第11話

 少し前まで茜色に染まっていた空が闇に溶けていく。

 校舎の中に入り込む光源が減り、校内を照らすのは天井に取り付けられた白い電灯の光だけになった。

 窓の外を覗くと学校前の道は薄暗く、生徒の姿も見えなかった。


「わくわくする!」

「わかります。夜の校舎ってなんだかドキドキしますよね。楽しいですー」

「この二人、混ぜちゃいけないタイプかもしれない……」


 購買部で買ったパンや飲み物の入った袋を握り、守屋は頭を抱えた。その前には楽しそうにはしゃぐ詩月と藤代の姿があった。

 時刻は十九時四十五分。完全下校時刻を十五分ほど超過していた。


「こんな悪いことをしていると知ったら、お嬢さま大好き旦那さまがなんて言うか……」


 守屋がぼそりとつぶやいた。

 詩月たちは今、藤代の発案で放課後の校舎に残っていた。


「もしものときは詩月お嬢さまのことは私がお守りするので問題なしですー」

「そういう問題じゃないんだけどなあ……」


 守屋はため息をつき、スマホを操作した。おそらく家で詩月たちの帰宅が遅くなっても騒ぎにならないように他の使用人にうまいこと説明しているのだろう。

 詩月たちは完全下校時間時に教師によって行われる巡回の目から逃れるために隠れていた空き教室から出ると、体育館へと向かった。

 藤代の提案はこうだ。


「場所がバラバラとはいえ、調べればなにかしらの情報は掴めるかもしれませんー。一箇所ヤマカン張ってみます?」


 つまるところ、藤代は情報収集の一環として被害が出た場所の捜索をしようと言い出したのだ。しかもサクッと調べるだけではなく、その場で待機し、なにかしらの異常が発生しないかのチェックもする。これは時間がかかる作業だ。故に詩月たちは放課後の校舎に密かに残っていた。もちろん学校側に許可は取っていない。


