取材対象G ――這い寄る黒、囲む青 後編


 年の瀬迫るある日、記者は一通の手紙を受け取った。

 その手紙は記者が一度だけ出会った男性だったが、手紙を送ってよこした直後、謎の死を遂げてしまった。

 彼は命を落とす間際、手紙で「自分に起こったことを記事にしてほしい」と手紙にしたためていた。

 記者はその手紙を読み、彼の足跡そくせきを辿ることにする――。

(取材レポート〇七番より引用)



 昭和三十二年(一九五七年)十二月二十七日。

 手紙を読み終えた私は、軽食をとった甘味茶屋を出た直後に、青い粘液の水たまりに遭遇した。

 粘液は点々と痕を描いて、まるでどこかへ導くようにつながっている。

 完全に衝動的な欲求だった。

 ――手紙の中には「黒い犬」の存在が示唆されていた。それは全身から青い粘液を滴らせながら、彼の命を狙っていた……と書かれていた。

 この青い水たまりは、まさにその「青い粘液」をそのまま表している。

 私は恐怖と高揚感に背筋を粟立てながら、それを追いかけることにした。



 供述調書1

 本籍 アメリカ合衆国コネチカット州■■■■(米国人)

 住居 東京都■■区■■-■■

 職業 米軍■■■基地所属 中佐

 氏名 ■■■■■ ■■■   大正11年8月3日生(満35歳)

 上記の者は、昭和32年12月27日、米軍■■■基地において、本職に対し、任意次の通りに供述をした。

 当基地所属の■■■■ ■■■■■中尉についての行動記録を開示する。

 12月20日、10:00。中尉は当基地における軍事訓練に参加。

 同日16:00。訓練終了。

 同日16:30。シャワールームにて目撃。

 同日17:05。■■■基地から帰宅。手に封筒を持っていたのを目撃している。

 それ以降は不明。これきり■■■■■中尉の姿を見ることはなかった。

 先日、中尉のロッカーを確認したところ、彼の持ち物が残っているのを確認。訓練で着用していた軍服、財布、自宅の鍵が残されていた。

   ×   ×   ×

 供述調書2

 本籍 アメリカ合衆国フロリダ州■■■■(米国人)

 住居 東京都■■区■■-■■

 職業 米軍■■■基地所属 大尉

 氏名 ■■■ ■■■■   昭和2年11月24日生(満30歳)

 上記の者は、昭和32年12月27日、米軍■■■基地において、本職に対し、任意次の通りに供述をした。

 ■■■■氏なら、最近、なんか様子がおかしかった。

 一週間くらい前のある夜だったな。

 その日の彼は夜勤で、同じく夜勤の隊員同士みんなで集まって、クリスマスツリーを飾ることになっていた。ほら、クリスマスも目前だったから。

 なのに、彼はツリーの飾りつけに参加しないで、夕方の当番を終えると、さっさと部屋にこもったんだ。それで自分が様子を見に行った。

 そうしたら彼、宿舎の部屋を大改装していたんだよ。

 具体的には、毛布やクッションをかき集めて、家具の角という角に積み上げていたんだ。ベッドとか机とか、ああいったものの角だ。それだけでなくて、壁と床の角にも敷き詰めていた。

 で、俺が「おいおい、歩きはじめのベイビーじゃねえんだから。そんな過保護にしなくてもいいだろう?」って言ったら、彼はこう言ったんだよ。

」って。

 で、俺が「あれって何だ? ブギーマン(注:欧米の民間伝承に登場する怪物らしい)でも来るのかよ」って問うと、彼は鬼気迫る表情でこう言ったんだ。

「違う。あんな空想の存在なんかじゃない」って。

 その目つきがあまりにも真に迫っていたから、さすがの俺も一瞬気圧されたね。

 で、もう彼は必死になって部屋の角にクッション敷き詰めてるもんだから、それ以上、声のかけようがなくてさ。

 しょうがないから俺は宿舎を出たんだ。

 彼はそのあとしばらくしてから、みんなの所にやってきて、夕食を食べていたよ。

 あっそうだ、今思い出したよ。

 彼、うわごとのようにぶつぶつ呟いていた。

「あの場所に行かなきゃ。謝らなきゃ」って。

 誰に対して謝りたかったんだろうな? ナンパしたカワイコちゃんと喧嘩にでもなったのかな。

    ×   ×   ×

(注釈)

