立候補

増田朋美

立候補

杉ちゃんと蘭は、用事があって、富士駅近くの呉服屋さんへ出かけた。その帰り道、いつも通りに、横断歩道をわたって帰ろうとしていたところ。駅前広場にたくさんの人垣ができていた。その中心に、りんご箱を重ねて作った即席の舞台の上に乗って、女性が一人、拡声器に口をつけて演説していた。

「戦前の日本にはこういう言葉がありました。子どもは国の宝だ、と、様々な階級の大人が話しておりました。私は、その言葉をもう一度日本で聞けるような社会にしたいと思い、今回の参議院選挙に立候補させていただきました。」

と、女性はそういうのであった。蘭は、拡声器を外した女性の顔を見て大いに驚いてしまった。

「妙ちゃんじゃないか!」

と思わず言ってしまって、その場を動けなかった。すると、演説をし終わった女性が、蘭の方を見て、

「蘭ちゃん!」

とおもわず言ってしまう。

「お前さんたち知り合いだったのかい?」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ、知り合いって言えば知り合いですけどね。学生の時、同じクラスだったんだよ。」

と、蘭は言った。

「はじめまして。久保妙子です。」

女性は明るい感じで杉ちゃんと蘭に挨拶する。

「はあ、 そうなんだ。蘭と、同級生だった女性が、今は国会議員に立候補か。」

杉ちゃんがそう言うと、

「将来の夢は保育士になるって、散々言ってたはずなのに、今度は国会議員をめざすんですか。」

蘭は、驚いて言った。

「ええ、保育士は、もう卒業しました。保育士として、30年働かせてもらいまして、その後チャイルドマインダーとしても働いて、でも、日本では本当に子どもに接してあげられる職業が無いってことに気がついて、それなら自分で作ればいいって思いまして、立候補したんです。」

妙子さんは、嬉しそうに言った。

「はあそうですか。保育士とチャイルドマインダー、似たような仕事ですけど、結構な違いがあるものなんでしょうか?」

蘭が聞くと、

「ええ、保育士は、健康な子どもしか面倒を見られないけど、チャイルドマインダーはそうじゃありません。それをやって、改めて、保育園だけでは、子供さんの面倒を見きれないってことに、気がついたんです。だから、そういう子どもを世話できる、職業というのかな、それを作りたいの、あたしは。」

妙子さんはそういうのであった。

「そうですか。確かに待機児童とか、障害があって保育園を断られるという事例は結構ありますからね。それを解消するために、国会議員になっていただけるなら、ぜひ、なってもらいたいものですね。」

と、蘭は言った。

「家の家内なんかはすごく喜びますよ。彼女も、子どもが生まれるときの仕事に関わっていますから。」

「そうなのね。じゃあ、当選したら、必ずそういう提案をしてみたいと思っているので、ぜひ、久保妙子にあたたかき一票をよろしくお願いします。」

妙子さん、すっかり政治家の顔になっている。

「そうなんだ。でも、りんご箱を舞台代わりにして、演説なんて、ちょっとしょぼいというか、なんというか。」

と、杉ちゃんが言った。

「まあ、あたしは、二世議員でも無いからね。そういうものが用意できなかったのよ。」

妙子さんは笑って返すが、

「まあ確かに、選挙には地盤看板カバンといいますからね。アメリカなんか行けば、政治家の家系でなくても大統領に立候補できるようですが、日本はなかなかそうじゃないからね。そこら辺、もうちょっとなんとかできないものかと思うのだけど。でも、偉いですね。ちゃんと自分の夢を持っていて、しっかり実現しようとなさっているんだから。」

蘭は、感心したように言った。

「言ってみれば、平民議員というべきかしら?あたし必ず当選してみせるから。ちゃんと政策も考えてるのよ。」

そう言って、彼女は、杉ちゃんと蘭に、それぞれA4サイズの紙を渡した。全て手書きで書いてあるが、しっかりと、彼女が果たしたい公約が書かれていた。それによると、障害のある子どもさんを見てくれる保育園を作りたいとか、女性が経営する会社に補助金を出すなど、比較的優しい公約が示されていた。

