ウンターネーメン・オストラント

20.東方大事業

 東方大事業ウンターネーメン・オストラント(とうほうだいじぎょう)は、世界戦争中の1891年11月1日に開始された、フォルクス・ゲルマニカとその同盟国による評議会共和国および周辺国への侵攻作戦のコードネームである。



 海沿いの偵察の任務が発令された。


 最近は、私たちの機体にも兵装が取り付けられるようになった。20mmの機関砲が2門、機首に取り付けられている。というか、取っていたのを再び搭載するようにした。

 速度はあんまり重視されなくなったからだ。それより、もし可能なら戦って撃ち落としてほしいってことだろうね。偵察機にあんまり期待はして欲しくないんだけど。


 今回やるのはイゾルゴロドからリヴォニア国境までの海沿いの偵察。西帝連中も働きたいらしく、彼らからの依頼だ。

 海軍なら最強だからね、あの国は。

 なお戦時中なので連隊全員で出撃だ。

 全員でも3人なので、正直ただの分隊。三角形の編隊を組んで飛行している。


『うーん、平和ですね』

『だなあ。いい天気だし、眠くなるぜ……ふあぁ……』

『リーリャ、機体が揺れてるわよ……』

『おっとっと、あぶね』


 海は平和だった。船が時々見つかるものの、それも漁船。スオミ(フィンランドみたいな国)だったり、リヴォニアだったり、我が国だったり、国籍はそれぞれ違うだろうけど。

 平和な日常だった。戦争は遥か西、関係のない場所で行われている。

 その戦争もあまり激しくないし。流石の大衆ゲルマンも息切れなのかな。


『今は宣戦布告されていないから、リヴォニアから飛んでくることはないでしょうけれど、海から大衆ゲルマンが来る可能性はあるわ』

『アイツら、海軍は西帝に殆ど壊滅させられたろ? 大丈夫だと思うけどな』

『でも、空軍は精強ですから。一応気をつけときましょ』

『カレーニナ少尉は真面目だな。悪いことじゃねえけど、息抜きしないとストレスで死ぬぜ?』

『リーリャが適当すぎるのよ……』


 遠くに雲が浮かんでいる。その下には小さな町があって、太陽の日差しが遮られて大きな影になっていた。

 地上から見ると、曇っているのかもしれない。けど、空から見ればただの影。


『そういえば、戦況についてなにか聞いてませんか?』

『そりゃ少佐だから色々聞いてるが……ラーナ、どこまで少尉に言っていいんだっけか?』

『えーっと……私が言うからリーリャは静かにしててちょうだい』

『へいへい』


 ミラーナ少佐はごほん、と咳払いをしてから言い始めた。

 