 上記2名に事情聴取をした際、通訳を同行。

 作成日:昭和32年12月27日

 警視庁 ■■警察署 捜査課巡査部長 ■■■ ■■

(外国人男性変死事件における警察資料より一部抜粋)



(何だろう、これは)

 私は、道に点々と刻まれた痕跡を追いかけながら、以前に読んだ海外の童話を思い出していた。その童話には、親に捨てられた兄妹が家に帰るため、来た道に白い石を撒いておいた、という場面があった。

 しかし私が追いかけているのは白い石ではなく、不規則に零れた青い水たまりだ。

 その青い液体は、一目でそうとわかるほど強く粘っている。そして有機物が腐敗したような臭気を放っていた。

 ――とある経緯から面識を持った男性から、一通の手紙をもらった。しかし彼は先日怪死を遂げてしまった。

 彼が死の間際に私に送ってよこした手紙には、彼が体験した奇妙な出来事がつづられていた。その中の一つに、「青い粘液の水たまり」、そして、「黒い犬」の存在が記されていた……。

(その黒い犬は、体から青い液体を滴らせていた)

 速足で歩きながら、私は手紙の内容を思い返していた。

    ×  ×  ×

 それはぐちゃりと嫌な粘りかたをして、血が腐ったような臭気を立ち昇らせていた。

 その瞬間、また、獣の唸り声が聞こえた。

 声のした方向を見た時――そいつは、いたんだ。

 コールタールのように真っ黒な色をしたでかい犬が、四つ角から俺のほうを見ていた。

 そいつは目をぎらぎらと光らせながら、長い舌をだらりと垂らして、俺を睨んでいた。

 そして全身から、青い液体をぼたぼたと滴らせていたんだ。

    ×   ×   ×

(あの記述に従うと)

 この「青い水」は、「黒い犬」が身体から滴らせていたものだ。

 何らかの原因で青い水を被ったから濡れていたのか、それとも――。

からなのか)

 それが正しいのだとしたら。今私が追いかけている「青い水たまり」は、「だ、という確信が持てるようになる。

 つまり、これを追いかけていけば。

?)

 足元からひんやりと冷気が這い上ってくるのを感じながら、私は脇目も振らずに青い水たまりを追いかける。



 捜査資料

 分類番号 32-12のト

 事件名:■■市■■外国人男性変死事件

 昭和32年12月27日、米軍■■■基地の許可を得て、基地の宿舎を家宅捜索、以下の物品を発見。

 軍の管理下にあるため、証拠品の押収許可は下りなかったが、物品の詳細な情報を提供してもらう。

   ×   ×   ×

 以下、被害者の遺留品

 い:腕時計。ゼンマイ式アナログ時計。米軍仕様。問題なく稼働する。

 ろ:菓子。米国産ゼリイビインズ。米軍支給品。

 は:文書。被害者のロッカーから発見。英文の紙片。

 に:軍服。軍事訓練で着用する迷彩戦闘服。多少の傷みアリ。

 ほ:財布。米国ドル(日本円2万円相当)、日本円(1万2573円)が混じって入っていた。

 へ:身分証1。アメリカ合衆国の運転免許証。

 と:身分証2。米軍の階級章(IDカード)。

 ち:自宅の鍵。東京都■■区にある被害者自宅アパートメントの鍵。

(外国人男性変死事件における警察資料より一部抜粋)



 私は寂れた路地を進んでいた。

 いつの間にか道から土瀝青アスファルトがなくなって、固く踏みしめた赤土になっていた。足音は時々水を含んだ重いものになっては、不規則に乾いた音に戻る。

 青い水たまりは土にしみこむことなく、冴え冴えと痕跡を描いている。

「お客さん、※※※※見ていかない?」

 不意にどこからか声が聞こえて、私は顔を上げた。

(まただ)

 またおぞましい声が私の耳に飛び込んだ。

 顔を上げて初めて気がついたが、私の周囲には未知の街並みが広がっていた。

 何かの店が軒を連ねているが、そのどれもが何の店なのかわからなかった。店先に並ぶ品物がどれもが奇妙に歪み、看板には未知の文字が並んでいる。

 どこかで見たようで、どこにも見たことがない街――。

(何だここは?)

