第6話

 守屋の手には二人分の鞄が握られている。一つは守屋自身のもの。もう一つは詩月のものだ。


「べつに、自分で持てるのに」

「荷物持ちは俺の仕事では?」


 そう言って頑なに詩月の鞄を手放さない守屋の様子に詩月は違和感を覚えつつも放っておくことにした。本人が進んでやっているのなら止める必要もないだろう。

 周囲からの視線だけが少し痛い気もするが、そんなものを気にする詩月ではない。


「では荷物も持ったことだし、行きますか」

「ええ」


 ずっと三年の教室に放置していた鞄を回収して、詩月たちは今日の事件捜査を断念して帰路につく――ことはなく、その足で再び調理室に向かった。

 今日も今日とて調理室を借りる生徒はいない。なので詩月たちが鍵を返した後の調理室は施錠されている、はずだが。

 守屋が扉をスライドさせると、調理室の扉はいとも簡単に開いた。


「えっ、ななな、なんで」


 突如開いた扉に動揺する声が教室内に響く。その声は生徒のものより幾ばくか低い。


「砂糖はその棚ではなくてこっちの棚ですよ、森先生」


 トントン、と守屋が隣にある棚を叩く。たしかにその棚には砂糖などの調味料の一式が仕舞われていた。先程調理室内を捜索したときに見たので間違いない。


「な、なんで俺が砂糖の置き場所を探しているのを知って……いや、お前たちなにしに来たんだ! 届け出を出していない生徒に調理室は使わせられないぞ!」


 詩月たちの登場に動揺していた森はハッとすると詩月たちを調理室から追い出そうとした。しかし彼が詩月に触れることは叶わない。


「俺たちは五木さんに頼まれて消えたプリンの謎を解いていたんです。それで犯人がわかって、今どこにいるかもわかったからこうして会いにきた。それだけですよ、ね、お嬢さま」

「ええ。どうやって密室の中プリンを盗んだのか頭を捻りに捻った結果、まさかそもそも密室じゃなかったなんて」


 守屋に視線を向けられ、詩月は頷いて森に語り始めた。


「森先生は教師という自身の立場を利用して、使用者名簿に名前を残すことなく調理室に忍び込み、五木さんさんたちが作ったプリンを持ち出したんですね。先生なら車通勤でしょうし、いくら常温環境になったとしても短時間なら学校外に持ち出しても問題なかったんでしょう」

「うっ、それは……」


 思いがけない追求に森は口篭った。守屋の推測通り、あまり嘘は得意な方ではないようだ。


「先生は昨日、家庭科部が部活を終えて帰路に着いた後、ここに忍び込みプリンを盗んだんですよね。無くなったのはプリンのみで、他のものは盗まれていなかったと五木さんが仰っていました。つまり森先生の目当てははなから家庭科部の作った特製プリンだった」


 森はなにも答えない。少し俯いて気まずそうにしているだけだ。


「動機は手土産を用意するため、ですよね?」


 先程まで話していた詩月に変わって、今度は守屋が口を開く。


「わかります。俺みたいな使用人はそういうの用意する立場ですから。どこどこの店のこのお菓子を用意して、とか言って高級店に買い出しに駆られたことが何度もありますよ」


 守屋はやれやれと言いたげに首を振った。


「もしかして悪口を言われているのかしら?」

「まさか」


 ハハハと笑って守屋は森を見つめる。


「森先生が他の教師と話をしているのを聞きましたよ。べつに盗み聞きする気はなかったんですけど、先生たちが俺たちの存在に気づいてなかったみたいで話をしてたから。それで森先生は昨日友人の誕生日会に行ったそうじゃないですか。しかも急に誘われて。プレゼントを用意できずさぞ焦ったことでしょう」


 森がびくりと肩を揺らした。


「プレゼントは後日ちゃんとしたものを、と思ったかもしれません。けれど誕生日会に誘われて、さすがになんの手土産も用意せずに行くのは心苦しい。そこで家庭科部の作るプリンの存在を思い出した」

「私は食べたことはないですけど、五木さん曰く結構人気らしいですし、なにより自分の勤める学校の生徒が作ったものというだけで話題にもなる。まぁ普通にお店に手土産を買いに行く時間がなかっただけでしょうけど」


