8.悲観主義は私たちには似合わない。
ロシア文学でもよくあるように、愛称っていうのがややこしいので書いときます。
エカチェリーナ → リーナ
レフ → リョーヴァ
ミロスラフ → ミール
――――――――――――――――――――
訓練は毎日続く。
基礎鍛錬としての走り込みはもちろんのこと、墜落して生き残った場合のサバイバルの方法とか。
それにもちろん座学も。航法とか、計器の見方とか、通信のやり方とか。面白いのだと星から方角を見るのもあった。夜間飛行だと実際大事らしい。
好きこそものの上手なれ、ってことわざのように、飛行機に関連する知識だからか私はメキメキ覚えていった。ミールもリョーヴァも、私ほどではないけどどんどん成長していってる。
一般試験を突破しただけあるね、優秀。
最近は早食いにも慣れてきた。大盛りご飯にも。
それと、走ってるのがあんまり苦痛じゃなくなってきた。
「はっ、はっ、なあ、リーナっ」
「ふっ、どうしたの?」
「お前、なんで、チェレンコワ中尉のことっ、ふっ、名前で呼んでるんだ?」
だから、走りながら雑談することもできるようになった。
訓練とか座学のスケジュールがみっちり詰まってる中で、走ってる時の雑談は親睦を深める貴重な機会だった。
「なんで、って言われても。入る前から、ふっ、交流があったから、その時の流れだよっ」
「はあっ、へー、なんだ、そんなもんかっ」
「え、なになに? リョーヴァ、チェレンコワ中尉が気になるの?」
走り込みを繰り返していると、体力の育つ差が如実に現れてくる。
特に伸び幅が凄いのがミールだった。
今みたいに私たちが息を切らしながら走っていても、ミールは楽々走ってる。
「はぁっ!? そ、そんなんじゃねーしっ!」
「あ、リョーヴァ! ふっ、急な、ペースアップはっ。もうっ、ミール。あんまり、からかわないでよ」
「ごめんごめん。ほら、リョーヴァって猫みたいでかわいくて、つい」
「……まあ、わかるけどっ」
リョーヴァは、ミールからは1歳年下だから弟みたいに、私からは異性だから反応がかわいくて、たくさんかわいがられていた。リョーヴァは頭を撫でてあげたくなるかわいさを持っている。天性のタラシなのだ。
私たちはペースを守りながら走り続けた。
しばらく走ると、死にかけみたいな顔をしたリョーヴァが息も絶え絶えに走っていた。
走るのなんてウォーミングアップ。
いい感じに身体も温まって、軍服の袖を捲くると気持ちが良い。
今日は特別な訓練だった。
高い塔に登って、そこから落ちる。
自殺じゃない。パラシュートを使って、降りた時に受け身を取る訓練。
なんでも、
「ということですので、細心の注意を。怪我をした時には、良くて捻挫、悪くて骨折、最悪だと死にます」
訓練の注意事項をアンナさんが涼しい顔で言ってくれた。
え、死ぬの?
「まずは私が手本を見せます」
アンナさんが塔に登り始めた。高さで言ったら2階くらいだから、見てる分にはあまり高くなさそう。
でも、その塔はすごい脆そうな木で建てられている、すごく頼りない建物なのだ。
「受け身を取るのが重要です。着地の瞬間に両手を着いて、可能なら身体を一回転させて下さい」
言うが早いか、アンナさんは塔から飛び降りた。
ほんの少しの空中遊泳と、直後に訪れる衝撃。
くるり、と綺麗に受け身を取って、アンナさんには傷一つなかった。
「……なお、私たちが使うパラシュートは空挺部隊とは違い安全に着地出来ます。正直、この訓練の有効性には疑問を呈するべきなのですが、カリキュラムに組み込まれている以上やってもらいます」
「それって、意味ないってことですか?」
「……有り体に言えば。ですが、覚えておいて損でもないです。各員一度だけ行いましょう、何度も行うのは危険ですから。まずは……レフ。あなたからお願いします」
「えっ俺!?」
まさかの最初がリョーヴァだった。こんな訓練でいきなりトップバッターを任されるなんて彼も運がない。
私とミールはほっとしていた。最初が一番怖い。
「エカチェリーナとミロスラフが待っていますよ、早くしなさい」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよチェレンコワ中尉。こういうのは成績優秀なリーナからやるべきじゃないですか!?」
おっと、なんでそこで私にパスを回すのかなリョーヴァくん!?
アンナさんも一考に値しますね、って感じで考え込んでる。余計なことしやがって!