「手書きで書くなんて、今どきめずらしい。こんなことが実現できたなら、障害者というものが身近な存在になりそうな気がする。」

蘭はその公約を読んで感想を述べた。杉ちゃんの方は、紙をあげたり下げたりしているが、

「何を書いているかわかんないけど、まあ、とりあえず熱意があることは確かだ。」

と言った。

「そういうわけなので、ぜひ、月末の日曜日の投票日には、ぜひ、清き一票をよろしくね!」

と、妙子さんは、そう杉ちゃんと蘭にあらためて頭を下げた。そう言われると、他の候補に投票しようという気がなくなるよなあと、杉ちゃんも蘭も思った。

それから、数日が経って。選挙戦は更に激しさを増していて、杉ちゃんや蘭の家の周りにも、大物議員を乗せた、選挙カーが、うるさいほど回るようになった。だけど不思議なことに、久保妙子という名前の立候補者を乗せた選挙カーは全く通らなかった。蘭は、そのような事をしないで、演説とチラシ配りだけの彼女には当選は無理なのではないかと、思ってしまった。

しばらくして、杉ちゃんが、買い物に行こうとやってきたので、蘭は、行くことにした。二人が、いつものショッピングモールに行く途中にある、三浦書店という本屋の前を通りかかると、

「あら、蘭ちゃんまたお会いしましたねえ!」

と、女性の声が聞こえてきた。そこにいたのはなんと、久保妙子さんだった。

「どうしたんですか?ここで何をしてるんです?」

蘭が彼女に聞くと、

「ええ、今日は私の著書のサイン会なんです。」

と、彼女は答える。

「著書?だってここは、子供向きの本の専門店だったはず。」

蘭が言うと、

「だから、ここでサイン会やるんじゃない。私の書いた本は、赤い犬っていう、子供向きの絵本なのよ。」

と妙子さんは言った。すると、同時に本屋の店員さんが出てきて、

「この本ですよ。とてもいいお話なので、ぜひ買ってくださいよ。お子さんがいればぜひ読んであげてください。」

と、二人に本を手渡した。蘭は、子どもはいないのでと断ったが、杉ちゃんの方は面白かったらしく、

「ほう。それなら、買っていってやろうじゃないか。それなら、いくら出せばいいのか教えてくれ。」

という。定員さんが、1500円だというと、杉ちゃんは、

「この眼鏡のオジサンが1000円で、大きな硬貨が500円だね。」

と、店員さんにお金を渡した。

「はい、毎度ありがとうございます。それなら、ぜひ、久保妙子さんにサインを貰っていってください。」

お金を受け取った店員はそう言うと、杉ちゃんはほんならそうするといった。

「じゃあ、サインしますからお名前をどうぞ。」

妙子さんが言うと、

「僕の名前は影山杉三だが、杉ちゃんと呼ばれたほうが嬉しいので、杉ちゃんへと書いてください。」

と杉ちゃんは本を彼女に渡した。妙子さんは、そのとおりに、サインをし、杉ちゃんへとマジックで書いて彼に渡した。

「どうもありがとうな。これ、大事にするよ。お前さんも選挙、頑張ってね。大体の政治家なんてカッコつけて、変なやつばっかりだからさ、そうじゃない議員がひとりいてもいいだろうよ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「そうですね。ありがとうございます。なんか今日のことで元気出たわ。杉ちゃんありがとう。」

と妙子さんは言う。ということは、あまり支持率が良くないのだろうか。確かに、選挙カーで遊説することもしないのであれば、そうなってしまうのかなと、蘭は思った。

すると、三浦書店の前に、女性が何人かやってきた。サインを求めている客だろう。みんな彼女の著書である赤い犬の本を持っている。それだけではなく、可愛らしい色紙を用意している女性もいる。書店の店員さんが、一列に並んでくださいと彼女たちに言うと、女性たちは、そのとおりにした。みんな、妙子さんにサインを貰うたびに、嬉しそうな顔をして、ありがとうとか、頑張ってくださいとか、そんな言葉を口にした。

ただ一人、最後に残った、13人目の女性は、妙子さんに向かってこういうのだった。

「この女は、議員になったら、必ず失敗する!」

なんだか予言者みたいな言い方だったけど、なにか意味があるような言い方だった。

「富子さん、こんなところでそんな発言はいけませんよ。せっかく妙子さんが立候補してくれるんだから、私達は彼女に願いを託しましょう。」

近くにいた女性がそう言うけれど、富子さんという女性は、憎々しげに妙子さんを見て、彼女に対して怒りがあるような感じだった。

「お前さんは、どうしてそういう事をいうんだい?妙子さんは何も悪いことはしてないのに。」

と、杉ちゃんが思わず言ってしまう。妙子さんの方は、富子さんという女性の顔を見て、今更何ができると思っているのかと言うような感じのかおをしていた。周りにいた女性たちも、富子さんの顔を嫌そうな顔で眺めていた。

