39.九日目 / 決闘 前編

 歴史は個人では作れない。

 当然のことだ。ただ、平和な時に限定される。なお、平和な時なんてそう続くものでもない。

 カエサルもナポレオンも、もっと安定して平和な時に生まれていたら別の活躍をしていて、歴史を作るほどの人物にはなっていなかったかもしれない。


 何が言いたいかというと――乱世には英雄が生まれ、英雄は歴史を作る。善も悪も関係ない。

 いくら頑張っても、個人の活躍で結果が変わってしまうなんていうことも、たまにある。



 今日の任務はリョーヴァとは別の部隊に配置される。

 リョーヴァは昼に飛んで、私が飛ぶのは夜。敵の攻勢も一段落したみたいだから、バランスよく防衛したいんだろう。私もリョーヴァもエースだからね。


『まさか、あの『白聖女』と編隊が組めるなんてな。守ってくれよ』

『はは、善処しますよ』

『すげえっす、さすがエースっすね。撃墜マークがそんなに描かれてるなんて』


 編隊の人と話しながら空を飛んでいた。雑談とコミュニケーションは、命を預け合うなら必須だからね。

 そして、私はなんだかすごく期待を寄せられていた。


『整備士の人たちが勝手に描いてるんですよ。私の趣味じゃないですからね?』

『うわぁ、人柄も噂通りじゃないっすか。敵にも味方にも優しい、慈愛の聖女のような人だって言われてるんすよ』

『戦争で手柄を誇るなんてのは普通なのにな。……心が洗われるぜ』


 そういう噂が流れていたのは知っていた。ミールがいい感じにしてくれたのだろう。

 けど、面と向かってそう言われるのは少し照れる。


『……そこまでの人では――』


 瞬間。


 耳に入ってきたのは小さな音――雪が落ちる音よりも小さいかもしれない。

 だけど、聞き逃してはならない音だった。甲高い音――ジェット機の音だ。


 叫ぶ。


『避けてくださいッ!!』

『えっ、なんす――』

『どうし――』


 至近距離から聞こえる爆音と共に耳から大きなノイズが聞こえて、顔を顰めた。

 咄嗟に動かした機首の先では、3機のジェット機が月明かりに照らされていた。

 赤と、黒と、迷彩。


《見つけたわ泥棒猫! 私と勝負しなさい決闘よ!》

《あなたたちは……!!》


 割り込んできた無線からは、久しぶりに聞いた声がした。

 大衆ゲルマンのエース、エリカだった。


《あらぁ私の愛しいリーナ! あなたも居たのね。エリカが独り占めなんてずるいわぁ。私も参加していいかしら?》

《駄目だ。ハンナには別の任務がある》

《お父様がそう仰るのでしたら。――リーナ、エリカなんかに堕とされないで下さいね?》


 そして、もう2つの機体にはハンナさんとリヒトホーフェン卿が乗っていた。

 3対1を覚悟していたけれど、エリカ以外には別の任務があるようだった。……だけど、ここで見逃すのは絶対にまずい。


《あんたどっちの味方よ……》

《エリカのことも応援してるわよ~》


 エリカの呆れ声が聞こえる中、私はハンナさんに向かって射撃を開始した。

 少し突き上げた姿勢になるけれど、死角だ。当たるはず……!


《させません!》


 けど、どう警戒しているのか、ひらりと華麗に躱された。


《エリカも済ませたらすぐに戻って来なさい》

《了解です、お父様》

《それと、カレーニナ少尉。エリカの面倒を頼む。言い出したら止まらない娘なんだ、申し訳ない》


 私の攻撃なんて障害にもならないのだろう。リヒトホーフェン卿はエリカが負ける心配すらせず、むしろ私を気遣っていた。


《嫌ですよ決闘なんて。全員止めてみせます……!》


 スロットルを押し込んで、リヒトホーフェン卿の真っ赤な機体に向かって行く。速度を乗せて、未来位置に照準を定めて、射撃。

 ……当たらない!


