3.どうですか、これが私ですよ!
吹雪が徐々に滑走路に雪を積もらせていた。
なるべく早く動かないと、離陸も上手く出来ない。
「エカチェリーナ!」
風の音に負けないくらい大きな声で、アンナさんが話しかけてきた。
「私が先導します! 無理せずに着いてくるように! 視界が悪いですから
飛行機に乗りながら、アンナさんは吹雪の中で飛ぶ際に大事なことを教えてくれた。
空間識失調――空と地上がわからなくなる事に注意、それと、感覚よりも計器を信頼すること。
しっかりと頭に叩き込んで、返事をした。
「わかりました!」
エンジンを始動する。冬だからかかりが悪かったけど、なんとか。
気が付いたら慣れていた爆音が辺りに響く。
始めのうちは猛獣の咆哮みたいだったけど、今では馬の嘶きみたいに感じられる。
信頼する相棒が語りかけてくるようなものだ。
操縦桿を上下に動かして
そして、左右に動かして
それだけじゃなくて、エンジンの
しっかり後ろを向いて、確認よし。
左右の足を動かして、ペダルを踏んだ。
よし。
計器のチェックも終えて、機体を動かし始めると、アンナさんはすでに準備を終えていた。
流石現役空軍パイロット、手際が良い。
「アンナさん!」
エンジンの音に負けないように大声を出すと、アンナさんは私に気が付いて手を振ってくれた。
それから、指を二本にして、ぶんぶんと前に降る。
パイロット間では声で話せない。だから、ジェスチャーで意思疎通する必要がある。
あの動作は――出発の動作だった。
エンジンの回転数が上がっていって、徐々にプロペラが速くなっていく。それに伴って機体も動き始める。
私はブレーキをかけておいて、アンナさんを先に離陸させた。同時に離陸なんて危なすぎる。
赤い塗装をされた複葉機が、地上から離れていく。吹雪も相まって、なんだかサンタクロースみたいだった。
アンナさんが離陸したのを確認して、私もブレーキを離した。
加速していく――雪の上は初めてだった。
集中しないと、スピンしてしまいそうだ。ラダーを操作するのに集中しながら、計器で速度をしっかり確認する。
十分に速度を稼いだのを確認して、操縦桿を少しずつ引いた。
どすん、どすん、と何度か地面と
空は真っ白だった。
左右を見ると、地上が見えない。
水平になっているのか全くわからなかった。
アンナさんに言われたことを思い出して、水平器を確認しながら機体を水平に戻した。
……遠くにエンジン音がする。アンナさんだろう。
操縦桿を動かして、音の方向へ向かっていく。
◇
白い景色の中に、ゆっくりと飛ぶ赤いシルエットが見えた。
アンナさんの飛行機だ。
装着したゴーグルに雪が降りかかって見えなくなる。たまに手で拭わないと視界が奪われてしまう。
少し速度を上げて、アンナさんの真横につけた。なんとか動きが見えるくらいに。
アンナさんも私に気が付いて、大きく手を振ってくれた。そんな動きをしているのに、飛行機は微動だにしていない。
私が手を振ると、飛行機が少し揺れてしまった。
アンナさんは、腕を上げて手をグーにして、ぐるぐると回す。
『後ろについて来い』の意味だ。
操縦桿を動かして、アンナさんの後ろに着いた。アンナさんが綺麗に飛んでいるから私も安心して飛ぶことが出来る。
真上に動いた。すぐに動かすと衝突する危険があるから、少し間を空けてから操縦桿を引く。
ぐるりと一回転した。
左右に蛇行している。
急激な左右転換で凄い
視界が黒に染まっていくけれど、歯を食いしばってなんとか耐えた。
これに耐えられないとブラックアウトして、運が悪いと失神する。つまり墜落して死ぬ。
集中力がガリガリ削られていった。
寒さに、何も見えない視界。目の前の機体しか信頼できない極限状態。
それでも、根性だけでなんとか喰らいつく。
私は飛行機が好きだから。
正直、役所のパレードなんてどうでもいい。
ただ、好きなことのためにプライドを捨てるのは嫌だった。
急な加速に急な減速。アンナさんにも危険が及ぶのに、そこまでして私を試してくる。
スロットルを細かく動かして、機首の上げ下げも活用して上手く速度を調整した。
アンナさんは現役の空軍パイロットだ。当然戦闘機にも乗ったことがあるだろうし、戦闘機動にも詳しいだろう。
急な上昇をして、機体を一回転させる。高度が急に上がって、耳が詰まる。
少しくらりとして、けど、私は気合を入れるために言葉を発した。
「……見せてあげます、私には飛ぶ資格があるってこと」
息を吐いて、言葉を呟く。
白い息になって吹雪に消えていく。
けど、その言葉が勇気を沸き上がらせる。
――アンナさんの度肝を抜いてやろう。
ふと、そんな考えが浮かんできた。それと一緒に、映画で見たあの動きも。
これはきっと蛮勇で、たぶん、やっちゃいけないことなんだろう。
でも、大好きなことのプライドを傷つけられて、そのままにしておくのも……許されない。
アンナさんの真横に行く。急に速度を上げて並走した私を見て、アンナさんは驚いていた。
そのまま、操縦桿を引く。高度が上がって、ちょうど二機分くらい。
そして操縦桿を横に傾ける。天地が反転する。
「あとは微調整……」
慎重に、慎重に動かしながら、私の機体をアンナさんの機体の真上に動かしていく。
アンナさんは私を避けようと動くけど、それにぴったり引っ付いて。ナメクジみたいに逃さない。
「エカチェリーナ! 何を考えているんですか!」
アンナさんの声が聞こえる。飛行機同士で声が聞こえる距離まで来てしまった。
エンジンが2つっていうのは、想像以上の爆音だ。その中でも声が聞こえるくらいの至近距離。
「アンナさん! どうですか、これが私ですよ!」
文字通り頭に血が登っていって、視界が赤くなっていく。
これ以上は危険だから、サムズアップしてから操縦桿を押して、機体を離脱させた。
◇
「エカチェリーナ・ヴォルシノワ」
地上に戻って来ると、理性が戻った。
――とんでもないことをしてしまった!!