「完全下校時間になるまでにいろんな場所を調べましたけど、一箇所に絞るならやっぱここですよねー」


 そう言うと先頭を歩いていた藤代が立ち止まった。目の前には体育館入り口の鉄の扉が重々しく佇んでいた。


「放課後の屋上もなかなかに興味をそそられましたけど……最初の被害者が出た体育館の中。ここの方がもしせんせーたちが見回りに来たとしても隠れやすいですからー」

「でも鍵がかかっているんじゃない?」


 日中ならともかく、今は完全下校時間を過ぎている。普通に考えれば最初の見回りのときに鍵を閉めているはずだろう。


「鍵がかかっていようとなにも問題ありませんー。ピッキングすればいいだけですから」

「さらっと犯罪まがいなことを……」

「まがいもなにも犯罪でしょう」


 頭につけていたヘアピンを取り外し、藤代はニッと笑うと体育館の扉に手をかけた。


「およ?」


 藤代は体育館の扉の鍵穴に目線を合わせるために腰を下ろした。しかし扉の持ち手を握って首を傾げた。


「どうかしたの?」

「いや、これ……ピッキングする前から開いてますねー」

「え?」


 詩月が首を傾げると、藤代はエプロンドレスについた埃を手で払いながら立ち上がった。

 疑問に思った守屋が体育館の扉を引く。すると扉はいとも簡単に開いた。


「……閉め忘れ、ですかね?」

「もしかしたら幽霊が私たちを呼び込むために開けたのかもー」

「そっ、んなわけないでしょ。ね、お嬢さま?」

「……」

「なんでなんにも言ってくれないんですか⁉︎」


 詩月が返事をしないでいると、守屋は取っ手にしがみついた。

 普段飄々としている男がカタカタと怯えている姿はなかなかにおもしろい。


「入ってみましょう」

「イエッサー」

「待って、本当に入るんですか? やっぱりやめときません?」

「詩月お嬢さま、守屋パイセンは私が引きずっていくのでご心配なく」


 藤代はここまできて怖気ついた守屋を取っ手から引き剥がし、詩月に親指を立てた。詩月は笑みを返し、中に入る。

 藤代に片手で引きずられる守屋の悲鳴をバックミュージックに、詩月はスマホの明かりで周囲を照らした。

 高い位置に設置された窓からは光が差し込んでこないため、体育館内はくらい。気のせいかもしれないが、温度も外より冷えている気がする。


「せめて明かりつけましょ! 明かり!」

「電気つけたらせんせーたちにばれるじゃないですかー」

「でも暗いと危ないし。お嬢さまが転んだり、お嬢さまが躓いたり、お嬢さまが突然蒸発したり」

「なんで私ばかりなのでしょう?」

「転ぶとかは私が支えられますけどー……蒸発されたら明かりついててもこっちはなにもできませんー」


 詩月は周囲を照らしたまま背後を向いた。詩月の後ろでは守屋が藤代にうるさいと言われて放り投げられていた。


「なにかあったら詩月お嬢さまは守りますー。けど守屋先輩はうるさいので放っておきますね」

「それでかまいません」

「いや、かまって⁉︎」


 守屋はガバッと勢いよく起き上がると詩月の隣に並んだ。いつもより距離が近い。そんなに幽霊の類いが怖いのだろうか。


「もし犯人がそういった霊的なものなら私たちはそれをどう証明すればいいのか迷うわね」

「もし幽霊が襲ってきたとして物理攻撃が通るのか、そこが問題ですー」

「幽霊なんていない、幽霊なんていません、幽霊とかありえない」

「守屋はちょっと黙ってて」


 詩月は霊の類いは信じていない。しかし今回の事件の真犯人である可能性が少しでもある限り、捜査の対象として外してはいけないだろう。

 もし仮に犯人が幽霊でした、なんて推論に至った時、その証拠を集められるとかは心配ではあるが。


「でもここ、ちょっと埃っぽい」

「わかりますー。たぶんあんまり掃除をしてないんじゃないですかねー。掃除はメイドの特技の一つですけど、今はそんなことしている場合じゃないですもんねー」


 詩月が少し咳き込むと、藤代は頷いた。

 体育館にも掃除係はいるはずだが、普段バレー部やバスケ部などの運動部の活動や体育の授業のときに使われているため使用頻度があがり汚れやすいのかもしれない。


「窓が高いところにあるから換気がうまくできていないんでしょうね」

「あ、正気に戻ったの」

「俺は元々正気ですよ」


 詩月の言葉に守屋はわざとらしい咳払いをして口を開いた。


「たぶん埃くさいのはこのフロアじゃなくて、体育館二階だと思いますよ。ほら、あの運動部の試合のときとかに観覧席として使われているあの場所。普段は需要がないので二階には誰も立ち入らないので掃除がおざなりになっているんでしょうね」

「なるほどー。それで埃が溜まっていて、下の階のこのフロアにそこの埃が舞ってきていると……」


 そこまで言って、藤代は口元を押さえた。


「どうかした?」

「いえ、その、少し気になったのですがー……この無風状態の空間でなぜ埃が舞っているのかと思いまして」

「それは私たちが入ってきたときに隙間風でも入ったからでしょう。それにさっきまでどこぞの誰かさんがお化け怖いーって暴れ回っていたでしょう?」

「俺はそんなこと言ってませんし、暴れ回ってもいませんからね――でも、そうですね、?」


 守屋の視線が詩月を通り越して扉に向く。体育館の入り口の扉ではなく、それに隣接する面する壁にある、二階へ繋がる階段のある扉だ。

 守屋の鋭い視線と、詩月のスマホのライトで照らされた扉が少し動く。

 少し動く動作を見せたものの、その後動く気配をなくした扉に詩月が近づこうとした。しかし守屋に制され、代わりに守屋が扉に近づいた。

 守屋の手によって、ギイッと耳障りな音を立てながら二階へと続く扉が開かれる。


「うおっ」


 明かりをつけていないこの体育館内では、当然ながら扉の向こうでも暗闇が広がっている。しかしその暗闇からなにかが飛び出してきて、守屋は衝撃で後ろに倒れ込んだ。


「お嬢さま!」


 扉の向こうから飛び出してきたなにかは明かりを持った詩月の元に一直線に走ってきた。

 暗闇の中で唯一の光源は相当目立つらしい。守屋の叫び声が届いたものの、詩月はとっさのことに反応できずに、ただスマホを持って立ち尽くすことしかできなかった。

 詩月の持つスマホのライトが相手の姿を明らかにする――。


「うぐっ!」


 詩月の視界にこちらに向かって走ってくる男の姿を捉えた、と思った頃にはそこに男の姿はなく、大きな衝撃音とともに痛々しい悲鳴が詩月の足元から聞こえた。


「お嬢さま、ご無事ですか⁉︎」


 守屋が駆け寄ってきて、自身のスマホで詩月たちを照らす。

 先程よりも明るくなった詩月の足元には腕を押さえられ、痛みで表情を歪める見知らぬ男性の姿があった。


「……誰だお前」

「守屋パイセン顔が怖いですー」

「……」


 あの暗がりの中、自身より幾分も体格差のある男性を易々と取り押さえた藤代の言葉で、守屋はいつもの笑みを浮かべた。しかしながら先程の声は普段よりワントーン、いやツートンほど声色が低かったのではないだろうか。長年一緒にいるが、あのような守屋の声は初めて聞いた。


「それで、お前は誰だ? なんでお嬢さまを襲った?」

「たぶんですけど、この人は私たちより先に体育館ここにいたみたいですねー。扉の鍵が開いてたのは閉め忘れじゃなくて、この人が開けたのかとー」

「私を襲った……というよりは彼の進む道に私がいたのかもしれない。ほら、そこの扉から逃げようとして、その前にいた私が邪魔だったとか」


 そう言って詩月は背後を見遣る。この体育館で唯一の施錠されていない外に繋がる扉はあれだけだ。


「なるほど、貴方は俺たちに自身の存在に気づかれて逃げ出そうとしたんですか……もしお嬢さまが怪我してたらどうすんだよ」

「あのー、私がいる限り詩月お嬢さまには指一本触れさせませんけどー……」


 藤代は眉を下げて口を開いた。喋っている間も男の拘束は緩めていない。


「私は怪我なんてしていません。それよりどうしてこの方がここにいるのかが気になります。どなたかの親御さん……ではないでしょう?」


 詩月が床に伏せられた男性をじとりと見つめると、男性は気まずそうに顔を背けた。

 男性がこの学校の生徒ではないことは明らかだ。そうなると教師や用務員の可能性が出てくるが、それもありえない。なぜなら彼の服はスーツなどの仕事着のようなものではなく、そこらの道端を歩いていそうなラフな服装だったからだ。

 白いフード付きのパーカーに赤色のラインの入ったジャージズボン。年齢は三十代くらいだろうか。顎には整えられていない髭が蓄えられている。

 もし仮にこの男性が生徒の親だとしても、こんな時間に一人でこのような場所にいるのはおかしい。わざわざ施錠された体育館に忍び込むなど、なにか後ろめたい事情を持っているに違いないだろう。

 しかし男性は詩月たちと会話する気はないのか、そっぽを向いたまま口を開く気配がない。頑なに閉じられた唇は乾燥しているのかカサついていた。

 整えられていない身なりに、おそらく学校側の許可をとっていないであろう校舎への侵入。これだけでじゅうぶん不審者といって差し支えないと思う。

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