幕間その壱

「よう、久しいな」

 私に声をかけて来たそいつは、顔見知りの記者だ。

 はっきり言って私はこいつが嫌いである。大嫌いである。

「なんだよ、久方ぶりの再会なのにつれないねえ」

 そいつ――その名を言うのも虫唾が走るので、書かない――はその潰れた声で馴れ馴れしく言う。

 なぜか知らないが、こいつは私を見下していた。

 たぶん、以前に取材現場で鉢合わせたのが理由だと思う。

 というかそれしか思い当たらない。

 私は駆け出しのころ、今のような怪奇ルポライターではなく、数ヶ月の間だけカストリ雑誌(いわゆるエログロな記事を扱う雑誌)の下働きみたいなことをしていた。

 理由は、私が世話になった人が当時そういった雑誌の編集部署に配属されていたので、その手伝いをしていただけだ。

 で、一度、猟奇事件を扱った記事の取材についていった時に、こいつもその現場にいたのだ。

 こいつは何がどう気に食わなかったのか知らないが、私を目の敵にしている。

 ある時いきなり何の前触れもなく、

 「てめえ、俺のすっぱ抜いたネタを盗みやがっただろう! この泥棒が!」

 と怒鳴りつけられた。

 そこから目をつけられてしまい、向こうは私を目ざとく見かけるたびに「よう、また俺のネタを盗んだのかよ泥棒」と因縁をつけてくる。

(暇なのか、こいつ)

 はっきり言って、私はこいつに気を配ってやるほど暇ではない。

 こいつはにたにたと下品な笑みを醜悪な顔にはりつけて、私に歩み寄った。

「俺、またすげえネタ掴んだんだ。てめえが逆立ちしても辿り着けない特ダネ」

「そうですか」

 私は努めて乾いた声で機械的に返事だけした。

 私がこいつを一番好かない理由は、こいつは質の悪いゴシップ記事を仕立てるからだった。個人的に一番反吐が出るタイプ人間なのだ。

 ゴシップ自体を追いかけるのは、百歩譲って解かる。

 しかしこいつは一の事実に九の嘘を水増しして、書かれた対象が破滅するようなものを好んで書くのだった。

 例えば人目を避け、郊外の診療所にかかって薬を処方された著名人がいたとしよう。こいつはその事実を湾曲して嘘を飾りつけ「×××がヒロポン取引! 激やせはそのせい!」のような記事にするのである。

 著名人が記事は虚構だ、と声明を出しても、今度はそれを否定した上で、別のゴシップ記事やカストリ記事に「ちなみに以前の×××の場合は」とこじつけてしつこく蒸し返す。

 脱線と当てこすりと揚げ足取りを満載した、論理のカケラもない論法を繰り返し、対象をとことんまで追いつめる。それがこいつの書く「記事」だ。

 しかも、こいつの質が悪いところは、記事の中に「一、二割の事実」を含み、それを第二報、三報と繰り出すのだ。

 そしてそうやって生み出された過激な記事を、大衆は喜んで読んでしまう。

(何がおもしろいんだか?)

 しかもこいつは無駄に顔が広いらしく、様々なカストリ雑誌や週刊誌にちらちらと三行記事が載る。そしてそのほとんどにしつこく件のゴシップを匂わせ続け、半永久的に小銭を稼ぐのだ。

(と、いうよりは)

 私の印象では、こいつの書くものは、個人的に私怨を塗り込め、自分よりも優れている者を陥れようとする妬み嫉みにしか見えない。つまり私刑だ。私刑をさも正義であるかのように書きたて、大衆心理を煽って公開処刑に持ち込む……とでも表現しようか。

(まあ趣味は悪いな)

 どうしてそんな記事を書くんだ、と一度だけ問うたことがある。すると、こいつは下卑た笑いを浮かべて言った。

「だって、痛快じゃん。お高くとまってる有名人様が、哀れに落ちぶれて破滅するんだぜ? 俺のこの巧みな記事と詳細な情報で。こんな痛快な事ねえよ」

 反吐が出る答えだった。私は質問した事を後悔した。

 転落した者――幾ら発端が本人の不備とはいえ――を、さらに蹴り落とし、棒で打ち据えて、二度と立ち上がれないように両脚を折る。それでは飽き足らず針でちくちくと刺し続けるのだとこいつはほざいた。

 こいつが報道と表現する私刑は、きっと対象がその命を失うまで続く。

 というか、私は知っている。こいつにゴシップを書かれた映画スタアや新人歌手が、いつの間にか何人も消えてしまった事を。

(前言撤回。こいつは趣味ではなく性根が悪い)

 こいつの書く記事――否、記事と表現するのも嫌な「戯言」は、誰かを殺すためだけの存在だ。

「俺の記事を買い取ってくれるって人がいてよお」

 気がつけば、こいつは何事かをべらべらと喋りつづけていた。

 たぶん自分の記事が優れているという戯言をのたまっているのだろうが……よくもそんな雑音をわざわざ、嫌っている私に聞かせようという気になるな?

(他に楽しみが無いんだな。哀れな奴だ)

 意趣返しではないが、私も内心ではこいつを心の底から見下していた。

 面と向かって口に出さないだけ私のほうが紳士的だろう……と思うくらいはいいだろう? 誰にも迷惑はかけていないのだから。

「――あばよ。泥棒野郎」

 こいつはひとしきり雑音を吐き終えると、意気揚々と歩き去って行った。

 夜の街にたちこめているような、女ものの安い香水の匂いが私の鼻をくすぐった。果物が腐ったような不快な臭いだった。

「……下衆が」

 私はあいつが消えていった空間に吐き捨てた。

 少しだけすっきりした。



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