「ほんわか論説文」の勧め

きせのん

「ほんわか論説文」の勧め

 ネット上ではその匿名性ゆえに言動傍点1になりやすい、というのはたびたび聞く話だ。実際、SNSを見ていると現実で聞く以上に暴言を見かけるような気がする。しかしそんな根拠も分からない話を鵜呑みにせず、国語の教科書を開いてみよう。あるいは、模試や入試の過去問でもいい。とにかく現代文、論説文を読んでみよう。適当にパラパラと読んだだけで傍点2の悪さが伝わってくる。誰も彼もが、何かの批判のためにしか書いていない。【ア】

 そもそも「論説文」とは何であろうか。手元の辞書によると「論説」とは「(時事などについて)自分の意見を述べること」だそうだ。つまり論説文においては、批判をしなければならない理由など無いのである。それなのにこの現状だ。【イ】

 普段から読書に親しんでいない若者にとって、国語で取り扱う文章は触れる現代文のほぼ全てを占めている。それが攻撃的なのだから、ネットで批判ばかり起こるのも無理もない。流石にネット上でよく見るものが正しいとは思わずとも、文章とはそういうものだという意識が刷り込まれてしまうこともあるだろう。そうなれば、また攻撃的な言葉遣いをする若者が増えることに繋がりかねない。【ウ】

 と、ここまで他人事のように書いてきたが私たち自身についても省みる必要がある。現代社会への疑問、問題の提起。そのような論説文ばかりを見るうちに、「論理的に整った文章」と「現状を批判する文章」がニアリーイコールで結ばれてしまってはいないだろうか。そしてそれに影響され、筋道立った説明をしようとするときについつい攻撃的な口調になっているのではないだろうか。するとまた、それを読んだ人々が…という悪循環に陥ってしまう。


 また攻撃的な文体の文章ばかりが広まると、日本人の文章を読み取る能力の低下にも繋がりかねない。

 多くの人は、他人がいがみ合うのを進んで見たいとは思わない。当然、その授業で多く取り扱われ傍点3のものを私的な時間を費やしてまで読みたいと思う人は少数派だ。無論、元から小説を読んでいる人々にはほとんど影響しない。だが本を読む習慣が身についていない人がその文章を見たとき、読書に触れてみようと思うだろうか。そんな訳がない。

 そのため、読書をしようという人が今よりも更に減ってしまう。今の状況ですら「若者の読書離れ」が叫ばれ続けて久しいというのに、だ。

 普段から長い文章に触れている人の方が論理的な読み取り能力が高いことは疑うまでもないことだろう。日頃から少しでも読書をして、長文に慣れておきましょう。おそらくは中学生や高校生の頃、まだ受験生ではなかった時期に言われている人がほとんどだと思う。きちんと聞いていたか、そして覚えているかは別として。そこでは新書の類でなく小説でも良い、などと言われていたかもしれないが、そんなことは関係がない。その文脈では、中長期の受験対策として読書が紹介されているのだ。つまり聞き手が連想するような文章は…ということである。


 冒頭にも述べた通りに、論説文は「批判文」ではない。だからこそどうだろう、ここから抜け出してやさしい論説文、「ほんわか論説文」を広めていくというのは。人類は有史以来、お互いに終わりなき争いを続けてきた。それは現代においてすらも、形が異なるだけで大昔と何ら変わりないものである。そしてその一端の現れこそが、ここで問題に挙げている批判的かつ高圧的な文章なのだ。

 だから、より平和な形で文章を表現していくことが大事になってくる。今あるものに否定的になって粗探しをするのではなく、優しい気持ちと言葉で物事に接し論理的に意見を述べる「ほんわか論説文」が社会に必要とされているのだ。



問一 傍点部1,2は漢字を、傍点部3は読みを書け。


問二 以下の文章が本文中から抜かれている。戻すとしたら【ア】〜【ウ】のうちどこが最も適当か。

「さらに高圧的な言葉遣いであることも多いため、読んでいてあまりいい気分にならないものがほとんどだ。」


問三 本文から読み取れる筆者の考えに関する記述として正しいものを、以下の(カ)〜(ケ)のうちから一つ選べ。

 (カ)筆者は、インターネット上で広まった乱雑な言葉遣いによって長い文章を読み解く力を持つ若者が減少すると考えている。

 (キ)筆者は、この問題を他人事として捉えるのではなく、自分たちが書いてきた論説文を見直し反省することが重要だと考えている。

 (ク)筆者は、敵対的な文章を多く読まされることによって文章を読もうという気力が損なわれると考えている。

 (ケ)筆者は、人類どうしの争いは古代から現代まで全く変わることなく続いてきていると考えている。



以下、コメントと解答解説


何だったかは忘れたんだけど、「論理的な文章を書けるように」みたいなこと読んだのよ。

んで天邪鬼な心が湧いてきて、「論理的だけど論理的に破綻してる文章かけないかな〜」って思ったわけ。

それで思いついたのが、「何かを否定しかしない論説文はやめよう!」って言いつつ既存の論説文を批判してる——つまりそれの主張する「何かを否定しかしない論説文」になってる——っていうもの。

あとはそれを「既存の論説文」と同じような問題形式にしたら皮肉っぽくて面白いかなって。

ただもうちょい長く書けたら問題もまだ増やせたんだけど、文章力に限界が来たので断念。無念。


問題とか解答は作者が勝手に言ってるだけなのであんまり気にしないでね



という訳で答え/解説

問一

 傍点部1:粗暴

 傍点部2:治安

 傍点部3:たぐい

 ——特に言うことはない。


問二 【ア】

 ——抜かれている文のはじめ「さらに」よりこの文は前までの内容に累加するものであることが読み取れる。よって同じような内容である、文についての記述の直後である【ア】であると分かる。


問三 (ク)

 ——(カ)「乱雑な言葉遣いによって」が誤り。

 ——(キ)「論説文を」が誤り。

 ——(ケ)「全く」が誤り。本文で「形が異なるだけで」と述べられている。

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