41.十日目 / 終結

 午前3時に地面が大きく揺れた。

 そして、朝日が登る今この時間まで、首都からはずっと爆音が聞こえている。

 ラケータが降り注いでいる。


 サイレンからは緊急事態の警報が叫ばれていた。

 ラケータの攻撃とともに、敵の機甲師団は再び突貫して来たらしい。しかし、総司令部がやられていた党の軍隊は麻痺しており、十分な抵抗を行えることなく、敵の機甲師団は首都へと侵入した。

 結果として、首都は陥落。

 私たちの基地も包囲されていて、歩兵部隊が懸命に抵抗しているものの、時間の問題だろう。

 ……終わり、だ。


 指揮系統は完全に崩壊していて、基地司令が苦し紛れに出した『防衛しろ』という命令だけが有効になっている。私たちパイロットには、なんの命令も来ていない。

 一周回って落ち着いた。死ぬ時は空の上で死にたかったから、残念だけど。まあ、2度目の人生としては割と良い方だったんじゃないかな。

 3度目があるかわからないけど、次はめちゃくちゃ偉い人の息子か娘になりたい。神様頼みます。


 落ち着いて朝食を作って、朝のコーヒーを嗜んでいた。ラジオはノイズしか流さない。

 朝の小鳥のさえずり(基地ではエンジンの轟音のせいで聞こえた事なんてないけど)の代わりに、ラケータの爆発音がBGMだ。


 運命、よりかはワルキューレの騎行のほうがしっくりくるか、いや、今みたいに真っ暗な時Darkest Hourにぴったりな曲を知ってるけど名前を忘れちゃったな――なんてくだらない事を考えていたら、宿舎の扉がドンドン叩かれた。こんな緊急事態に誰だろう。


