21.神のようなものがいるのなら

 魔法がある世界だ。神のようなものも存在するかもしれない。

 もし、神のようなものがいるのなら、今頃は巻き込まれた人間の感情なんて気にせず、楽しそうに地上を眺めているのだろう。


 ――おいおい、急展開になってきたよ。どうなるか見ものだね。楽しみだ。


 そう。SLGをやっていて予想外の展開が起こった時のおれみたいに。

 気持ちはわかるよ。たぶん、あんたとおれは同類だ。だから、ちょっと手助けしてくれないか?

 祈っても通じるはずはないのに、祈ってしまう。


 私が縋れる心の支えは、一瞬にして崩れ去った。これから先は、今を生きるエカチェリーナ。

 だけど、少し落ち着くことで、何もかもを絶望視する必要はないことに気が付いた。


 我が国は、前世のソ連より更に強力で、時代錯誤なほどに理性的で、どの人民にも支持されている。

 少しの頭があれば、こう結論付けられる。――負けるはずはない。


 スターリン曰く、「一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計上の数字でしかない」。


 切り替えよう。忘れよう。戦時中の国なんだ。1人死ぬごとに悲しんでいたら、涙はすぐに枯れ果てる。

 これから先、知り合いはもっと死んでいくかもしれないんだから。


 ……絶望するにはまだ早い。

 私は容姿端麗な美少女だから、他に生きていく道はいくらでもあるけど、死ぬ時は空の上で。


 頬をぱん、と叩いて気分転換した。


「うわ、どうした急に。遂に狂ったか?」


 ……リーリヤ少佐がすごく失礼なことを言ってきたので、睨んだ。

 私たちはイゾルゴロドのちょっと下(前世だとなんて言うんだろう? ロシアは別に詳しくないんだ)、オルムゴロド近郊の基地に来ていた。

 東に進もうと思っていたけれど、第21航空師団の基地を除けば、ここが北方軍管区で一番大きな基地らしいから避難してきた。

 ここも古い都市で、イゾルゴロドのような街並みをしている。


「エカチェリーナちゃん少尉、気分は優れてきた?」

「ええ、だいぶ落ち着きました。……先ほどはごめんなさい」

「仕方ないわよ。……でも大丈夫よ、私たち人民は強いんだから。太古の昔から、魔物を相手にしながらこの北の土地に暮らしてきたのよ。人間の侵略者なんてへっちゃらよ」

「そうだそうだ。アタシのご先祖様なんか、魔物の頭を薪割りの斧でかち割ったらしいぜ」

「う〜ん、魔物相手に冒険者でもない人が勝てるわけないわ。エカチェリーナちゃん少尉、これは嘘よ」

「本当だって! 前に実家に来た時、玄関に飾ってあったの見ただろ? あの斧だよ」

「……あれがそうだったのね」


 少佐たちの夫婦漫才を見ていると、心が温まっていく。荒んだ心に優しさが染み込む。

 ……そうだ、この世界はファンタジー世界なんだ。私でも魔法が使えるんだから、ちょっとした魔法を使える人がいてもおかしくない。

 パルチザンは前世よりも精強で、隠れ住む人たちの希望の灯火は光り続けている。お母さんも、ミハイルおじさんも、ノーラも、きっと大丈夫。


 暗い私は似合わない。

 悲観主義は似合わない!


「にしても、基地司令おっせえな。いつまで待たせんだよ?」

「今の状況じゃ仕方ないわよ。リヴォニアも攻撃を受けて、軍管区は北方戦線になるのでしょう? 事務作業を想像するだけで辟易するわ」


 イゾルゴロドの攻撃から撤退してきたことで、私たちは状況報告のために司令部へと通されていた。ズウォタ王国のことを思い出すから、あんまり長居はしたくないんだけど、基地司令が帰ってこない。


「王国の時は、こんな場所で司令と話してたら急に飛行爆弾が飛んできたんですよね」

「やめてくれ縁起でもねえ。まあその時になったらラーナの魔眼がどうにかしてくれるだろ」

「私の魔眼はちょっと物を固くするくらいよ。魔法も使えないんだから、変な期待はやめて」

「魔眼、ってなんですか?」

「……あ、おい」


 初めて聞く言葉だった。

 そういえば連隊へ挨拶に来た時、少佐たちが……仲睦まじかったから外に出ようとすると、ミラーナ少佐の目が光ってドアノブが動かなくなったことがある。


「サキュバスの獣人の特徴よ。他の獣人みたいな耳の代わりに、眼が特殊なのよ。魔法みたいで、魔法とは違うことができるの」

「なんか選ばれし者、って感じでかっこいいですね」

「歴史に残る伝説のサキュバスの獣人になると、すごかったらしいわ。『誘惑』の魔眼とか、『認識』を司る魔眼とか。……ふふ、サキュバスの獣人として生まれた人の殆どは歴史に名を残しているらしいわ。……はあ、私はヘボサキュバスなのよ」


