第2話
詩月の通う学校は至って普通の共学の高等学校だ。
都立青柳橋高校は他生徒が詩月のように金持ちや重役の子なわけではなく、偏差値だって特段高いわけではない。詩月の住む家から一番近い立地に存在するという理由だけでそこに通っている。
よく漫画などで見かける学校前にリムジンを停めて送迎してもらう優雅な登下校などはしてもらっていない。
当たり前ではあるが、詩月は自身の足で家を出て学校まで徒歩で通学している。通学にかかる時間は詩月の歩行速度で十分ほど。他の生徒と比べると短い方だ。
「あ、嬢野さん、おはようございます」
「おはようございます」
今日も今日とて詩月が学校まで徒歩で向かっていると、背後から詩月と同じブレザーを着た生徒に声をかけられた。礼儀として詩月も挨拶を返す。
詩月に挨拶の返事をされてその生徒は嬉しそうに笑うとそのまま詩月を追い越し、少し先を歩く彼の友人らしき他の生徒に駆け寄ってなにやら話をしていた。
「俺、今日も嬢野さんに声かけちゃった」
「マジで? 勇者じゃん」
「挨拶しただけだけどね」
「そんだけかよ」
詩月の前を行く二人の男子生徒はくすくすと笑い、一度詩月の方をちらりと覗き見ると楽しそうに話をしていた。
しかし彼らの話題に上がっている詩月本人は彼らに興味を示していない。なんなら彼が昨日の登校時に詩月に声をかけたことすら詩月は覚えていなかった。
今詩月の脳内を占めているのは今日はなんの学食を食べようか程度のことだ。ちなみに一時間ほど前に朝食をとったばかりである。
「おはようございます」
「おはようございます」
とくに意味のあることを考えたりするわけでもなく、ぼーっと歩いていると自身の教室にたどりつく。
詩月のクラスは二年一組で、出席番号は十二番。四階建ての校舎の三階に位置する教室群の、一番階段に近い教室の中の一番教卓に近い席が詩月の席だ。
詩月がいつものように自身の席に座ると、隣の席の生徒に声をかけられて詩月も会釈した。
彼女とは隣の席ということもあって、クラスメイトの中では比較的話をする方だ。毎日律儀に挨拶をしてくる礼儀正しい子という認識をしている。悪い子では――なかったと思う。
詩月は鞄からペンケースを取り出し、机の上に置く。べつに引き出しにしまってもいいのだが、どうせホームルーム後の授業で使うのだから置いておいてもいいだろう。
ほとんどの教科書は学校に置いたままにしてあるので、教室遠方に位置するクラスメイト約四十人分の荷物が入る、正方形に区切られた自身の棚から今日必要な分の教科書だけを引っ張り出し、机の引き出しの中へ移動させる。
それが終わる頃には教室の座席はほぼ満席になっていた。
顔を熱らせながら急いで授業の準備を進める生徒は朝練を終えた運動部なのだろう。汗拭きシートの匂いが少しきつい。自分の分がなくなって友人にわけてもらったのだかはわからないが、いろんな匂いが混じっていて正直あまり近づきたくない。が、詩月の左隣の席の生徒のようでそうもいかない。
詩月は少し不機嫌そうに眉を顰めて頬杖をつくと、自身の席で担任の教師がやってくるのを待った。
しばらくすればホームルーム開始のチャイムの音とともに三十代くらいの男性が教室にやってくる。この毎回チャイムとともに姿を見せる男性が詩月のクラスの担任で国語の教師でもある山田だ。いつも黒縁の眼鏡をかけている。
「はいみなさん、おはようございます。ではいつも通りホームルームを始めます。今日の連絡事項はとくにありませーん。以上」
そう言って山田は教室端にある一つだけ余った椅子を教卓のところまで引っ張ってくるとどかっと腰を下ろした。もうなにも言うことはないから自由時間にしていい、ということらしい。
左隣の席の男子生徒は教科書を取りに行き、右隣の女子生徒は鞄から本を取り出すと静かに読み始めた。
詩月はとくにしたいこともするべきこともないのでただ時間が来るまで開かれた窓から届く柔らかい風を感じていた。最初は濃かった香料の匂いも徐々に薄まっていく。
ぼーっとしているとチャイムが鳴った。山田が出て行き、一限目を担当する教師が来たら授業が始まるのだ。毎日繰り返されるなんの変哲もなく面白味のない日常だ。
「ということで守屋、貴方も学校に来なさい」
「はい?」
放課後、寄り道することなくまっすぐに家に帰宅した帰宅部の詩月は、部屋でお菓子の用意をしていた守屋にそう声をかけた。
しかし急に、ということでなどという言葉だけを聞かされた守屋は素っ頓狂な声と顔で首を傾げた。
「どうしたんですか急に。あっ、もしかして寂しいんです? しょうがないですね、仕事は増えるけど毎日の送り迎えくらい……」
「いいえ、送り迎えではなく貴方も一生徒として私と同じ高校に通うの。理由はおもしろそうだから。それだけです」
「うわ、出た。お嬢の気まぐれ……」
「なにか言いました?」
「いいえ、貴女さまの仰せのままにー」
詩月の提案に守屋は笑顔を引き攣らせながら頷いた。
大方詩月のぽっと出の提案など、言った本人の詩月自身が忘れるか、中卒守屋が今更高校に通うなどという難題を通すことなどできないと思っているのだろう。
しかし守屋は失念していた。詩月は普段興味を示さないものにはとことん興味を示さないが、一度興味を持ったものにはすぐに行動を起こす性格なことを。
そんな詩月の世話係に任命されている守屋の部屋に、一週間もすれば青柳橋高校の制服が届いた。
袋から取り出し、教科書や制服が全部揃えられているのを確認して、守屋は生まれて初めて詩月の行動力に恐怖を覚えた。
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