マルチバース妹
鍵崎佐吉
マルチバース妹
どうということもない夏の日の午後、授業を終えて家に帰るとリビングで優奈がアイスを食べていた。どうやら一足先に帰っていたらしい。
「おかえり、兄ちゃん」
「ただいま、母さんは?」
「どっか出かけた」
「そっか」
気怠い夏の日の午後、今は特にそれ以上話すこともない。俺もアイスを食べようと思って冷蔵庫に手をかける。その時、不意に違和感を覚える。ドアの隙間から何やら見慣れない青白い光が漏れているのだ。すると次の瞬間、勢いよくドアが開け放たれ中から何かが飛び出してくる。
「やった、実験成功!」
そう言ったのは白衣を着た優奈だった。それをアイスをくわえた優奈が呆然と見つめている。めまいがするような夏の日の午後、俺の妹は二人になった。
「……つまり君は別の世界線からやって来た優奈だってこと?」
「そういうことです、兄さん」
冷えた麦茶を飲みながら白衣の優奈はそう言った。熱中症で幻覚でも見ているのかと思ったが、優奈にもこの白衣の優奈は見えているらしい。優奈は興味津々といった様子でもう一人の自分に問いかける。
「ねえねえ、実験って言ってたけどどうやってこの世界に来たの?」
「この転移装置を使って次元のトンネルを作ったの。何故か冷蔵庫に繋がったみたいだけど」
白衣の優奈は腕時計のような装置を見せながら説明する。その話を聞いた優奈はとんでもないことを言い始めた。
「私、そっちの世界に行ってみたい!」
「まあ装置を使えば理論上は可能だよ」
「ちょっと待ってくれ。いきなりそんな……」
「でもこのままだとこの世界に二人の優奈がいることになる。私ももうちょっとこの世界にいたいし、だったらこっちの優奈にしばらく旅に出てもらうのが一番いいかも」
そういうわけで優奈は装置を受け取るとさっそく冷蔵庫に開いた光のトンネルの中に飛び込んでいった。
「一週間くらいで戻ってくるから!」
残されたのは別世界の優奈と俺だけだ。正直まだどういう風に接していいかわからないが、優奈は俺に優しく微笑みかける。
「じゃあしばらくお世話になりますね、兄さん」
帰って来た母さんは優奈を見ても特に何のリアクションもしなかった。いつもと変わらない普通の会話、普通の日常が続いている。だけど向こうの優奈はこっちの優奈より少しだけ穏やかな性格のようだった。
「そもそもなんだけど、君はどうして別の世界に行こうと思ったの?」
「そんなに深い理由はないよ。でも強いて言うなら、色んな兄さんを見てみたかったから、かな」
今思えば家族というだけであまり深く優奈について考えた事はなかったかもしれない。優奈が何を考え、何を望んでいるのか、俺のことをどう見ているのか。何一つ俺は知らないままだ。この世界の優奈に早く帰ってきてほしいな、と少しだけ思った。
そしたらなんと旅立ってから三日後に優奈はひょっこり戻って来た。冷蔵庫から飛び出して少し照れ臭そうに笑みを浮かべる。
「なんか、ホームシックになっちゃった」
そういうわけで向こうの優奈も元の世界に戻ることになった。二人は何か通じ合うものがあったのか、お互いに抱き合って別れを告げた。
「こっちの兄さんのことは任せたよ」
そう言ってもう一人の優奈は冷蔵庫の中に消えていった。プール帰りのような気分の夏の日の午後、俺の妹は一人になった。世界にたった一人の、俺の妹だ。
「そういえば向こうの俺ってどんな感じだったの?」
「ふふ、それは内緒」
久しぶりに二人でどこかへ出かけようかと、俺はそう思った。
マルチバース妹 鍵崎佐吉 @gizagiza
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