肩越しの東京タワー
「うわ~美味しそう!」
「スーたんも昼に食べてね」
「うん!昼の前に食べちゃうかも!」
キッチンの横の台に並んだ二つのお弁当。
今日は土曜日。
仕事中に外に出る予定がないらしく、神田さんは朝からお弁当を作った。
作って冷蔵庫に置いてあったひじきの煮物やミニハンバーグ、茹でたトウモロコシとか。
お母さんを思い出すお弁当。
いや、お母さんより詰め方がお洒落。
カシャカシャ
「インスタにのせよう」
「インスタ始めたんですか?」
「思い切って始めようかな」
「うん!始めようよ!」
「じゃあ会社の若い子に聞いて登録しちゃお」
緑のクロスに包み、いつも持って行く鞄にしまった。
私のは冷蔵庫へ。
「今日何かやっとくことないですか?」
「んー…買い物は明日行けばいいし
洗濯は言わなくてもやっちゃうでしょ?」
「うん」
「じゃあね…んーーっとね」
「ためますね」アハハ
「一日中俺のこと考えといて♡」
アハハハハハハ
そんな冗談を言って、神田さんは玄関で靴を履く。
「神田さんのエプロンしちゃお~」
「ごめんね洗い物」
「お弁当作ってくれたんだから
シェアですよシェア」
「インターホン鳴っても出ないでいいからね
もう何も注文してないから」
「はい」
「何かあったらラインして
今日は早く帰れると思うけど」
「はい」
「じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい♡」
神田さんの家に来て1週間。
「えっと、洗濯して掃除機して」
洗濯機が回っている間に食器を洗って掃除機をして
ベッドの上を綺麗にして
そして洗濯物を広いベランダに干して。
東京タワーをしばし眺める。
美来くんはあれから本当に何も言ってこなかった。
もちろん大学でも会わない。
あの時感じた恐怖は、神田さんと笑って過ごすうちに徐々に薄れ、思い出すと痛んだ胸の奥も痛まなくなってきた。
「あ、ボールペン染み出来てる」
白いYシャツの胸ポケットは、濃い紫のシミを作っていた。
朝見る東京タワーは、あの日、神田さんが助けてくれたときに見た夜の東京タワーとは同じ物と思えない。
神田さんは優しい。
だから困ってた私をほっとけない。
もう美来くんはうちに来たりもしないだろうから
いつまでも甘えてちゃいけない。
自分から言わないと、神田さんはきっと帰ってなんて言わない。
いい人だから。
昨日渡したお金で、私は牛肉を買ってきた。
スマホで調べて牛丼を作って、今日は待って、一緒に食べようと思った。
神田さんを待ちながら、広げた楽譜の音符の通りに指を動かす。
頭の中で音をつけて。
ガタッ
え?
「あ、声は掛けたんだけど
集中してるみたいだったから」
「お帰りなさい
気付かなくてごめんなさい」
頭の中はピアノの爆音だったから気付かなかった。
「うわ、スーたんご飯作っててくれたの?」
「上手くできたかはわからないけど」
「おいしそ!」
神田さんが帰ってきたのは、いつもよりだいぶ早い20時過ぎだった。
牛丼の小鍋を温め、ご飯をお皿によそうと、神田さんは着替えて手を洗ってキッチンに来た。
「いい匂い」
「調べて作ったけど保証はできない」
「俺はスーたんが作っただけで美味しい」
アハハハハ
牛丼だけだった。
ほかにサラダを作るとか、お味噌汁を作るとかは思いつかなかった。
「一番テーブルお願いします」
「了解!」
朝とは逆。
神田さんがテーブルに運ぶ。
そして一緒に席に着いた。
夕飯をここで一緒に食べるのは初めて。
「食べていい?」
「はい」
「いただきまーす!」
モグモグモグモグ
「どう?食べれる?」
モグモグモグ
「うん!美味い!
甘めで丁度いい!」
「よかった~~」
美味しい美味しいと、神田さんは食べてくれた。
レシピの通りに作ったから、可も無く不可も無くな味だったと思う。
もしかしたら神田さんは、こうしたら美味しいとか、汁物や副菜を考えたかもしれない。
料理上手だからそうだと思う。
だけど美味しいと食べてくれた。
人の気持ちを考えられる優しい人。
いい人なの。
私が作ったからと、片付けは神田さんがしてくれた。
「スーたんお風呂いっといでよ
今日は時間早いからゆっくり映画見れるよ」
「はい」
「たまには怖いのも見ようか」
「え、幽霊は嫌だよ!」
この楽しい暮らしももう終わり。
神田さんと居るの
ううん、違う
神田さんの空間にいるのが、なのかな
ここにいるの、すごく気持ちいいんだけどな。
シャワーを浴びて、髪に塗り込んだオイルも、化粧水も乳液も、置いていた下着もひとまとめにした。
「あがった?俺も入ってこよ
スーたん映画選んどいてね」
「はい」
そして寝室に置いてあるリュックの中に入れた。
神田さんが買ってくれた物だから神田さんの物なんだけど、置いてても仕方ないだろうし。
もし彼女とかいたとして、こんなのあったら困るだろうしね。
彼女、いるのかな。
髪を拭きながら、今日見る映画を選んだ。
神田さんが思いっきり泣きそうなやつにしよう。
テレビの中に映画のサムネイルがいっぱい出てくる。
この一週間で結構見たかも。
なんにしようかな
ガラッ
選ぶ前に洗面脱衣所の引き戸が開いた。
「早かったですね~」
「スーたん…?」
神田さんの髪からポタポタとしずくが落ちる。
「え、ちゃんと拭いてくださいよ~」
落ちる水滴を気にとめることもなく、ドカドカと私めがけて来て、両腕をガシッと握った。
「化粧品は?着替えは?」
夕方、畳んで置いていたタオルを椅子の上から取り、神田さんにかぶせた。
髪をごしごし拭くと手首を取られ、タオルの中から真剣な顔が私を見る。
「神田さん…えっと
一週間、お世話になりました。
もう大丈夫だから…えっと
明日…プールのあとは……」
なんで?
「プールの…帰りは…家に……」
私、なんで泣くの?
「いつまでも…居候って訳に…いかないし
明日…家に……」
腕を掴む力が痛い。
「いつまでも…甘えて……られ…」
私が言い切る前に
神田さんが私を抱きしめていた。
「帰らないで」
「でも……!」
「一緒に暮らそう」
腕の中で顔を上げると
重なる目と目
私が閉じると
そっと
唇が重なった。
「神田さん…」
「甘えていいから…
甘えて欲しいから…
ずっとここにいてよ」
「うん…!」
映画は見なかった。
キスをして
肌を撫でてて
真っ暗な部屋の中
肩越しに東京タワーを見た。
「怖くない?」
「神田さん…私…ちゃんと」
「この音聞こえない?
気持ちいいって言ってるよ」
痛い事なんて何も無かった。
「神田さん…」
「名前にして…」
「巧実…さん…」
「息止めないで…声聞きたい」
「やだ…」
加速する二人の息の音が重なる。
何かを考える隙なんてない。
空が落ちてきそう
「可愛い…」
ただ幸せだった。
私に触れる手から
愛おしさがあふれてるのが
よくわかった。
「スーたん?寝る?」
「うん…」zzz
このまま
「おいで」
「ん…」zzz
素肌のぬくもりに全身を包まれて眠れることが
こんなに幸せだと
私は知らなかった。
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