「確かに、危険な訓練ですからね。ではエカチェリーナ、お願いします」
「えぇぇ!? 本気ですかアンナさん!」
「時間にあまり余裕はありません、早く」
私はリョーヴァを睨んだ。
「リョーヴァ、死んだら化けて出るからね!」
心もとない木製はしごを登って、柵も何も無い木の塔のてっぺんまで登った。
飛行機を乗る時はなんともないけど、生身で高いところに行くのはすごい苦手だ。
だって、飛行機って飛ぶ原理が科学的に証明できるじゃん。安心できる。
高いマンションと一緒。基盤がしっかりしてれば安心できる。
……でもこれは無理。落ちたら危ない。
下を見るとアンナさんが見てくれていた。怪我してもなんとかなるかな……なんとかなれ。
「ああ、もうっ!」
これ以上ここにいても良い方向に変わることは絶対にない。
覚悟を決めて、私は飛び降りた。
一秒にも満たない空中遊泳の後に来たのは、どすん、とした衝撃。
重力に引っ張られるままに腕を地面にぶつけて、そのままころんと一回転した。
「綺麗に出来ましたね。良い見本です、エカチェリーナ。では男子2人、やりなさい。始めはレフです。今度は逃がしませんよ」
「い、生きてる……」
急いでその場から離れると、リョーヴァが落ちてきた。
リョーヴァは一回転に失敗していた。
「いってえ……けど生きてるからいいか……」
最後に落ちてきたのはミール。
少し不格好だったけど、上手く受け身を取れていた。
「……二度とやりたくないね、この訓練は……」
◇
そうして一日の訓練が終わっていく。
自室に戻ってシャワーを浴びて、食堂に行って夕飯を食べて、寝る前には少しの自由時間。
最近は、娯楽室に行ってラジオを聞きながら新聞を読むのにハマっていた。ちなみに電話も設置されている。けど、使う人はあんまりいない。
お母さんから掛かってくることはよくあったけど、私から掛けることはほとんどなかった。
家に電話がないからね。ほとんどの人も一緒だ。
『次のニュースです……』
ラジオからニュースが流れてくる。
殆どは真面目に聞く必要のないやつだけど。平和な国だから、大きな事件が起きないのだ。
でもこの時間は国際ニュースだったはず。しっかり聞いておこう。
『遂に統一が為されたと――発表が――』
「えっ!?」
つい驚いて声が出てしまった。……良い所で回線が悪くなる。
でも、「統一」なんて言葉を今の時代に使うのはあの国しかない。
例のドイツみたいな国。そう、群雄割拠の地獄内戦に陥ってた国だ。
我が国も平和維持のために軍隊を送ってはいるんだけど、港周辺の治安維持しかできていない。
他の国は藪蛇にしたくないのか、誰も軍隊を送ってなかった。植民地だけはさり気なく分割してたらしいけど。
まあ、介入することのうまみがほとんど無いのだ。
軍需産業とか重工業だけは保護されて、民用品を生産する軽工業はボロボロ、その結果経済もボロボロ、何十年の内戦で人口も激減。
限界が近づいているようだったから、内戦が終わるのも時間の問題とされていたけど、本当に終わるなんて。
「……おや、エカチェリーナ。奇遇ですね」
「あ、アンナさん」
新聞を見ながら考え事をしていたら、アンナさんが娯楽室にやって来た。珍しい。
この人は夜はいつも自室にいるから、夜に外に出ること自体が珍しい。
「エカチェリーナは何用ですか? 娯楽室は男女共用ですから、夜に訪れるのはあまり感心しませんよ」
「えっ、その、そういう目的じゃなくて……」
「冗談です。ニュースでも聞いていたのでしょう?」
アンナさんは私が手に持つ新聞を指差してそう言った。
……ていうか、アンナさんって冗談言うんだ。初めて知った。
「今日はウォトカを久しぶりに飲みましてね。酔い覚ましに教室棟の見回りも兼ねて散歩をしていました」
「酔い覚まし、ですか。それならちょうどいいニュースがありましたよ」
「ほう、どんなニュースです?」
「ついに内戦が終結して、統一されたらしいですよ、あの国」
私が言うと、アンナさんは一瞬だけ固まった。
「……ようやく、ですね。ええ、酔いは覚めました。ありがとうございます。はあ、やっと世界に真の平和が訪れそうです」
「アンナさんは平和が好きですか?」
「当たり前ですよ。軍人の中に戦争行為が好きな人がいることは否定しませんが、ほとんどの人は平和を守るために志願していますからね」
「そういうものですか」
「そういうものです。もう少しで消灯時間です、エカチェリーナ。そろそろ自室に戻るように。おやすみなさい」
平和は本当に訪れるんだろうか。戦争のために存在していた国が、このまま平和な国に変わるとは思えない。
統一した勢力がどこによるか、っていうのもあるだろう。
……けど、残念ながら、あの国で分割してた勢力はその殆どが過激派。
我が国と同じような思想を持つとこもいたけど、過激すぎてそもそも同志として認められていなかった。
まあ、あの国の周りには他にもいくつか国がある。我が国との間にも、革命の時に開放された独立国がいくつか。
たぶん大丈夫だろう!
悲観主義は私たちには似合わない。ウォトカを飲んで、未来は良いものだと信じるのみ。
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