 恐怖心よりも好奇心が私の中に湧き起こった。

 私は一件の店に近寄る。そこの主人――たぶん男性――が私に向かってこう言った。

「お兄さん、※※※※※はいかがかな?」

「何ですか?」

「そう、※※※※※だよ」

 どうしても主人の言葉が聞き取れない。壊れたラヂオのようにそこだけ音が歪む。

 適当に断って私は先を急いだ。

 逸る気持ちに連動して、私の足も速くなる。

 いつの間にかひんやりとした霧が立ちこめている。

(この先に)

 青い痕跡は途切れずに続いている。まるで私を道案内するかのように。

(ここは私の知らない街)

 真っ白な石造りの太鼓橋を渡ると、淀んだ潮の臭いに取り囲まれた。

 青い水たまりは、白い石の上にくっきりと色を落としている。

 あまりの鮮やかさに見とれていると――それは私の見ている前で、

「……!?」

 目の錯覚かと思ったが、二度、三度、ぐじゅぐじゅと泡を浮かべては弾ける様を見て、錯覚ではないと思い知らされた。

(これは)

 私はこれと似たような何かを知っている。

 そうだ。以前の取材で私は聞いた。生きもののように蠢き粘るの存在を。

と似ている)

 太鼓橋を渡り終え、さらに進む。

 球体を縦に積み重ねたような、奇妙な形の灯篭が左右に建っている。

「丸い……」

 そういえば――と、今思い出したが――彼の手紙にこんな言葉が書かれてはいなかったか。

 ――「丸い門の神社」と。

 丸い灯篭。丸みを帯びた太鼓橋。

 霧の奥に、巨大なまるがうっすらと浮かび上がっている。

(丸……)

 そこにそびえ建っていたのは、黒く丸い門――否、だった。



 捜査資料

 分類番号 32-12のト

 事件名:■■市■■外国人男性変死事件

 捜査現場:東京都■■区■■-■■

 昭和32年12月28日、米軍の立ち合いのもと、被害者■■■■ ■■■■■氏の自宅を家宅捜索、以下の物品を発見。

 り:手帳。英文で記述。スケジュールに関する事柄が記載されている。

 ぬ:文書② 手帳から発見。英文の紙片。

 る:工芸品(仮)。三角錐に似た形状をした、工芸品のように見える何か。真っ黒な石で作られ、一端が欠けている。大きさは5cm×3cmに収まる程度。

 を:外套。被害者の私物のトレンチコート。裾が破損。青い塗料が付着。

 注釈

「り:手帳」は、立ち合いの米軍関係者が内容を確認。機密事項は記載されていないとのこと。

「ぬ:文書②」は殴り書きのため、判別が困難。米軍■■■基地の被害者ロッカーで発見された証拠品「は:文書」と共に現在解読中。

「る:工芸品(仮)」を購入した可能性があるため、該当の店を現在捜索中。

(外国人男性変死事件における警察資料より一部抜粋)



 私はまるい鳥居を見上げる。

(初めて見る形だ)

 鳥居は直線で構成されているものが多いから、いうなれば「四角い」形状になるものだが……この鳥居は、木の蔦を複雑に絡めて円を作り、それを鳥居としているように見えた。

 傍に石柱が設えられているのがわかった。妙に癖のある文字が彫り込まれている。

 ――「殄蛇辣神社」、と書かれているようだが、何と読むのだろうか?

(ち? て? ……だらつ? 何だろう)

 私は神社の名前を読めないまま、鳥居をくぐって境内に入った。

 参道はつるりとした石畳が敷き詰められていた。石畳は完璧に真っ平で、継ぎ目がまったくわからない。

 参道の両脇、左右対称に何かが建っている。近づくとそれが何かがわかった。

「灯篭?」

 しかし、先ほどの灯篭とまったく形が違う。

 さっきの――円い鳥居のに置かれていた――灯篭は、球体を縦に積み重ねたような形をしていた。

 だけど今ここ――鳥居のにある灯篭は、完全な三角柱だった。角には一切の丸みが無く、鋭利に尖っている。

 どちらにせよ一般的な形とは異なり、私が初めて見る形の灯篭だ。

(ここは何だろう?)

 境内は耳が痛くなるほどに静かだ。さらに奥へと進む。

「……?」

 また霧の中に影が見えた。

 参道の両脇に何かが建っている。石の三角柱と、その上に載った、左右一対の――。

 

(これは)

 その狛犬は墨で染めたかのように真っ黒な石で作られていた。そして普通の彫刻とは異なり、幾何学的な直線と角で作られた造形をしている。いうなれば、定規を使って描いた「犬っぽいもの」を立体化したかのような。

 直線で作られたその狛犬は、右の一体の左耳だけが失われていた。

(耳の欠けた狛犬)

 彼からもらった手紙の一説が私の脳内に浮かんだ。

   ×   ×   ×

 コマイヌの左耳が、ぼろりと崩れ落ちてしまったんだ。

 壊すつもりはなかった。本当だ。完全に酔った勢いだったんだ。

   ×   ×   ×

(これのことだったのか?)

