに必死で呼びかけられる声に反応する事は出来ないでいた。このままここにいてはいけないと思い入口に立っていたところを跳ね除けながら外へと飛び出していきしばらく走り続ける、誰もいないところで抑え込むか最悪の場合はこの感情を発散させるためにと。
(おいおい、逃げるな。受け入れれば楽になるぜぇ)
「はぁっはっはぁっ、一体何が目的」
(決まってんだろ、お前を乗っ取るためさ)
「……貴様ぁっ」
家を飛び出し走り続けていると、村の住人と肩がぶつかりその場で倒れてしまった。
「いたっ、大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫……ですから」
「すみません、ぶつかってしまって」
私の方を心配そうに見つめながら手を差し伸ばしてくれていた、が(私のことは放っておいて)と思わずにはいられなかった。これ以上誰かと接するのはまずいと本能的に感じている。このままでは取り返しのつかないことになりそうな。
「あ、先日村に来ていた人族の方ですね、ころばしてしまってすみ……」
「てめぇ、どこに目ぇつけてんだこらぁ!!」
「えっ」
「ぶち殺してやろうかぁっ、あぁっ!?」
やめて、こんな事を言うつもりはないのに。静まり返った静けさの中で、砂利を擦る音だけが響き渡っていた。
(はははっ、いいねぇ。ようこそ、本当の意味での憤怒の世界へ)
「あっ、いや……これは、その…」
気がつけば周囲にいた住民たちが何事かと集まり始めていた、誰がどう見ても私のほうが悪く映ってしまうのは明白だった。これ以上は些細なことで感情の噴火が起きてしまいそうな程に限界を感じていた。自身の思いとは裏腹に、周囲に対して怒りの感情をぶつけたくなるようで、それこそがラースの言う憤怒の世界へと足を一歩踏み出すことで他ならない。深く潜り込めば戻れなくなるような。
辺りからは「人族は野蛮だ」「大丈夫なのか」などと私を非難したり恐れを抱くような声が端々から飛び出していた。それらを掻き消すかのようにまた私の口から罵倒するような言葉が、飛び出してしまった。
「ごめんなさい、本当にっ」
咄嗟に口を押さえ、集まった人混みをかき分けるようにして村の出入り口がある場所に向かって走っていく。村の出口にはセブンスが立っており長老となにやら話しをしていたのが見えた。今の私には人気のないところに向かっていくだけで精一杯、周囲の状況を見ることなど出来ずにそのまま突っ切ろうとする。
「おや、エレナ様。そんなに慌ててどうされました」
「なんでもないっ!!!」
「エ、エレナ様?」
その表情が目に入った瞬間、逆ギレにも八つ当たりにも似た感情が溢れ出し止めることは出来ずになる。もうすでに理性など消えかけており、私の中にあるの憤怒の力に支配されつつある怒りの感情のみとなる。
「てめぇがあの時私を逃がすからぁっ!!」
「エレナ様、落ち着いてくださいっ」
気がつけばセブンスに向かって殴りかかり体から炎を溢れ出させていた、必死に感情を抑えようとするが体はもう言うことを聞かない。何度も何度もセブンスに向かって殴りつけながらも「私を生かしてどうしたいのっ」「何で私だけ生かした」「何で他の魔族は手を貸さない」などと叫び続ける。
(そうだ、もっと深く潜れ。そうすれば俺は……)
「エレナ様、どうか落ち着いてお話しを」
「うるさいっうるさいっうるさいっ」
「そんなエレナ様、魔王様が見たら何と言うか!」
「死んだやつなんかっ、最期まで母親である事を隠していたやつの事なんて知るかっ!!」
次第にセブンスの腕は毛を燃やし尽くし地肌が見え始め、腕からは血が流れ落ちていた。そんな光景を冷静に見ている実感はあるが何も出来ないでいる。怒りに我を忘れ、感情のままに動き続ける。
だが、隣りにいた長老が見かねたのか高く飛び上がり、上空から杖を立て私の元へと落ちてきた。立てられた杖は私の背中を押さえつけるようにして地面に押し込み、そのまま身動きが取れなくなる。抵抗しようと炎を吹き出させるが、影から出てきた黒い手のようなものが何層にも積み重なるようにしてのしかかり、完全に私の動きは封じ込まれてしまった。
「なんじゃ、お主。弱くなっていおるの」
「うるさいクソジジイッ、離せどけ!!」
「威勢のいいガキに成り下がりおって、何事じゃ」
(おいおい、怒りが足んねぇからこんな事に)
「クソジジイもお母様を裏切ったっ!」
「何を言っておるんじゃ唐突に」
(ほれ怒れ怒れ、理由はどうであれそれをぶつけろ)
「くそっ、くそっ。どいつもこいつも腹立たしい!!」
しばらく拘束されていると水が流れ落ちていくように抱いていた怒りが引いていくのを感じ、徐々に理性が戻り正気になっていった。先程までの行動がまるで自分以外の何かが起こしたようにで信じられないが、この状況が全て真実であったと物語っている。
(ちっ、時間切れかよ。俺も眠くなってきたわ……)
「なっ、待てっ!」
(またな、遊びに来るぜぇ)
正気の戻った私私には抵抗する気力もなく、そのまま力を抜いていく。それを感じたのか上に乗ったままの長老は降りて私の目をじっと覗き込む。
「どういうつもりじゃ」
「ごめんなさい、私にも何がなんだか……」
「誰かと話しておったの?」
「言っても信じてもらええないかもしれないけど、ラースと呼ばれる存在」
私は影の手がなくなったのを感じ、その場に立ち上がる。そのままセブンスの元へと駆け寄り私が殴り焼いたその腕を確認する。状態は決していいとは言えず、表面は焼き焦げていた。それを見て後悔の念にかられながら俯いていると「大丈夫ですよ」と優しく話してくれた。でも、その優しさが逆に私の心に深く突き刺さる、未熟さが招いた結果なのだから。
すべてを吐き出した後の静寂では何も言えず、さすろうとする腕を引き留めることしか出来ずにいた。
「ラースとなるとまさか、憤怒の力かっ!?」
「長老っ、ご存知ですか」
「ご存知も何も、人族の力じゃろうて」
「そうなんです、私もそれ以上のことは知らなくて」
「儂が聞いとる話では魔族に対抗しうる力だと、人の感情を喰らい増幅させ、限界を超えていく力じゃと」
「憤怒の力とは聞いています」
「ならば怒りの感情が糧となり、増幅させておったのじゃな」
些細なことでも怒りを感じさせるほどの増幅、それにまたラースはやってきそうな言葉を残していた。これが何度も続くようであれば帝国を動かすどころか、周りに危害を加えないようにと一人で行動していかなければならなくなる。先程まで、この力を持ってバレないように互いの国に攻め込んで戦争を誘発させると考えていたが、それはかなり厳しそうにも思えてくる。
「じゃが、制御さえできれば大きな力となるじゃろうて」
「制御って、そんな簡単に……」
「なぁに、誰しも火事場の馬鹿力というものは持っておるからのぉ」
そう話す長老の顔は、なにやら悪巧みをしているような雰囲気をまとっていた。
「ほっほっほっ、久々に鍛えがいがあるのぉ」
「ちょっ、お手柔らかにお願いします。ほら、私って貴族の令嬢として生きてきたので、兵士とか戦士ではないですから」
「何を言うておる、片足突っ込んだなら肩まで浸からんかい」
「ひぃっ」
そうしてこの日から地獄のような日々が幕を上げた。
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