 詩月の合いの手に守屋は頷く。


「森先生の犯行動機は友人の誕生日会の手土産のため。犯行時刻は昨日の放課後。違いますか?」

「…………証拠は?」


 守屋に問われて、やっと森が口を開く。しかし短い言葉を発するとすぐにまた閉じてしまった。


「証拠は今森先生がここにいることと、あとはお嬢さまが森先生が不審な動きをしているのを見たことです」

「さっき私たちがこの教室を出たときに視線を感じてそっちを見たんです。そのときに革靴が見えたんです。この学校で校内で革靴を履いているのは森先生しかいないでしょう」

「渡り廊下の壁は下が空いているので俺も森先生が革靴を履いているのは見ましたよ。ちなみに数学の先生は白のスニーカーでしたね」


 証拠、といっても状況証拠だ。なんか怪しい程度のものだと言われてしまえばお終いだったが、森は元から隠し立てするつもりはなかったようで息を深く吸った。

 窓から差し込む茜色が森の姿を染めていく。


「そうだ。俺が盗んだんだ。理由はきみたちの言う通り、昨日の放課後に急に友人から誕生会に誘われて急いで手土産を用意したかったからだよ。俺には時間がなかったし、他の先生に頼んで仕事を手伝ってもらって、冷蔵庫からプリンを取って急いで車に飛び乗った。でもこれだけは信じて欲しい、盗むつもりはなかったんだ」


 森は懇願するように詩月たちを見つめた。その瞳が嘘を言っているようには見えない。


「プリンを拝借して、家庭科部の子たちには今日事情を説明しようと思ったんだ。けど、俺がここにきた頃には家庭科部の子たちがプリンが無くなったって大騒ぎしていて……彼らの気持ちが落ち着いてから話をしようと思った。けどその間にもっと騒動が大きくなっていってて……」


 怖くなって口を噤んだ、と森はつぶやいた。


「ほ、本当なんだ! 今ここにいるのだって、せめて材料くらいは返そうと思ってスーパーで買ってきたんだ。まぁ、どこになにが仕舞ってあるのかわからなくて……こうして肩を落としているんだけど」

「べつにそれについては疑ってはいません」

「左に同じく」

「……え?」


 詩月の言葉に森は目を丸めた。


「同じクラスの子に各先生の評判を聞いたんです。その生徒も他の生徒も誰も森先生を悪く言っていなかった。嘘が下手とは言ってましたけどね。だからなにか理由があることはわかっていましたし、お嬢さまにもそう説明しました。お嬢さまなら森先生の担当がなんの教科だったかすら忘れている可能性がありますからね。興味なさすぎて」

「それくらい覚えています」

「ハハハ、それは失礼しました」


 森に関する情報は守屋がクラスメイトたちから聞いたものだ。生徒の評判はあながち間違っていなかったりすることもある。少なくとも、調理室の外から感じる気配の持ち主は森のことを疑ってなどいなかった。


「……まぁ、森先生も悪いことをしたと反省しているようですし、私たちは帰りましょう」

「そうですね。謎は解けたからさっさと帰りたいです……ま、俺は帰ったら仕事が待っているんですけどね」

「宿題もね」

「わー、やだー」


 実に子供らしい感想を述べて守屋は目を細めた。


「俺のことを他の生徒に言いふらさないのか?」

「いいえ? そんな性格の悪いことはしません。しても面白くないし」

「うちのお嬢さまは善悪の区別がつかないわけじゃない。先生も悪いことをしたと思うのなら、さっさと謝った方がいいですよ。ちなみにお嬢さまは一度拗ねるととてつもなくめんどくさい」

「今日は置き勉せずに教科書を全部鞄に入れて帰りましょうか」

「あっ、俺の負担増えるやつ……」

「嘘です」

「で、ですよねー……」


 先に教室を出た詩月の後を追うように、鞄を握り直した守屋は苦笑しつつ駆け足になった。

 詩月と守屋は調理室を出て、こっそり話を聞いていた五木に会釈するとそのまま帰路に着いた。

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