 ……なにやらミラーナ少佐の地雷を踏んでしまったらしい。珍しく、ちょびっと落ち込んでいた。

 リーリヤ少佐に肩を組まれて、耳元でそっと囁かれた。


「……おい少尉。ラーナの奴、魔眼にコンプレックス持ってるからあんま聞いてやるな」

「……え、そうなんですね。わかりました」


 ……サキュバスにはサキュバスなりの悩み事があるようだ。


 もう暫く待っていると、ようやく基地司令がやって来た。

 ここの基地司令は女の人だった。珍しい。


「ごめんなさいお待たせしましたねごめんなさい。ちょっと立て込んでいまして一分一秒も惜しいんですよ。本題に入りましょう。第25航空師団は第33航空連隊を戦闘機連隊として受け入れたいと思っております。あなたたちの飛行機はそのままでも使えますよね」

「はい」

「ありがとうございます。このあたりももうすぐ最前線になりそうです……あ、少尉いるのに言っちゃったまあいっか。ともかく、即戦力として期待していますよ。宿舎は第17宿舎をお願いします。ではまた」


 基地司令が帰ってきたと思ったら、ぼそぼそと必要事項だけ伝えて嵐のように去っていった。

 去り際もぼそぼそなにかを呟いていた。……大丈夫なの?


「……いろいろ整理するのは宿舎に着いてからやるか。まずは第17宿舎とやらに行こうぜ」


 リーリヤ少佐の提案に私たちは頷いて、司令部を出た。







 第17宿舎は前の宿舎と同じくらいの大きさだった。ただ、丸太を組み合わせた木造建築で、前の宿舎とは違って温かみがある。

 前のはコンクリむき出しだったからね。刑務所みたいだった。


「あら、いいところね」

「ですね。暖かそうです」

「実家を思い出すな、こういう建物は」


 でも、基地が攻撃を受けた時にはよく燃えそうだ。それには気を付けておこう。

 宿舎の内装もコテージのように整っていた。随分と暮らしやすそう。なんでこんなに整ってるんだろう。


「なんだか旅行に来たみたいです」

「宿舎なんてどこも一緒だと思ってたけど、結構違うんだな。灰色の天井には飽きてたから助かるぜ」

「ベッドも大きかったわよ」

「助かるな」


 荷物……なんてものはないため、予備の軍服や当面の食料の配給を受けるために師団の倉庫にやって来た。

 ちなみに、基地内での移動は基本的に自転車だ。航空学校みたいにすごい広いと別らしいけど。

 荷物を受け取って、自転車の後ろにくくりつけて、私たちは走り出した。身長くらいの高さまで積んでるから、結構、神経を使う。


「カレーニナ少尉、飛んでる時より集中してんじゃねえのか?」


 リーリヤ少佐がからかってきた。


「そりゃそうですよ……! 飛行機なんてちょっと体勢崩してもすぐ直せますけど、自転車は倒れて大怪我です……!」

「エカチェリーナちゃん少尉は地上より空のほうが好きなのねぇ」

「楽しいですからね、飛んでるのは。少佐たちは違うんですか?」

「アタシは地元に女の働き口が無かったから空軍に入ったんだよな。ラーナは?」

「私は魔法の研究者になりたかったんだけど、学費もすっごいかかるし定員もすっごい少ないのよ。そんな時徴兵されて、軍隊が思ったよりも楽しかったから空軍に来たわ」


 私の知り合いに魔法使いがいますよ――と返事をしようとしたら言葉が出なくて、むぐむぐ呻くだけになってしまった。

 そんな私を、少佐たちは必要以上に心配してくれた。イゾルゴロドのことでまた何か心にキたのかと思われたみたいだった。

 そういう訳じゃなかったから、ちょっと恥ずかしかった。


「い、いやほんとになんでもないんです。ちょっとむせちゃっただけで……あはは」


 顔を真っ赤にして弁明しても、涙をこらえてると勘違いされてしまう。


 ……こういう時に限って、リーリヤ少佐はからかってこないし、ミラーナ少佐はいつも通りすごい優しい。

 ブラックだけど、本当にいい職場だ。


 お母さんとミハイルおじさん、それにノーラへ。

 生きていると信じています。

 私も頑張って生き延びて、この国を守り抜きます。

 もし生き延びていたら、ウォトカを飲んで私の無事を祈って下さい。

 敵軍にまで私の名前を轟かせて、それを以て生存の報告にしてみせます。


 折よく、第33航空連隊は戦闘機連隊に再編された。

 私もエースになってやろう。

 リヒトホーフェン卿やエリカ、ハンナさんに並び立つくらいのエースに。


 二つ名はどうなるかな? 敵パイロットに言われた『白兎』っていうのはかわいくて気に入っている。

 それとも、私の名前から取って『白聖女ベラヤ・スヴャタヤ』なんてのはどうだろう?

 なるべくおしゃれなのがいいな。でも、今のままでは捕らぬ狸の皮算用。

 私も努力するから、聖女カタリナ、あなたの加護も頼みますよ!

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