第12話
「さなぎちゃん……」
「はいー?」
男性がぼそりと呟いた。それを聞き逃さなかった藤代が首を傾げたと同時に、閉じられていた体育館の扉が勢いよく開いた。
「なんの音だ⁉︎」
カッと懐中電灯の明かりを向けられて詩月たちは目を細めた。視界全体が白く、そこに誰が立っているのか目視では確認できないがおそらく声からして藤代が男性を床に叩きつけた音を聞いて急行してきた教員だろう。
「お前たちは……なんでまだ校舎に残っているんだ――って、その男は誰だ⁉︎」
声だけで良いリアクションをとっているのがわかる。詩月が目を慣らしていると、パッと体育館全体の電灯がついた。どうやらここに駆けつけた教員は一人ではなかったようだ。
「せんせーたちもお仕事お疲れさまですー。実はかくかくしかじかで不審者を捕まえましたー」
「か、かくかくしかじか? ちゃんと説明しなさい!」
そろそろ目が慣れてきた頃合いだろうか。詩月がうっすら目を開けると、扉付近には用務員と見られる男性が一人と、教師が二人立っていた。
彼らは藤代と守屋からここで起きたことの説明を受けている。男性はおとなしく体育教師に拘束されていた。
「ふん、なるほど。お前たちのことは一旦置いておくとして……不審者が出たとなると警察を呼んだ方がいいな」
教師の言葉に男性の方がぴくりと反応した。
先程までおとなしく口を閉ざしていた男性が急に叫び声を上げた。
「うわっ!」
その声に驚いたのか、体育教師がのけぞった。男性を拘束していたのは彼だ。のけぞったときに拘束が緩んだのか、男性は体育教師の腕を振り払うと一直線に扉の方へと駆け出した。
男性の突然の行動にその場にいた全員が驚き、動きを止める。
扉の前には守屋を含め、詩月と体育教師以外の全員がいた。人がたくさんいる方に向かって、男性は迷いもなく足を進めた。扉が一つしかないのでしかたがないといえばしかたがないが。
全員が動揺し、動きが止まっている隙に男性が扉をくぐって外に出た――と思ったが、このような状況で動揺しつつも冷静に対処できる人間がその場に一人だけ存在した。
「ぐわぁっ!」
男性が先程よりも大きな悲鳴をあげて壁に叩きつけられた。衝撃音だけで痛々しい気持ちになるほどの鈍い音だった。
「私から逃げられると思わないことですー」
拘束から逃れて体育館外に出ようとした男性に容赦ない華麗な回し蹴りを決めた藤代はまっすぐに男性を見下ろした。
「す、すげえ蹴り……うちも専属の殺し屋を雇ったのか……⁉︎」
「そんなに薄汚れていないはずだけど」
衝撃的な光景を前に放心する守屋に詩月は肩をすくめた。たしかに藤代の蹴りはなかなかのものだ。蹴り飛ばされた男性は壁に体重を預けて伸びきっている。
「なっ……」
教員たちは驚きで口を開けて放心していたが、ハッと我に戻ると用務員は警察を呼びに走って行った。
体育教師は念の為と言って倉庫から大縄の縄を持ってくると、気を失ったままの男性の手を拘束した。その縄の余った部分を扉の取っ手に結びつけたのは、警察が来るまでそうしておくつもりのためらしい。
こうなったら藤代が直接押さえておいた方が確実な気がするが、彼らも教師として生徒に危険なことはさせないだろう。
「うっ……」
男性の身柄を拘束し、詩月たちの方に向き直した教師が口を開こうとしたとき、男性がうめき声を上げた。どうやら目が覚めたようだ。
「ここは……うぅ、頭いてぇ……」
どう呟いて痛む頭をさすろうとしたようだが、あいにくと手元は縄で拘束されている。手が自由に動かないことに気がついた男性はハッと顔を上げて自身の置かれた状況を把握したようだ。
「そこでおとなしくしておけ。すぐに警察が来る」
「クソッ!」
体格の良い体育教師に睨まれて、さすがに男性も観念したようだ。力なく項垂れると静かになった。
「お前たちも今日のところはもう帰りなさい。明日詳しい話を聞くからな」
教師に促され、詩月たちは顔を見合わせると素直に帰えることにした。
さすがにこの状況で教師に反抗し、体調不良者続出の謎を解き明かすまで帰らないなどと言えば嬢野家の名に泥を塗りかねない。
詩月が体育館を出ようとすると、守屋が不意に立ち止まった。
「あの、ひとつ聞きたいことがあるんですが」
「なんだ?」
守屋が振り返り、声をかけると教師が首を傾げた。
「彼が学校に不法侵入してきた理由です。それがわからないと不安じゃないですか」
「それは……まぁ、そうだが。そういうのは警察の人に任せた方がいいだろう」
そう言って教師は胡座をかいて項垂れる男性を見下ろした。
「俺が知りたいのはこいつがお嬢さまに害をなすかどうかだけ。それだけでも教えてくれません?」
教師の制止を無視して守屋は男性の顔を覗き込んだ。すると男性は髪の隙間から虚ろな目を覗かせた。
「そこの女になんて興味はない」
「そうですか。それならもうどうでもいいです」
ぼそりとつぶやかれた言葉に守屋は頷くと腰を上げた。
「じゃあ、帰りましょうか」
「そうですねー。彼はどうやらただのストーカーのようですし、私たちには関係ありませんー」
