40.九日目 / 決闘 後編

《上演しましょう、幕開けよ。演目は――『決闘』!》


 伝え聞いた大劇場ボリショイが辺りに広がる錯覚がした。

 扇形の広大なホール、赤いビロードに金糸の装飾が施された大きな緞帳カーテン

 私が立つのはステージだ。

 見える景色は満席の客席。

 観客は色とりどりの衣装を身体を飾り立て、今か今かとエリカと私の決闘を待っている。


《邪魔をするのは許されない! 私は平和のために敵を滅ぼす!》


 エリカの声が響いて聞こえる。

 私は現実に引き戻されて、咄嗟に操縦桿を引き、ラダーを蹴った。

 失速寸前まで強引に減速され、人間にかけるべきでは無い負担が私の身体を襲う。

 しかし、その甲斐あって私の背後に居たエリカは過ぎ去った。見えるのは無防備な背中。


《そんなの正義じゃない! 平和が欲しいのなら、なぜ攻めてきた?》


 機関砲を撃ちながら、私は叫んだ。

 赤い色の曳光弾は放たれた魔法のように闇を切り裂き、黒い騎士へと向かっていく。けれど、当たることはない。

 鈍重な機体を巧みに操って、彼女は優雅にくるりと回って避けた。


《知らないわ理由なんて。お父様はいつも反対していた……いつも平和を夢見ていた!》

《なら強引にでも止めれば良かった!》


 避けることは速度を失うことを意味する。そうなってしまえばいくら大きな差があっても、私の機体なら十分に追い付ける。

 馬に鞭を入れるようにスロットルを押し込むと、エンジンは自身の身体を限界まで働かせて、プロペラは呻くように低い音を響かせる。


 背後だ――ベストポジション。圧倒的有利。

 浅く、短く、けど集中して落ち着くための深呼吸を一瞬だけ行って、照準をエリカに合わせる。


 だが、ありきたりな夢のために平和を求める少女は、空戦では天才だった。


《無理よ――みんな理解しているの。私たちの国は、戦争無しでは崩壊してしまうんだって》


 エリカの戦闘機シュヴァルベの甲高いエンジンの音が、少し小さくなる。

 そして、一秒にも満たない時間で大きく機首を持ち上げて――機体が真上に向き――その圧倒的な空気抵抗は速度を全て奪い、形成は一気に逆転する。

 姿勢を回復させてエンジンを再び最大出力にしたエリカは、私の背後から首筋に剣を突き付けていた。


 その空戦機動マニューバは前世で最も有名なものだった――コブラだ!


 あり得ない……不可能だ!

 エンジンの出力も飛行機としての特性も、物理的に、誰がどう考えても不可能なはずなのに……!


《剣を構えなさい》

《言われなくても》


 頭の中で巻き起こる混乱と眼前の現実への反論を押し留めて、頭を切り替える。

 今考えることではない。

 今必要なのは、いかにこの剣戟格闘戦を勝ち抜くかだ……!


 フラップを展開して、機動力を最大にまで高めた。エンジンの出力もその時のベストを維持し続ける。


 右手は剣を握るように操縦桿を持ち、左手は盾を構えるようにスロットルを握る。

 敵の一挙一投足を見逃さないために、私の視線は常に動き続ける。


《首を裂くわ》

《手首を切り落としましょう》


 不可能を可能にするエリカの空戦の技術を目の当たりにして、私の口角が意識せずとも上がっていく。


《胸を貫くわ》

《瞳を零しましょう》


 私は平和が好きなんだ。空戦なんて楽しくない。ただ飛ぶのが楽しいだけで、だから私は技術を磨き続けて生き延びてきた。


《弾いてみなさい》

《ステップで十分です》


 ――強い敵と戦うのが楽しいなんて、そんなこと、あり得ない。


《――貴女が妬ましい、エカチェリーナ!》


 エリカは叫んだ。舞台に立つ役者のように。

 よく通る声だった。


《平和で豊かな国に暮らして、お姉様まで近くにいて!》


 『平和で豊かな国』になる選択肢は、内戦を終えた時点なら無数に存在していた。

 なのに、戦争を繰り返す侵略国家となる道を選んだ。私が妬まれる筋合いなんて無い……!


