第3話
いつもは一人で登下校する詩月の隣には第一ボタンまでしっかりしめ、ネクタイをキュッと結んでかた苦しそうな姿の男子生徒が歩いていた。
彼は詩月と同じ家から出てきて、同じ通学路を通り同じ高校を目指して歩いている。主君のわがままで学校に通うことになった守屋だ。
下がり眉の守屋とは正反対に、詩月は普段の登校時より口角が上がっている。まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のような笑顔を浮かべている詩月に守屋は黙って肩をすくめた。
べつに学校に行くのがいやというわけではないが、高校というものに通うのは初めてなのでどのような立ち振る舞いをすればいいのか考えあぐねているらしい。
「お嬢さま、これはお嬢さまの思いつきなのでちゃんと責任とって俺を卒業させてくださいね」
「え? 守屋の学力ならなにも問題はないでしょう?」
「そうじゃなくて、ちゃんと学費はお嬢さま持ちにしてくださいいってことです」
「ああ、そういうこと。もちろんです、守屋はなんの憂いもなく学校生活を楽しめばいいわ。諸々のことは
守屋の言葉に詩月は頷いた。
嬢野家で働く守屋の収入はそう少なくはないはずだ。しかし学費の支払いもと考えると、自分から通いたいと言い始めたわけではないことも含めて気になる点だったのだろう。
詩月には世の中の事柄で無関心なものが多いが、約束は守るタイプだ。それに他の人間ならともかく守屋に関係することでなにかを忘れることはそうない。
「それならよかった。でもひとつ疑問に思ってたんですけど……俺が学校に通うことでお嬢さまになんの利点があるんです? どうせクラス――というか学年が違うのに」
「ああ、たしか守屋は三年四組だったわね」
「はい。これでも俺はお嬢さまより一歳年上ですからねー。でも普通に一年生としての入学だと思っていたからまさか急に三年生になれとは……いやまぁいいんですけど」
守屋はぶつぶつと呟きながら詩月の隣を歩いている。そしてそのまま学校の前を通り過ぎた。
「どこに行くの?」
「え? ……あ」
詩月が校門前で立ち止まり、視線だけを守屋に向けて話しかけたことで守屋は自分が行き過ぎていることに気がついたようで、恥ずかしいのか少し頬を染めながら小走りでまた詩月の隣に駆け寄った。
「着いたならついたって言ってくれたらいいのに。お嬢さまの意地悪」
「どうして私が教えてあげないといけないの?」
「うっ、それはそう、ですねー」
守屋は苦笑すると自身の下駄箱を探して靴を履き替えた。階段を登り、三階で守屋は一度足を止めた。
「では」
「ええ」
三年生である守屋の教室は四階にある。それにたいして詩月の教室は三階だ。ここでしばしのお別れということで守屋は詩月に別れを告げると、四階に続く階段をまた登り始めた。ちなみにこの学校にエレベーターやエスカレーターなどはない。
「じょ、嬢野さん! さっきのイケメ……男子生徒はどなた?」
「は?」
「ヒッ!」
「?」
詩月が守屋と別れて自身の教室に入ろうとすると、教室前廊下で数人の友人と戯れていた女子生徒の一人が声をかけてきた。しかし小さな悲鳴を上げると、首を傾げる詩月を置いて自身の教室の方へ走り去ってしまった。
「なんの要件だったのでしょう……?」
首を傾げたところで声をかけてきた生徒はもういない。詩月は思考を巡らせるのをやめて教室に入った。
そして自身の席に腰を下ろしていつものように右隣の女子生徒と挨拶を交わす。そこで彼女に、
「嬢野さん、今日はなんだか不機嫌なのね」
と言われて、初めてそこで自身の眉が顰められていることに気がついた。
守屋の初登校の日の昼休み。授業を終えた詩月は食堂の前で立ち尽くしていた。
この学校の昼休みの時間は四十五分用意されている。その時間内ならいつ昼食をとっても構わないし、なんなら食事を五分で済ませて体育館に向かう生徒もいる。