『まず、国営放送のとおりよ。常勝無敗、とまでは行かなくても圧倒的優勢ね。撤退しているところも統制を維持しているから、大きな問題にはなっていないわ』

『すごいですね、陸軍の練度って高いんですか?』

『前線に出ているのは、全員が訓練を終えた志願兵よ。大衆ゲルマンは占領地からの徴兵も多いらしいから、士気の差は圧倒的ね』

『それは……でも、そういう人を撃つのは嫌ですね』

『そこは問題になっているみたいね。攻撃が始まってすぐに投降するから、捕虜も多すぎるみたいで……贅沢な悩みなのでしょうけど』

『その点空軍は楽だぜ。敵のパイロットなんて大衆ゲルマンのエリート軍人しか乗ってねえからな。良心の呵責は最小限だ』


 ……まあそうなんだろうけど。


『その言い方は、その……』

『そうよリーリャ。カレーニナ少尉はまだ若いんだから……』

『なんだよアタシが悪者か? へいへいそうですかい……って、あれなんだ? おい見てみろ、四時の方向』


 四時の方向――右後ろに顔を向けると、大きな飛行機が飛んでいた。


『あれは……どこの国のですか……?』


 欠陥爆撃機ではなく、四発の試験機でもない。エンジンは双発で、首が少し長い。私たちの国にはない機体だった。


『スオミ……にしては動きが怪しいな。どうする、近付くか?』

『ええ。そうしましょう。……銃座に注意して! 高度を上げて、上から接近するわよ』

『了解です』


 編隊は機首を上げて、高度を1000mほど上昇させた。これだけ離れていれば、銃座が撃ってきても滅多に当たることはない。


『結構早いな』

『そうね。偵察機かもしれないわ』


 加速させて、謎の飛行機と並走できる速度にして、下を覗き込んだ。

 翼に描かれた国章は、白く縁取られた黒の「V」。


『大衆ゲルマンの航空機です!』

『了解。……射撃するのは久しぶりだな』

『私もよ。飛行機に撃つのは初めてね。……急降下して、射撃して、そのまま離脱するわよ。着いてきて!』


 ミラーナ少佐の機体が反転して、真下へと下降する。続いてリーリヤ少佐も。

 私も操縦桿を横に倒して、引いた。身体にGがかかる。


 私たちに気づいていた飛行機の銃座から、幾つもの銃弾が発射される。

 ミラーナ少佐が機関砲を発射した。リーリヤ少佐も発射して、敵機の胴体部分にいくつか着弾した。

 中はひどいことになっているだろうが、まだ飛んでいる。私はエンジンに向かって発射した。


 1回押して、2回押して、赤い曳光弾が射線を彩って、最後に敵機のエンジンが赤く燃える。

 これで十分だろう。もう一度アプローチするのは危険だ。


 速度を緩めずに降下して、敵機の状況を確認すると真下に爆弾のような兵器が吊るされているのが見えた。


『敵機、炎上! やったわね!』


 海面少し上で上昇した私たちは、編隊を組み直して通信を再開した。


『おー、エンジン燃えてんじゃん。もう堕ちるな。ていうか、ラーナもアタシも狙ったのは胴体だよな?』

『そうね。おめでとう、エカチェリーナちゃん少尉! 1機撃墜よ!』

『あ、ありがとうございます……』


 初撃墜だというのに、あまり実感は湧かなかった。無我夢中になっていたのもあるとは思うんだけど、物を壊した時特有の快感が少しあるだけで、『敵機を堕とした』という感覚はしない。


『あら、あんまり嬉しくなさそうね?』

『なんか……現実感がなくて』

『へえ、初めて堕とすとそんな感じなのか? アタシも体験してみてえな』

『報告しないといけないし、基地に戻りましょうか。エカチェリーナちゃん少尉、あと4機撃墜でエースよ。次も任せたわ』


 これを4回繰り返すだけでエース。なんだか、ゲームでスコアを稼ぐ時のような気分になりそうだ。

 あの機体の中には、少なくとも3人以上は乗っていて、私は彼らの命を奪った。……でも罪悪感があるわけでもない。

 狙って、撃って、的を壊した。それ以上の感情が湧いてこない。

 

『おいおい、アタシもエースになりたいんだけど?』

『リーリャは調子に乗りそうだから駄目よ。功を焦って最後の1機で墜落しそうだもの』

『……あり得るな。しゃあねえ、カレーニナ少尉に譲るか』


 でも、戦争なんてそんなものなのかもね。知らない人だし。







 帰路に着いている。

 もう少しでイゾルゴロドが見えてくる――という所で異変を発見した。


 イゾルゴロド港から、沢山の光が放射されていた。


『あれ……? なんでしょうか、花火?』

『花火はこの時期にはやらないわね……』

『花火じゃねえぞ! 弾幕だ!』


 ……光じゃない、曳光弾だ!