アンナさんが来る前にミハイルおじさんのところへ逃げようとすると、首根っこを捕まえられた。
「うぐっ!」
「エカチェリーナ・ヴォルシノワ。あなたは本官に対し非常に危険な行為を行いました。弁明は?」
アンナさんの青い瞳が私を貫く。……ひえ。
ぶるりと肩を震わせて、私はなんとか声を絞り出した。
「……あ、ありません」
「よろしい。本来ならば軍人への危害行動と見なされ、武力の行使も当人の判断において許可されます」
そ、それって。
「……う、撃たれるってことですか? 命は?」
「武力の行使とは、そういうことです」
「ご、ご、ごめんなさい!! 撃たないでください! 出来心だったんです!!」
アンナさんの手を見ると、腰の銃に手をかけていた。
……殺される!!
「……はあ、本来ならば、です」
「……え?」
「エカチェリーナ、冷静な人だと思っていましたが、存外熱くなりやすいのですね。今回は同情の余地があります。私も、大人げない事をしてしまいました」
アンナさんはため息をついて、腕を組んだ。
ゆ、許された……?
「……ですが」
一瞬安心して心を緩めると、その瞬間にお腹に拳がめり込んだ。
肺の息が全部吐き出されて、私は倒れ込んだ。
「大変、危険な行為です。エカチェリーナ・ヴォルシノワ。自身の欠点を認識し、今後の改善を求めます。宜しいですか?」
「うぐぅっ……」
「返事は?」
「……は、はぁ、はぃっ……」
かひゅ、かひゅって死にかけみたいな息をしながら、私は死にかけみたいに返事をした。
……アンナさんは優しいから勘違いしてたけど、この人も軍人なんだ。
人を殴って躾けるのが必要だと考えてる人……。
「ひどい……」
「この程度で済ませたのだから、感謝して欲しいです。私たち以外の目撃者が居たら、あなたは牢獄行きでしたよ、エカチェリーナ」
「そ、そんなに危ないことしちゃったんですか私」
まさかあんな悪ふざけがそこまで大事だったなんて。……そして前言撤回、アンナさんはやっぱり優しい。
「党の軍隊に危害を加えるのは極刑です。確実に」
「えっ」
「二度と行ってはなりませんよ。……ですが、あなたの技術は素晴らしいものでした。さて、同志ヤコヴレフの元に戻りましょうか」
息も絶え絶えになりながら事務所に戻ると、ミハイルおじさんが待っていた。
私たちの帰還を待っていたようで、無事を確認するとずいぶんと嬉しそうにしていた。
「おお、お疲れ様! ……リーナちゃん、大丈夫かい?」
「ええ、エカチェリーナには負担が大きかったです。ですが、よく頑張ってくれましたよ」
私が余計なことを言う前に、アンナさんはにこりと微笑んでおじさんに私のことを報告した。
アンナさんは後ろで握り拳を作って、人差し指と小指を立てた。
……確かこれは、『減速しろ』って合図だったはず。今の場面だと『黙っていろ』って意味だろう。
黙って従っておこう。怒らせると怖い。
「それはよかった……! やったね、リーナちゃん!」
「は、はいっ……」
「そして、魔法の知識も伝えましょう。失礼ですがエカチェリーナ、魔力量は把握していますか?」
ていうかそうだった、私って魔法を学ぶためにこんなことしてたんだった。
正直どうでもよくなってて忘れてた。だってアンナさんと飛ぶの楽しかったから……。
「え、えっと……わかんないです」
「そうですか。では、手を出して下さい」
手を差し出すと、手相をなぞられた。
同時に、手のひらから何かが流れ込んできた。くすぐったいような、そんな感覚。
「ふむ。魔力量は常人より少し多めですね。良い事です」
「えっ、それだけでわかるんですか?」
「ええ。同志ヤコヴレフも確認しましょうか?」
私たちを見ていたおじさんが驚いて声を上げた。
魔法っていうのにはみんな憧れがあるらしい。私は飛行機にしか興味がない。
「同志は……ふむ。皆無ですね。魔法を使ったら失神します。決して使わないように」
「えっ……は、はあ……わかりました……」
おじさんは魔法は使えないらしい。
すんごい顔をして肩を落として、わかりやすいくらいに落ち込んでた。
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