「なあ、教えてくれないかなあ?僕、答えを聞かないと納得できない性分だもんでな。」

杉ちゃんがそう言うと、

「あんたみたいな男には何もわかるわけ無いでしょ。女だからわかるということだってあるのよ!」

と富子さんは言った。

「はあ、それはどういう意味かなあ?」

杉ちゃんはわざととぼけた。

「基本的に、女だから、男だから、そういう考えは古いと思うぜ。男であれ、女であれ、誰でも悩むことはあるし、それは、おんなじだと思うけどね。」

蘭は、杉ちゃんにもう突っかかるのはやめろといったが、杉ちゃんは平気な顔をしていた。

「だって、お互い片一方だけじゃありえないよなあ。この世の中、女だけがすべてということはまず無いんだ。女だけが悩んでいるとしても、それを共有することはできると思うけど。少なくとも、男は、女が悩んでいることで、考え直すことだってできるわけだからなあ。」

杉ちゃんがそう言うと、女性の一人が、そっと富子さんに言った。

「そういうことなら、この人や、今いる妙子さんに話してみたらどう?あたしたちは、一生懸命聞いたけど、応じてやれないことだってあるのよ。あなたには一生消えない傷になるのかもしれないけど、でも、大事なことなんだったら、話してしまったほうがいいわよ。」

「結局みんな、おんなじこと言うじゃないの。」

と、富子さんは言った。

「何度言ったって、私が悪いんだ。私がもっと気をつけていれば、そういうことは起こらなかったって、そういうんでしょ。」

「うーんそうだねえ。それは、お前さんの解釈の仕方と言うか、また違う答えが得られるかもしれないよ。それなら、話してもらえるかい?」

杉ちゃんに言われて富子さんは、こう話し始めた。

「私、子どもができたとき、仕事を辞めるべきだって、主人にも、他の人にも言われて、どうしてもそれをしたくなかったから、この、久保妙子さんに相談したのよ。そうしたら、彼女は、今は子どもを預ける施設だって色々あるから、まだ働けるんじゃないかって、そういった。だから私は、仕事を続けたんだけど、結局、職場で倒れてしまって、赤ちゃんには会えなかった。みんな私の責任だって、みんなそう言うわ。でも、あたしは、仕事をしたかったし、職場からも離れたくなかったから、だから妙子さんに相談したんじゃない!それなのに、子どもには二度と会えなくなってしまって。もう誰のせいにもできないじゃない。あたしが一人で、泣き続けるの?そんな事をしでかした女を、議員なんかにはさせられないわよ!」

「はあなるほどね。」

と、杉ちゃんは言った。

「確かに、誰のせいでなくても、思い通りにいかないことって、結構あるんだよな。それを、取り戻せないで、一生嘆き続けることもある。例えば僕も、足が悪くて、二度と立ち上がることはない。だけど、そのままやっていかなくちゃならないのも確かだよ。」

「そうですね。人間にできることって、ほんとに僅かなことしかできないんだってことは、僕も聞いたことがあります。人間が一つ業をする中で、何十もの選択肢や、答えがあるのかもしれないけど、それに気が付かないことはいっぱいあります。どんなに科学が進歩したとしても、その全部を掴み取ることはできないとよく、言われますよね。僕はあまり宗教とか詳しくないですが、そういう人間の弱さを認めている宗教もあります。」

蘭は、杉ちゃんに続けてそういったのであるが、

「そんなもの役に立たないことは、どんな人だって知ってる。だからといって、亡くした子が帰ってくるわけでもないでしょう。みんな私の責任なの。だから、この人のせいにしたいのよ。そうしなければ私、子どもを殺した親だって、他の親族から、笑われてしまうもの。」

富子さんは、そう泣き出してしまった。

「でも、そのときはそれしかできなかったんですから、それをできなかった自分を責めないであげてください。」

蘭は優しく言った。

「それより、あなたが明るい顔で、精一杯生きることが、生まれてこられなかった赤ちゃんへの償いになるんじゃないですか。僕はそんな気がするんですよね。最も、こういうことがいくら言っても伝わらないこともありますが、、、。」

「もし、赤ちゃんに対して本当に申し訳ない気持ちでいるんだったら、お寺さんで、供養してもらうことだってできる。いくらなんでも、自分のことで、他人の活動を妨害するのは行けない。」

蘭と杉ちゃんがそう言うと、彼女は、ぺたんとその場に座り込んだ。こういうとき、年上の頼れる人、例えば、親御さんやお姑さんなどが味方になってくれれば、随分違うものになってくれるかもしれなかった。