 ……「彼」が迷い込み、手紙で私に伝えた「神社」はここのことではなかろうか。

 私はさらに奥へ視線を移す。

 目の前はひたすら濃密な霧が立ち込めるばかりで、本殿の陰らしいものは愚か、誰の姿も見えない。

 刹那――空間いっぱいに、音が響き渡った。

 それは脳に突き刺さり、神経を蹂躙じゅうりんする音だった。甲高く、おぞましく、本能が無条件に恐怖を覚えるような音。

(何だこれは!?)

 私は目を閉じて耳を塞ぎ、逃れようと身をかがめた。とてもじゃないが立っていられず、身をよじって膝をつく。

 ――ココカラネ。

 頭の中に声が響いた。おぞましい音と錆びた声。頭がおかしくなりそうな音の嵐の中、私は反射的に口を開いた。

「待、って……一つだけ、教えてくだ、さ」

 ――何ヲ教エロト?

 何を? 私は何を訊きたい? 引っ搔き回される脳を必死に働かせ、必死に口を開く。

「ここは、一体……どこですか?」

 ――ココハ境界、踏ミ入ルナ。

 ――オマエハ此方コナタニ属サヌ者。

 ――今ナラユルス。

 錆びた声が幾重にも重なって私に襲いかかる。

「ここは……何……?」

 私はそれを繰り返し尋ねるしかできない。

 ――吾等ワレラハ、シナフ時ヲイトウ。

 ――吾等ハ、縦方タタサマノ時ニ属スル。

 ――其方ソナタコトワリヲ守ルタメ、境ハ撓フモノデ組ム。

 ――ココハ既ニ吾等ノ領域。縦方ノ時流ルル世界。

 もはや「声」が言うその言葉の意味を考える余裕は、私にはなかった。

 ――ダガ、アノ者ハ、理ヲ破ッタ。

 ――アノ者ハ、ケガレヲ持チ込ンダ。

 ――アノ者ハ、欠片カケラヲ持チ去ッタ。

 ――ソレハ世界ニオケル禁忌ナリ。

 ――故に吾等ハ、犬ヲ放チ追ワセタ。

 犬。その単語だけをかろうじて私の耳は捕えた。

(まさか)

 ……「彼」を死なせたのはなのでは?

 音の嵐は容赦なく襲い続け、私はとてもじゃないが耐えられなかった。膝から崩れ落ち、石畳の上に転がってもがく。

 頭の中でおぞましい音が暴れまわる。

 ――ココカラ去ネ。嗅ギマワルナ。

 ――サモナクバ……。

「声」とともに、するり、と足に冷たいものが巻き付く感触がして、私は目を見開いた。

 刹那、墨よりも黒い不定形の触手が、幾本も石畳の表面からぞろりと湧き出て、私を取り囲むようにうぞうぞと蠢いた。

「ひっ」

 触手――としか表現できない墨色のそれは、私の体に絡みついて縛り上げた。

 そして別の触手はうぞうぞと私の眼前で踊ったかと思うと、糸を巻き付けるように互いに絡みあってまとまり、四つ足の生物を思わせる何かの形を描いた。

 それは大きな「犬」に酷似していた。

 墨色の触手から生まれ、幾何学的な肌を持つその「犬」は私に近づく。

 鋭い爪を持つ四肢が踏んだ痕がを湛えた。

(ああ――)

 私は問答無用で理解した。

 これが、「彼」の言っていた「」だ。

「犬」は文字で表現できないようなおぞましい唸り声をあげながら、私にゆっくりと近づいた。鋭い口を開き、赤く脈打つ長い舌をだらりと垂らす。

「犬」の呼気から濃厚な血の臭いがした。

(そうか)

 私は音の嵐に気が遠くなりながら、直感的に理解した。

(こいつが、彼を)

 無残な失血遺体として発見された「彼」は、全身の血が無かったと新聞に載っていた。

 このおぞましく奇妙で恐ろしい「犬」が、きっと吸いつくしたのだ。

(そして私も)

 左耳の無いその「犬」は鼻面と思しき部分を私に近づけ、口を開いて舌を蠢かせた。非生物じみたその獣の中で唯一生物っぽい長い舌が、私の首筋に伸びてきて――容赦なく肌に突き立った。

 首を刺す痛みとともに、熱が体外へ逃げる感覚を覚えた。

(ああ)

 全身の血を吸いつくされてしまう――と思ったその瞬間。

 おぞましい舌は、突如弾かれたように、私から離れた。

 次いで「犬」が怯えたように私から飛びのいた。表現しがたい音の鳴き声をあげながら、明らかに私から遠ざかる。

 ざわり、と私の体を拘束する触手が動いた。

 ――何ダオマエハ?