「リーナ! 起きてるか!」


 扉を開けると、リョーヴァとミールが居た。


「おはよ。朝ご飯食べてた」

「呑気だね。それよりあれ見てよ」


 ミールが指さした方向にあったのは、大きな飛行機だった。


「あれって……」

「輸送機だ。東方から空挺軍VDVが来たぞ」


 空挺軍――党の軍隊の特殊部隊だ。特殊部隊といっても、独立した軍としてあるくらいなので結構大きい。

 ……あの悪名高い飛び降り訓練の輸入元でもある。

 エリート部隊だったので、開戦初日には前線に投入されたと聞いていた。だから、とっくに全滅したものだと思ってたけど。

 ベレー帽を被った迷彩服の人が、輸送機の前でメガホンを持って大声で話していた。


「空挺軍司令より伝達! 動ける飛行士は機体を持って東方に行け! 将官と技術者は輸送機に乗れ!」


 空挺軍の司令官ともなると、大将かそれより上の上級大将、あるいは元帥レベルになる。めちゃくちゃ偉い人からの司令だ。

 渡りに船だった。手持ち無沙汰にしていた人達がきびきびと動き始めていた。


「空挺軍? 生きてたんだ」

「3月の攻勢のために人員補充して東方で訓練していたらしいね。助けに来ないで籠もっていてもおかしくなかっただろうに」

「大助かりだぜ。東方なら、疎開先だろ? まだまだ負けられねえな」


 ――そして、逃げる先が見つかったのなら伝えに行かないといけない人がいる。

 2人に断って、病院の方へと駆ける。


「……私は行くところがあるから、2人とも先に行ってて」


 この基地に居続けるのは短い時間の方がいい。時間は敵だ。

 だから、先に準備をしておいて欲しかったんだけど……。


「いや、危ねえから一緒に行くぞ。ミールも付いてくるよな?」

「うん、当然でしょ」


 返ってきたのは優しい言葉だった。

 ……恥ずかしいから言わないけどね。ありがとう。


 病院は嫌に落ち着いていた。さっきまでの私みたいだ。

 きっと、落ち着く他にやることも無いのだろう。医者は連れて行けても、看護師や患者を連れて行けるほどの余裕は無い。

 ……だけど、第33航空分隊は違う。エース級の戦力だ。負傷していても連れて行ってくれるはず。


 リョーヴァとミールは外に待たせた。もし爆弾や砲弾がここに降ってきたら、3人まとめてお陀仏だからね。それに、ミラーナ少佐を相手に取り乱す姿は見せたくなかった。


 ミラーナ少佐の個室の扉を、ノックもなしに開けた。

 少佐は憂いを帯びた横顔で、外をじっと見つめていた。シーツは清潔で、服装もしっかりしていた。

 病院の人たちも、覚悟を決めているみたいだ。いつも通りの仕事を、緊急事態でもしっかりと行っていた。……その人たちも助けたいけれど、それは難しい。


 少佐の隣まで駆け寄って、肩を掴んで叫んだ。


「ミラーナ少佐! 逃げましょうっ!」


 彼女は虚ろな目をしていた。死期を悟った人のような目だ。

 髪と同じ桃色の瞳は凪いでいた。感情は揺れ動いていない。

 ――きっと、私の言葉は届かない。けど、言わないと。


「空挺軍が来てくれました! 大丈夫です、東方に行けます!」

「少尉……」

「脚は……動かなくても構いません! 私が背負っていきます。これでも筋肉はしっかり――」


 必死に言葉を繰り出すも、少佐はそんな私の頭を抱きしめて、胸元に押し寄せて強引に黙らせた。

 ……いい匂いがした。安心する匂いだ。

 体温は私よりも少し高くて、温かい。人より少し体温が低かったリーリヤ少佐とは真逆だった。


「置いて行って。これでも何年も軍人をしてるのよ、わかってるわよ。負傷兵を連れて行く余裕なんて無いでしょう? それに、もう、リーリャも居ないもの」


 両腕を少佐のお腹に押し付けて、顔を離して声を振り絞る。空元気がなくなってきた。けどもう少しだけがんばらないと。


「少佐っ……! やめてくださいそんな事言わないでください……!」

「足手まといになるだけよ。戦争は知らなくても、もっと悲惨な時代のことはたくさん勉強していたから。覚悟はできているわ」


 胸元から離れた私の頬を両手で包んで、ミラーナ少佐は私の目を見据えてきた。


「エカチェリーナちゃん。実はね、私もリーリャも、あなたのことを娘みたいに思っていたわ。ちょっと大きいけれど。ふふっ」


 少佐は目に輝きを取り戻して、穏やかに微笑んでいる。


 淫魔サキュバスの獣人は、おおよそ500年に一度生まれるという。なぜそんなのがわかるかと言うと、彼女らはみんな歴史に名前を残しているからだった。

 偉大な先人たちを見て、少佐は偉大になれないことをコンプレックスに感じていた。

 だけど、私にとっては、歴史の偉人よりも、目の前の少佐のほうが偉大なサキュバスに見える。自慢の上司で、信頼できる――家族も同然の人だ。顔も知らない偉人より、よっぽど偉くて、よっぽど凄い。

 

 私を優しく見つめながら、少佐は親指で溢れてきた涙を拭ってくれた。

 それから、私の額にキスをした。


「短い間だったけど、幸せな家庭を体験できて幸せだったわよ。あなたの人生はまだまだ長いんだから、逃げなさい、少尉。私は大丈夫よ。大衆ゲルマンも、負傷兵を殺すほどに無情ではないでしょう」


 聞かん坊によく言い聞かせるように、ゆっくりと。私の心に寄り添って、残る傷が最小限になるように。

 少佐は、私の身を案じてくれていた。

 そして、私の未来が、必ず訪れるもので、素晴らしいものであることを、信じて疑わなかった。


「それに、私は淫魔サキュバス。生き延びる方法なんて、いくらでもあるのだから。早く行って」

「……嫌です。あなたまで失いたくない……!」


 でも……でも……。


「困った子ね」


 眉を下げてため息を吐くと、少佐の纏う雰囲気が変わった。

 長い間軍に勤め続けてきた、ベテラン軍人の風格に変わった。


「――貴女の上官として、の命令です、カレーニナ少尉。第33航空連隊の遺志を継いで、祖国と党に貢献しなさい。抗命は極刑です」


 有無を言わせぬ視線で、射抜かれる。

 桃色の可憐な瞳に宿ったのは確固たる意志。

 魔物が蔓延る終末を生き延びた、この世界の人たちが見せる、全てを燃やし尽くすような強い意志。

 

「……了解、しました。私、第33航空連隊所属、エカチェリーナ・ヴォルシノワ・カレーニナ少尉は、この先も生き延びて、戦い続けて、祖国と党に貢献します」

「頼んだわよ」


 敬礼をして、答えた。

 少佐が答礼を返してくれたので、部屋を出る前に、この間言い忘れていた事を伝えることにした。

 すぅ、と息を吸って、なるべく声色が近づくように真似をする。


「こほん……『別のヤツに振り向くな』」

「え?」

「この前は伝えそびれました。リーリヤ少佐から、最期の伝言です」

「……ふふっ。リーリャらしいわね」

「……ですので、どうかお達者で、ミラーナ・ヴァシーリエヴナ少佐! 常に聞き耳を立てて下さい。私の二つ名は『白聖女ベラヤ・スヴャタヤ』。毎日聞かせてあげます!」

「エカチェリーナちゃん少尉もね。期待してるわよ、頑張って!」


 最後は笑顔で。

 手を振ってくれたミラーナ少佐に手を振り返して、私は個室の扉をそっと閉めた。

 病院の廊下は寒い。身体の芯まで凍り付くようだった。


 病院の前で、2人は寒い中を待ってくれていた。

 軽く謝ってから、「早く行こう」と急かした。


「どうだった、って聞くまでもねえか」

「そうだね。これ以上この基地に居るのも危険だ。機体が無事なうちに移動しよっか」

「……うん」


 さようなら、ミラーナ少佐。私は、強くなります。







『燃料は足りそうかな』

『どうだろうな。ミール、こっからだとどんくらいだ?』

『ギリギリ……高いところを飛べば足りるかな。パヴェルフスクは空挺軍の根拠地だからね。飛行機のスペースはたっぷりあるから、辿り着くことだけを考えればいいよ』


 守るべきものを置いていき、私たちは勝利のために東へ逃げる。

 山脈の向こうには、希望があると信じて。

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