《その未来を選ばなかったのはあなたたちだろう!》


 幾度も背後を取り合う。

 しかし、射撃の機会は一向に訪れない。


《それなのに戦争でも活躍するの!?》


 戦争なんてしたくない。

 元々は偵察機乗りだった。前線に手紙や書類を運ぶ、連絡機を操っていた。


 戦闘機なんて乗ったこともなかった。撃ち方も訓練でやっただけだし、敵の攻撃を避ける方法なんてほぼ忘れていた。

 人殺しで活躍なんてしたくなかった。なのに、戦争がすべて狂わせた。


《望んで活躍した訳じゃない! そうしないと生き延びられなかった!》


 黒いジェット機から放たれた弾丸が、私の機体を貫通した。

 偶然その砲弾には炸薬が積まれていなくて、偶然私の機体は燃えずに済んで、幸運に助けられた。


《貴女が抵抗しなければ、もっと早くに戦争は終わる!》


 大衆ゲルマンが攻めてこなければ、抵抗する必要はなかった。

 家族や友人が、戦禍を被る必要もなかった……!


《ふざけるな! 戦争になったのは誰のせいだ!》


 どちらも集中力が切れてきた。

 間一髪の瞬間が幾度となく訪れ、コックピットから見えたエリカは肩で息をしていて、前髪は汗でべっとりと張り付いていた。

 私もそう変わらない。


《もう少し、もう少しなのよ! 評共の首都オクチャブリスカヤさえ落とせば……上層部ジジイ共もきっと満足する!》


 エリカはいつ終わるともわからない拮抗した格闘戦を切り上げて、一気に加速した。

 遠くへ飛んで、大きく旋回したエリカは、私に向かって来ている。


《戦争なんて嫌いよ。大、嫌いよッ! 私の夢のために、平和のために、死になさい! エカチェリーナ!》


 エリカも私も、根底では同じなのだろう。

 平和を求めて、平和のために戦い続けるエース。

 ――だが、その立場が許されるのは祖国を守る側だけだ。侵略してきた者が言って許されるものではない。


《それは私のセリフですよ、エリカ……!》


 眼前に現れるは黒い騎士。

 馬上槍ランスを構えて、一直線に私へ突撃チャージしている。


 私も構えよう――照準を定める。

 エリカの機体から、大口径の機関砲弾が発射された。


 だが、これはきっと当たらない。焦っているのかもしれない。弾道は僅かに外れている。

 直感でわかった。

 ――私の勝ちだ。


さようならダスヴィダーニャ、エリカ》


 照準器にシュヴァルベを捉え、操縦桿のボタンを押し込む――



 まるで彗星だった。


 夜空のように青黒い色の塗装をされた敵戦闘機が、突然私とエリカの間に割って入ってきた。

 エンジンの音は恐ろしく大きい。私の機体よりも更に上――ジェット機シュヴァルベとは違う、敵の新型機だ。


 急な乱入者に私が落ち着きを取り戻す前に、更に動揺させる事が起こる。

 声だった。

 無線越しに聞こえてきたのは、あの声だ。


《――裏切り者は簡単には信頼されません。職務を忠実に遂行して、少しでも彼らからの覚えを良くしませんと。ですのでエリカ、エカチェリーナ》


 「アンナさん」。


 叫ぶ前に、魔法が唱えられた。


《双方共に――『手を引きなさい』》


 その途端に、身体がある動作だけを受け付けなくなる。エリカに機首を向けることも、機関砲を発射することもできなくなった。


《アンナさん……。裏切るんですか……!》

《ええ。私は『魔女』ですので。相応しい行い、驚く程でも無いでしょう?》

《驚きますよ! どうして……例の将軍ですか!? 私がやります、やってあげます! ……だから、戻ってきて》

《あの夜の後、彼は処理しました。これ以上の問題は起きませんから、安心してください》

《じゃあ、なんで裏切るんですか? 理由は……》


 私が言葉を紡ぐ前に、返答は銃弾によって返ってきた。

 咄嗟に避けて、再び旋回すると二人の機体は既に遠くを飛んでいた。


《――あなたの前ですと、必要以上に喋ってしまいますね。エリカ、足止めはもう十分です。帰還しましょう》

《……はい、お姉様》


 気落ちしたような声色で、エリカは話し続ける。


《……泥棒猫。教えといてあげる。逃げるなら、早く逃げたほうが良いわよ。どうせ長くは保たないんだから。無駄死にはしたくないでしょう?》


 私は固まっていた。

 魔法があるからエリカには無理でも、アンナさんを相手に追い縋ることも、怒って攻撃に向かうこともできなかった。


 『アンナさんに攻撃された』――その事実を呑み込むのに、時間が掛かっていた。


 そして、その後。

 基地に帰還した私には、大きなニュースが待っていた。

 首都の中央部にあった総司令部スタフカと党本部が、壊滅した。

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