《エリカ、やり過ぎないようにしなさい。整備士たちから、お前の機体はエンジンを酷使し過ぎだという苦情が上がってきている》

《はぁい……。わかりました、お父様》


 その通信を最後に、エリカ以外の機体は一気に加速して首都の中心へと飛んでいった。追おうとするも、エリカの黒いシュヴァルベが私の背後へ周り込む。

 回避機動を取るとエリカは離れて、私に話しかけてきた。


《さ、泥棒猫。やるわよ》

《……どうしてここに来たんですか》

《任務よ。泥棒猫あんたも軍人でしょ? 私たちは上の命令に従うのが仕事よ》


 付かず離れず、攻撃には適さない距離を維持し続けながら、エリカは悠々と飛んでいた。

 ジェットエンジンの甲高い音が夜空に響く。


《けどパイロットはいいわよね。多少のわがままなら押し通せるんだから。付いて来て。撃墜した時に無駄な被害を出したくないわ。郊外でやりましょう》


 私を先導するように、黒いシュヴァルベは真っ直ぐ郊外への進路を取る。速度は控えめで、簡単に私でも追い付ける。

 エリカの機体の後ろに付くと、無防備な背中が良く見えた。今撃てば簡単に堕とせるのだろう。リーリヤ少佐の仇だ、やらないという選択肢は無い。


 ……頭では分かっている。理性では理解している。


 だけど、ここまで戦いを勝ち抜いてきた私のプライドが不意打ちを許さず、決闘という未知なる刺激への誘いは、私の精神を嫌になるほどに高揚させる。

 コックピットのガラスで、私の口元が一瞬見えた。

 よく笑っていた。今夜の寒空に浮かぶ三日月とそっくりだった。







 エリカは私に並んで飛んでいた。遅いのは私だから、速度を合わせてくれているらしい。

 横を見るとコックピットが見える。艶のある長い黒髪と、金色の瞳が見えた。


《古のしきたりに従ってやるわよ。冒険者の決闘のやり方は知ってるかしら?》

《残念ながら、聞いたこともないです。あまり触れてこなくて》


 冒険者の決闘の話は子供にも大人にも人気だった。けど、私はあまり小説やその類は読んでいない。

 演劇やラジオ番組にも興味はあったけど、わざわざ見に行ったり聞いたりするほどの興味ではなかった。

 内戦まみれの国で生きてきたエリカが知っていたのは、少し意外だった。


《そ、教えてあげる。二つ名と名前を名乗って、二十歩――飛行機だと難しいから20秒飛ぶわよ。そうして距離を取って、決闘開始》

《シンプルですね》

《早速やりましょうか》


 殺し合いへの道は一瞬で舗装された。

 これより先は逃げる事はできない。どちらかが堕ちるまで戦い続ける。

 エリカはまだ私と同じ速度で並んで飛んでいた。


《私は『黒騎士シュヴァルツ・リッター』エリカ・フォン・リヒトホーフェン》


 エリカの口上が始まる。

 なんとなしに、前世の日本のことを思い出した。侍同士の果たし合いもこんな感じだったのかもしれない。

 ――きっと、私と同じように緊張して、興奮していた。


上層部ジジイ共の言いなりになって人を殺すのは癪に障るけど、泥棒猫と決闘できるなら悪くないわね》


 二枚のガラスと高速の空気を通して、金色の瞳が私を見つめてきた。獰猛な、肉食獣のような瞳だ。

 複雑な感情が混ざり合っていたけれど、一つだけ確かにわかったものがあった。期待してくれている。

 応えよう。


《私は……》


 二つ名に込められた意味を今一度、心のなかで噛み締めた。


 ……本来の由来はふざけた物だった。いつでも賭けに勝たせてくれるから、幸運を運んでくれる『聖女』。真っ白な機体だから『白』。合わせて『白聖女』。


 だけど、今は違う。

 清廉潔白で慈悲深く、模範的なパイロットだから『ベラヤ』。それに、聖女のS級冒険者としての二つ名、『常勝無敗』を彷彿とさせるほどの活躍を見せる上、そのパイロットの名前エカチェリーナはカタリナから取られている――だから『聖女スヴャタヤ』。二つ名の由来は盛り盛りに変わった。


《『白聖女ベラヤ・スヴャタヤ』エカチェリーナ・ヴォルシノワ・カレーニナ》


 随分欲深いと思いますか、聖女カタリナ?