「それて、お前さんは今現在どんな生活しているの?ご主人と暮らしてるの?それとも、一人で暮らしてるの?」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ、主人と母と暮らしてるわよ。私が、こうなってから、家事も何もできなくなってしまってるから、母に来てもらっています。」

と富子さんは答えた。それでは、お母さんも大変なものだ。もう子どもが子どもを生む年齢になれば、悠々自適という人が多いのにも関わらず、それができないでいるのだから。

「そういうことなら、もうしょうがないことだからさ。もうとにかくさ、毎日をできるだけ平穏に過ごせるように、それを思いながら生きるといい。それで、どうしてもできなかった思いはさ、そうだな、紙に書くとか、そういうことして、気持ちを落ち着けるしか無いんじゃないのかな。もしかしたら、その書いたもので、ああ同じ気持ちの人がいるんだなって、感じてくれる人が、いるかも知れないよ。」

と、杉ちゃんがでかい声でそう言うと、周りにいた女性たちもそうだそうだと言い始めた。

「そうよ富子さん。字もうまいんだし、かく能力は私より優れているんじゃないの?」

「それに、こちらにいる、妙子さんだって、つらい思いをして絵本を書かれたかもしれないのよ。作家は、体験したことばかりを書くわけじゃないみたいだし。」

「自分のことで、確かに、相手を妬みたくなる気持ちが出ちゃうのはわかるけど、でも、それのせいで、人の活動を妨害してはいけないって、この人の言う通りだと思うわ。」

女性たちがそう富子さんに言っている。富子さんは、まだまだ泣いているようであったが、

「じゃあ、今から、庵主様のところに行って、供養の申込みをしてくるか。こういうときは、頼りになるのが庵主様。」

と、杉ちゃんは富子さんに言った。

「でも私本当は。」

「本当もなにもないよ。ただ、そうなっちまっただけのこと。それに、僕らができることは、なっちまったことに対して、どうすればいいか考えることだけなんだよ。それだって実現できないかもしれないだろ。だから、できることを一生懸命やるしか無いんだよ。」

「そうですよ。それに、人がいくら理屈で考えても、解決できることなんて、本当に少ないのかもしれませんよ。ときには、そういう存在も必要になるんじゃないですか。」

杉ちゃんと蘭は、富子さんを一生懸命励ますが、彼女はそれを受け入れることができない様子だった。

「あたしが、ほんとうに悪いことをしてしまったのね。」

不意に、妙子さんが、そっと呟く。

「確かに、あたしは、富子さんに、取り返しのつかないことを言ってしまったのかもしれない。だったら、その供養というものに、私も参加させてもらえないかしら。二人でちゃんと謝れば、赤ちゃんも納得してくれるのではないかしら?」

さすが妙子さんだ。そういう事を言うのだから、やはり議員に向いていると蘭は思った。彼女は、何をするにも口がうまいというのが蘭の印象である。確かに学生の頃は、生徒会長などやっていたくらいだから、口がうまくて、印象付けるように演説するのも得意な人だった。

「富子さん。こういうときは、妙子さんといっしょに行きましょう。」

蘭はそう優しく彼女に語りかけた。富子さんは、少し考えて、ハンカチで涙を拭き、

「わかりました。そうします。」

と、言ったのであった。

「よかった。じゃあ、すぐ庵主様に連絡してみるよ。」

杉ちゃんという人は、こういうときにいつも手が出るのが早いものである。決断したらすぐ行動に移してしまうのは、杉ちゃんならではである。すぐにスマートフォンを出して、電話をかけ始めた。

「蘭ちゃんありがとうね。」

と、妙子さんが、そっと蘭に語りかけた。妙子さんの顔を見た蘭は、その顔にえらく汗が吹き出ているのを、見て驚いた。彼女は、顔に出ている汗を拭きながら、

「本当に助かったわ。」

とそっと蘭に言った。

「いえ、いいんですよ。だって、僕らにはできない悩みだから、答えになっていませんよ。だけど、ホントに、ちょっとのことで、こういうすごい重大なことにつながってしまうこともあるんですね。」

と蘭は、妙子さんにそういったのであった。

「そうね。あたしも気をつけなくちゃ。当選したら、もっと責任重大になる。だからあたしは、これを、決して蔑ろにはしないわよ。もし、彼女の供養の日付が決まったら教えてね。あたしちゃんと、彼女と一緒に付き添うからね。」

そういう妙子さんに、蘭は彼女に、当選してほしいと願った。

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立候補 増田朋美 @masubuchi4996

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