詩月は弁当を持参しない派で、毎日学食で昼食をとっていた。校内には購買部も存在するが、出来立てを食べられる学食の方が詩月の好みだった。
だから詩月は今朝守屋に昼休みになったら学食の前まで来るようにと言いつけていたのだが、昼休みが十分経過しても守屋は姿を見せる気配すらなかった。
この学校の学食は校舎の一階に存在する。学校の人間なら誰でも学食の存在を知っているので、わざわざ詩月が案内などしなくても近くに生徒に声をかければすぐに場所はわかるはずだ。なのに来ない守屋に詩月は痺れを切らし、食券を買うとひとりで昼食を食べ始めた。
詩月が学食前に来てから二十分が過ぎていた。詩月にしては待った方だと思う。
不機嫌そうに眉間に皺を寄せてオムライスを頬張る詩月の周囲から人が離れていく。斜め前の席でうどんを啜っていた生徒は食べ終わると空になった器を持ってそそくさと席を立った。
「なんだか怖い……」
学食の一角でブスブスと負のオーラを放つ詩月に、周囲の人たちはそう呟くと視線を逸らした。ここで変に詩月を見つめ目が合ってしまうことを恐れているのだろう。
「お、遅くなりましたぁー」
詩月が黙々とオムライスの量を減らしていると、学食の扉にもたれかかるようにしてふらつきながら守屋が姿を見せた。珍しく息が上がっている。
「お、お嬢さまはオムライスですか。いいですね、すごく美味しそうです。それはそれとして食後のデザートに甘いものとか食べたくないですか? 俺なにか買ってきますよ」
守屋は乱れた制服を整えながら頑として自身の方を向かない詩月に近寄り、声をかけた。しかし詩月は返事をしないどころか視線を動かすことすらなかった。
「ええっと、ここの学食で食べれるデザートは……うーん、やっぱりケーキとかはないですね。ああ、でも手作りプリンがあるみたいですよ。へぇ、家庭科部の手作り……同じ学生の作ったものってことですか、そういうのもいいですよね」
守屋は学食のメニューを見て詩月に声をかける。しかし返事はない。
「……」
「………………」
「昼休みに入った途端クラスの子たちにすごく絡まれました。でも俺が適当にあしらったり変な態度をとるとお嬢さまたちの顔に泥を塗ると思って一人一人丁寧に話をしていました。約束の時間に遅れた理由はこれです」
「はぁ、次からは気をつけなさい」
「はい」
詩月の好きな甘いもので機嫌取りをしようとした守屋だったが、すぐにうまくいっていないことを察して、素直に遅れたことの謝罪と理由を素直に話した。
詩月だってずっと怒っていたいわけではない。守屋の弁明を聞くとため息をひとつこぼして許すことにした。
「学食の前で二十分待ちました。昼休みはそう長くはないというのに」
許すと決めたものの、ひとつくらい毒を吐いておかないと気が済まない。食事を終えた詩月がスプーンを置いて呟くと、守屋は目を見開いた。
「えっ、あのお嬢さまが二十分も⁉︎ 明日は雨かな」
「やっぱり許さない」
「あっ、あっ、嘘です。そんなに待ってもらえるなんて使用人冥利に尽きます」
「なにそれ?」
焦って変なことを口走る守屋に、詩月はくすりと笑みを漏らすと守屋に食券を買うように促した。
この学食では入り口で食券を買って、受け取り口で引き換えてもらう制度だ。すでに昼休みは残すところ十五分だ。早くしなければ食べる時間がなくなる。
「ああ、俺は大丈夫ですよ。一日くらいなにも食べなくても動けるので」
「は?」
「やっぱりなにか食べようかなー。あっ、蕎麦にしようっと」
にこりと笑う守屋に詩月が首を傾げると、守屋は慌てて食券を買いに行った。
もうすこしで昼休みが終わろうとしていた。
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