 ――オマエハ其方ノコトワリヲ持タナイ。

 ――此方ノ理ヲ持タナイ。

 明らかに「声」は慌てていた。私はわけがわからない。

 ――オマエハ何ダ!?

 ――オマエハ何者ダ!?

 ――!?

 ――オマエハ!?

 ――キャァァアアァァアァァ!!

 笛の音のような、あるいは甲高い悲鳴のような音が響きながら、辺り一帯の空気が動いた。

 空間が揺らぎ、白い石畳が感触を失い、私を縛る黒い触手が緩んで――。

 ばつん、という何かを断ち切る音とともに、私の意識は断絶した。



 捜査資料

 分類番号 32-12のト

 事件名:■■市■■外国人男性変死事件

 昭和32年12月29日、被害者の私物から回収された証拠物品のうち、「文書」の解読が完了。

 該当の証拠2点。以下に詳細を追記する。

【は:文書】

 発見場所:米軍■■■基地ロッカー

 藁半紙わらばんしと思しき、てのひらだい程度の紙片。英文で殴り書きされている。

 内容は「いつの間にかポケットに入っていた石はきっとあちら側のもの」。

【ぬ:文書②】

 発見場所:被害者自宅アパートメントにて、私物の手帳に挟まれていた。手帳の1ページを破り取ったものと思われる。荒い文字で殴り書きされている。

 内容は「角から犬が狙っている 助けて」。

 詳細は捜査中。

(外国人男性変死事件における警察資料より一部抜粋)



 日本には八百万やおよろずの神々がおわす、という考えがある。

 そして外国にも、その土地に伝わる神話と伝承の数だけ、多くの神々がおわすという。

 ならば――この世ならざる世界にも、神はいるのだろうか?

 そうなのだとしたら、その神は、果たしてどのような神なのだろうか?

 神は幸福をもたらすばかりではない。人を守るばかりではなく、人の世にわざわいをもたらす存在もいるという。

「彼」が迷い込んだ神社というのは、そのような神を祀るものだったのだろうか?

 確かめる術はもはや存在しない。

 ……本来ならば、亡くなった人物の文書をこのような形で記録するのは不謹慎に当たるのかもしれない。

 しかしこれは「彼」が体験した「事実」なのだ。そしてそれを記録し、誰かに知ってもらうことを、「彼」は望んでいたのだ。

 彼に哀悼の意を捧げて、当レポートを終了する。

(取材レポート〇七番より抜粋)




 私は目を開けた。

「……?」

 まず見えたのは、凍った朝露を纏った草むらだった。

 体を起こす。

 人気のない土手に私は横たわっていた。目の前を川が流れているが、どこの川なのかわからない。空は朝焼けが一面に滲んでいて、かなり早い時間帯であるようだった。

「……?」

 私は覚醒しきらないまま、無意識に首筋に手を触れた。

 「っ」

 滲んだ血が指先に付着した。首筋に怪我をしている。

 まるで何かに刺されたような。

 (……何に刺された?)

 脳内を一瞬で記憶が駆け巡る。――鋭角で構成された空間。幾何学的な石の建造物。

 そして……「」。


 ――「!?」。


 脳の奥底に、あの神社での声が反響した。

「……ふ、ふふふ」

 わけもなく笑いがこみあげて、私はまた地面に横たわり、一人で笑い転げた。

「ふふふ。あははは! あははははははは!!」

 ずっと自分の中に巣食っていた違和感がやっとわかった。

 否、やっと辻褄が合った。

 なぜ私の周囲に、怪奇体験をした人々が集まるのか。時折、私にだけ聞こえていた謎の声は何なのか――すべて一言で説明がつくではないか。

(ずっと昔から、!)

 だから、私を害する者を葬ることができた!

(すべては、〝!)

 だから、私は冒涜的な世界に惹かれるのだ!

 たった今、唐突に、直感的に、そして完全にその事実が理解できた。

 理解できたことが快感で、私は朝露に全身を濡らしながら一人で笑い続けた。





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