 艦隊の対空火器が無数に放たれている。目を凝らして見てみると、狙われているのは……数え切れないほどの航空機……。


『やべえ、空襲だ。急ぐぞ!』

『待ちなさいリーリャ! 敵機の方が圧倒的に優位よ、編隊を崩さずに!』

『……くそっ、わかったよ』


 爆撃機に、戦闘機に、攻撃機。……どれも、大衆ゲルマンの機体だ。

 西帝の戦艦が爆発した。それに続いて、港湾が燃え上がる。弾薬庫に着火して、一帯を消し飛ばした。


 その衝撃波は私たちにまで伝わる。機体が、びりびりと震える。


『一体、どこから』

『見て、スオミの空軍まで居るわ!』

『スオミ……大衆ゲルマンにつきやがったのか!』


 どこから来た?――答えは単純。スオミが大衆ゲルマンと同盟を組んだだけだ。

 北から来られたら、気付けるはずもない。……国境に基地もあったけど、友好国家のつもりだったから、あまり軍隊は置かれていなかった。

 見事な現実政治レアルポリティクだね。国家間の友好なんてものを、彼らは存在しないものだと考えていたらしい。


『気付かれたわ。……接敵するわよ。少尉!』

『はい!』

『ごめんなさいね、さっきみたいな余裕はないわ。あなたは私たちのサポートを! リーリャ!』

『ああ、わかってる! 少尉、私たちが先行する! 後ろに付いた奴を追い払ってくれ!』

『了解です!』


 スロットルを少し引いて、速度を緩めた。少佐2人が加速して、敵機と相対ヘッドオンする。


《来いよ、評共の白兎ども! 丸焼きにしてやる!》


 敵パイロットが無線に乱入してくる。典型的な煽りだけど、脳みそに血が登っている時には凄く効く。

 早く撃とう早く堕とそう――そんな考えに支配されて、周辺の警戒ができなくなる。

 でも、今回前に出てるのは少佐2人だ。私だけは冷静になっていないといけない。


『挑発に惑わされないようにね、2人とも。特に少尉、警戒を任せたわよ』

『了解です』

『敵は2機か。ラーナ、右か?』

『そうよ。少尉、射撃後は右に転回』


 徐々に接近していって、敵機との距離が1kmくらいになり……少佐たちは、向かって右の戦闘機に対して一気に機関砲を放った。

 ミラーナ少佐の機関砲は真っ直ぐ進み、それを避けようと右に動いた先にはリーリヤ少佐の砲弾がすでに向かっていた。

 敵機の燃料に着火して炎上し、黒煙を立てながら地上へと墜ちていく。


 すぐに私たちは右へ転回した。敵も私たちも、速度では同等。

 だけど、私たちの方がよく曲がるから、曲がる時には敵機の方が速度の損失は大きい。


《お前らッ……! よくも相棒を!》


 敵の僚機が叫んでいた。


『少尉、囮になってくれねえか?』

『え?』

『真っ直ぐ飛べ。いいな?』


 返事をするよりも早く、少佐たちが離れた。左右に分かれて、上に飛んだ。


《逃げるなッ!》


 敵機のパイロットが叫ぶと、ぐん、と加速し始める。私もスロットルを押し込んで、緊急出力にまで上昇させた。

 操縦桿を握りながら、必死に愛機を操る。

 ……頭上に敵の弾幕が見えた。すんでの所で当たらなかった。


『少佐、まだですか、少佐!』

『焦るな……いいぞ、後ろを向け』


 逸る気持ちを抑えて、手元を震わせながら後ろを振り向くと、少佐たちは敵機の真後ろに着いていた。


『よし、少尉、上昇しろ』


 操縦桿を一気に引く。強いGがかかって、歯を食いしばった。


《ハッ、その機動は自殺だぞ――何ッ!?》

《来世はもっと周りを見とくんだな。さようならダスヴィダーニャ


 リーリヤ少佐とミラーナ少佐の機首が光り、敵機が火に包まれた。

 失速寸前の機体を操って、機首を真下へ向けた。速度が回復して、思い通りの動きが可能になる。


『各員、残弾は?』

『アタシは……残り10も無いな』

『私はまだあります』

『私も残り僅かだわ。帰投しましょう。……第21航空師団の基地は無理ね。他の場所へ向かうわ』


 少佐たちは帰るみたいだ。だけど、私にはまだ弾がある。


『……私はまだ戦えますっ!』

『1機でアイツらを相手にすんのか? わかってるだろ?』

『無理よ、少尉』

『ですがっ、ですが! イゾルゴロドには、家族が、友人がっ! こっちまで避難してきたんですよ! 助けないと!』


 はあ、と無線の先からため息が聞こえた。どっちかはわかんない。


『見てみろ、イゾルゴロドを』


 目を背けていた現実を、直視した。


 本来史実なら、イゾルゴロド――レニングラードは最悪でも包囲されるだけだ。攻略はされない。


 だが、目の前の古都は燃え盛っていた。

 ……守るべき市民が、街が、燃えている。

 スオミの地上部隊は侵入していて、そこかしこで銃声を鳴らしている。


『……少尉。帰ったらいくらでも話は聞くわ。好きなだけ私を殴っても構わない。だけど、今だけは、指示に従って欲しいの』


 歴史は――この世界の歴史は、私の知っている歴史ではない!!


 ようやく実感を持ったその事実が、私に刃を突き立ててくる。

 偶然似ていただけだ。

 偶然の連続で、私が勘違いしていただけだ。

 ……この国が勝てるかどうかなんてものは、誰にもわからない。


『わ、わかり、わかりました……。従い、ます』


 背中が濡れて冷たい。

 首に脂汗が浮かぶ。

 吸いすぎた息で身体がしびれてくる。


「はっ、はっ、は……ははっ……歴史……か」


 私が道中の爆撃機を1機。少佐たちは、空襲に参加していた戦闘機を1機ずつ。連隊で3機。

 たったそれだけ落としても、焼け石に水だった。


 家族と友人、私をこの道に導いた恩人が燃える都市に取り残される中――私は東へと逃げていく。

 ……逃げる?

 違う、これが軍人の役目だ。

 生きて、国を、守る。


 避難なんて、勧めなければよかった。

 前世の記憶なんて、持っていなければよかったのに。

 勘違いして、調子に乗っていたおれの言葉で、みんな……こうなった。

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