第6話

 二十年以上前の恋愛話で盛り上がる事のできる時間と空間が妙に居心地が良かった。トイレに行き、鏡を見た。明らかに本社の事務所にいる時とは違った表情の英雄だった。事務所にいる時は、何が苦しいのか眉間に皺を寄せている事が多い彼だった。「根暗な奴」とか「理屈っぽい奴」と事務所内や現場で囁かれているのも知っていた。


 そんな囁きを気にしないようにして必死で生きている振りをしている、「自分の事は自分が一番知っているよ」と叫びたくなる器の小さい今の英雄だった。そして「俺が今一度、現場に戻れば水を得た魚の如く本領発揮できるんだよ!」と負け犬の遠吠えを心の中で叫んでいた。


 「高校時代の恋愛かぁ……」高校一年の時に英雄にも好きだった先輩がいた。初めて告白した。そして「好きな人がいるから」という理由で断られ撃沈された過去を思い出していた。それから、その子と校内ですれ違うだけで、小心者の彼は緊張して鳥肌、脂汗が出ていた。


 今思い出すと実に自分らしくて面白く滑稽だった。「あの頃からずっと器の小さい臆病者だったな」と自分を振り返った英雄だった。その後、英雄が三年生になった時に一年下の岡崎 雪代から告白されて、あの公園で初キスをしたんだ。


 話が盛り上がった。気付くと一軒目で四時間以上も居た。もう時間は二十二時だ。若い頃だったら、もう一軒というところだが、四十歳を迎える彼らにはお開きにはとても良い時間だった。これから半年に一回ぐらいは集まろうと事で会は終わった。


 店を出た。皆はそれぞれ帰路に着いた。英雄は、本当はもう少しだけ、明子と話しがしたかった。いや個人的に話しがしたいという衝動に駆られていた。


 こんな思いをしたのは、久しぶりだった。暫く忘れていたトキメキを思い出していたが、一歩踏み出す勇気が英雄にはなかった。明子とそんな関係になったとしても、社外の事だが暫く、そんな火遊びをしていなかったので、すっかり弱気になっていた。


 社内では介護士同士のダブル不倫が問題になっていて、それを指導する立場だった事でその対応で苦慮していたのもあったからだ。そんな彼はまだ飲み足りなくて馴染みの店に寄った。

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