 だけど戦争だから仕方ないんです。


 私の技量だけではエリカにはほんの少し及ばないでしょう。

 ですから、どうかあなたの加護を。

 ――平和のための、力を下さい。


《戦争は嫌いです。人を殺すのはもっと嫌いです。けど、祖国と家族、友人を守るために……。エリカ、あなたを堕とします》


 ひとつ、大きく息を吸う。

 緊張と興奮が収まって、思考が澄んでいった。

 冷たい空気が臓腑を巡って、邪魔な熱を奪ってくれた。


《あんたも殺しが嫌いなタイプなのね。楽しんで飛んでるものだから、好きだと思ってたわ。案外似た者同士なのかもね、私たち》

《かもしれませんね。いざ尋常に》

夜見ヨミの言葉? 面白い響きね、それ。気に入ったわ。……いざ尋常に!》


 鞘から刀を抜きながら、距離を取る。

 およそ20秒……エリカの機体は、加速には時間が掛かるから大きな差は生まれないだろう。

 大事なのは、その後だ。

 転回した後に正面から接敵する……およそ10秒後。


《私には、夢があるの》

《へえ、良いことじゃないですか》


 距離を取りながら、エリカは話し始めた。

 夢――私の夢は、空を飛び続ける事だ。

 叶っている。……歪んでいるけれど。


《……平和になったらステージに立ちたい!》

《意外な夢ですね。大衆ゲルマンで演劇なんか見られるんですか?》


 20秒経った。

 操縦桿を操って、背後へと回る。

 冒険者の戦いなら、ここから一瞬で決闘は終わったのかもしれない。魔法を使ったり、剣を使ったり。

 けど私たちは普通の人――ただのエースだ。まだまだ続く。


《幼い頃、お父様に連れられて、一度だけ劇を見たことがあるの。その時にお姉様とも出会ったわ》

《まさか……首都で?》


 射撃をする。

 少し遠いように見えるけど、相対的な速度を考えればちょうど良い。


 エリカの機関砲も放たれた。私は機体を斜めに動かして、その軌道から外れた。エリカも同じような動きをした。


《そう、大劇場ボリショイよ。素晴らしいものだった》


 エリカの夢の原点は、この国だった。

 憧れの劇場を破滅に追い込むような戦争を、最前線で、かつ主力であり切り札として戦うというのはどういう気持ちなんだろう。


《楽しいですか? 戦争は》

《全く。早く平和になって欲しいわ》


 背中を取るように旋回をするけれど、黒い戦闘機は速度を保ったまま離脱する。

 一撃離脱に徹するみたいだ。甘えは無いね、さすが『黒騎士』。


《なら引いてくださいよ》

《ごめんなさい、勝たないといけないの》


 そういえば、王国で襲われた時にも絶対に格闘戦は仕掛けてこなかった。……あの時にやられてたら逃げられなかったんだけど。

 自分の機体に相応しい戦い方を理解して、おかしな事はせずに真面目に冷徹に敵を堕とすのが、エリカのやり方みたいだ。

 やりにくいったら……。


《じゃあここ以外に行ってください》

《最大の障害はあんたなのよ、泥棒猫》


 私は、いつの間にやら大衆ゲルマンの最大の敵になったらしい。ハンニバルの気分だね。

 でも、そこまで堕としてるつもりでもないんだけど。それを言うなら、アンナさんの方がもっと堕としている。


《アンナさんじゃなくて?》

《お姉様はまた別。暴れすぎたのよ、あんたは》


 なんだか私は随分と恨まれているみたいだ。

 距離を取ったエリカが再び私に向かってきた。高度の差は結構ある。私がここで機首を受けに向けると、エリカの思い通りになる。

 速度を失って、自由な機動を取ることは不可能になり、そこになって初めてエリカは格闘戦を仕掛けてくるつもりだろう。

 水平に飛んで、エリカの真下に向かう。高度差のある相手とまともに戦うのは悪手だからね。


《だから私のためだけにエリカが来たんですね》

《それ以外にも理由はあるけどね》


 エリカは今攻撃を行うよりも次の機会を得ることにしたようだ。

 上を飛ぶシュヴァルベが高く舞い上がり、縦に大きく回転した。速度を稼ぎながら私の後ろに付こうとしている。

 旋回性能では私の機体の方がはるかに優れている。横に曲がって、エリカの狙い通りにはさせない。


《どんな理由ですか?》

《雲の中に堕ちて行きながら、あの人は笑っていたわ。「……実はな『黒騎士』。逃がしたアイツは、アタシよりもっと強えぞ。我が軍の誇るエース、『白聖女』エカチェリーナ少尉だ、お前も勝てねえだろうな」。一語一句覚えているわよ》


 エリカが語ったのは、リーリヤ少佐の言葉だった。

 少佐は……囮になってくれた。私を助けるために。雲の中に堕ちたのだから、エリカも撃墜された機体までは見ていないのだろう。

 もしかしたら生きているかもしれないけれど、あそこはもう敵地。……たとえ生き残っても、生存は絶望的だ。


《尊敬に値する人の最期の言葉よ。私なりの手向けね》

《リーリヤ少佐はそんなことを……》


 『黒騎士』はその名前のとおり、騎士道精神――名誉や弱者を守ること、そういった事を重んじているみたいだ。考えてみると、時々巻き込まれる民間人の事を気遣う素振りもある。

 ……攻めてきたんだから、だからといって情けを掛ける訳にもいかないんだけど。


 もっと、平和な時に彼女に出会いたかった。別の国のパイロット同士、ちょっとした諍いはあっても仲良く出来ていたかもしれない。


《エカチェリーナ、今度は逃がさないわ。貴女の本気を、リーリヤに見せつけてあげなさい》


 もう一度私に攻撃を仕掛けてきた。エンジンの爆音が真後ろまで迫ったところで、私は操縦桿を引いた。

 背後を通り過ぎるのは高速の黒い影だ。


 エリカは機首を上げ、エンジンの出力は更に増し、遥か高みへ向けて飛んで行く。

 

 いつの間にか、首都の近くまで飛んできていた。


 地上の高射砲から放たれた砲弾は夜空で炸裂し、リズムを刻んだ。

 サーチスポットライトがエリカを照らす。

 機関砲から放たれた曳光弾の弾幕は夜闇にカーテンを作り、その中にエリカは立っていた。


《上演しましょう、幕開けよ。演目は――『決闘』!》

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