「ストーカー?」
「ストーカーじゃない!」
体育館に男性の怒号が響く。突然の大声に詩月の肩が揺れた。
「なに言ってるんですか? どうせ貴方はさなぎって子のストーカーなんですよね? さっきさなぎちゃんーとか言ってたじゃないですかー」
まさか認めないつもりですか、と冷静に言葉を吐く藤代に男性は顔を赤ると肩を振るわせた。
「俺はストーカーなんかじゃない! 純粋にさなぎちゃんのことを心配しているだけだ!」
「……さなぎちゃんという方は一体誰なんです?」
「もしかして一年の立川さなぎのことか?」
詩月が首を傾げると教師が怪訝そうな顔をして呟いた。
「一年……藤代さんのクラスメイト?」
「いえー、私と同じクラスの子ではないですね。たぶん」
「転校生とは違うクラスの女子生徒だ。先週体育館で気を失っていたところを俺が保健室に運んだから、接点は少ないが彼女のことはよく覚えている」
「先週って……もしかして一人目の……」
「お前みたいなゴリラがさなぎちゃんに触れたのか⁉︎」
詩月たちが教師と話していると、男性が口を挟んできた。顔が赤く、息も荒い。随分と興奮しているようだ。暴れそうになっているが、しっかりと結ばれているのだろう、こちらに危害を加えれれそうにはない。
「いいか、さなぎちゃんはな、喘息を患っていて病弱な子なんだよ! それをお前みたいなゴリラが触れたら汚れちまうだろうが!」
「俺は汚くなんてない! 筋トレ後はきちんと風呂に入っている!」
「先生、怒るところはそこではないと思います」
男性につられて興奮し始めた教師を宥め、床に座らせる。
このまま立たせていたらズンズンと男性の元まで近寄って殴りかかってしまいそうだったからだ。
「まーまー、せんせーも落ち着いてください。所詮ストーカーの戯言なんですから、気にしない方がいいですよー」
「だから、俺はストーカーじゃねぇっつてんだろ!」
「うるさい、黙れ!」
自身をストーカーだと認めようとしない男性は藤代の言葉が気に食わないようで怒号を上げた。しかし何度も繰り返されるそのやり取りがしつこかったのか、もう一人の教師が声を張り上げた。
ずっと静かに状況を見守っていた教師の急な大声に男性は怯んだのか口を閉ざした。
「この話は警察にしなさい。きみたちも今日のところは早く帰ること。寄り道はするな。わかったら早く鞄を持って出て行きなさい!」
畳み掛けるように教師に流され、詩月たちは今度こそ帰路についた。
校門をくぐる時、用務員が制服姿の警察官を数名引き連れて体育館へと向かっていくのが見えた。
さすがにここまできたらあの男性も逃げ出すことはできないはずだ。そうなると彼は適切な処罰を受けることになるだろう。
「でもなんで完全下校時間後の校舎に忍び込んだんですかね? さなぎって子はもう帰宅してるだろーに」
「……ストーカーの考えることなんてわからないけど、あれでしょ、人のいない教室に忍び込んでさなぎさんのリコーダー」
「やめなさい」
詩月に咳払いで止められ、守屋は口をつぐんだ。ろくでもないことだ。
「はぁ、明日怒られるだろうなー……だるいなぁ」
「俺たちが今全力で考えないようにしていたことを言わないでくれるかな」
「あっ、そうだ。詩月お嬢さまの名前を使って回避できませんかね、このイベント。我が校の姫君に叱責の言葉を投げかけるなんて!」
ミュージカルのように手を伸ばし、悲しげに自身の肩を抱く仕草を見せる藤代に守屋は苦笑した。
「変なこと言うね、藤代さんは。だって、ほら。お嬢さまはどっちかって言うと姫というより暴君って感じですよね」
ね、と守屋は詩月に笑いかけた。詩月は笑みを返して、
「使用人を殴るのって罪に問われるんでしたっけ?」
軽く拳を握りしめた。
「それなら私が代わりにやりましょうかー?」
「ちょ、待って、きみがいうと冗談に聞こえない」
シュッシュッと素振りをして見せる藤代に、守屋は笑みを引き攣らせると詩月に駆け寄った。
そんな戯れをしつつ家に帰ると、玄関には数人の使用人と鬼のような形相をした嬢野家当主、つまることろ詩月の父親が立っていた。
「あ」
忘れてたと言わんばかりの表情から、青ざめていく守屋。
「私、新人。部屋、戻る」
急にカタコトになり、そっとその場を逃げ出そうとした藤代の動きが止まる。彼女の肩をがっちり掴んだ詩月の父親が額に血管を浮かべながら笑って口を開いた。
「三人まとめて説教です」
「です、よねー……」
「まぁ、そうなりますよね」
「……はい、勝手なことをして申し訳ございませんでした」
藤代たちにとっては詩月の父親は雇用主だ。潔く諦めた藤代は肩を落とし、守屋は苦笑し、詩月は滅多にない父親からの叱咤を予測して先に頭を下げた。
いくら詩月でも悪いこと、自身を想ってくれる人を心配させるようなことをしたのは気に病んだ。
心配故の怒りを受けてから、詩月たちは部屋に戻った。
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