青柳橋高校のご令嬢
西條 迷
第一章 消えたプリンを探せ!
第1話
今や日本だけに留まらず、海を渡った海外にすら子会社をもつ
その財閥には一人娘がいた。彼女の名は
嬢野家に生まれた一人っ子故か、幼い頃から自由奔放という言葉が服を着て歩いているようなものだった。
好物は甘いもので、和菓子より洋菓子を好んで食べていることが多い。この前の会食で珍しいお菓子を多々見つけ、すべての味を楽しんだので今は普段より少し体重が増えている。
「突然部屋にやってきたかと思えばナレーションのノリでディスってくるなんて、失礼が過ぎません?」
「すみません」
詩月の部屋は広い。その広い部屋の、机に向かって宿題を片付ける詩月にじとりと睨まれて、彼女付きの世話係は頭を下げた。
柔らかなブラウンの髪をした詩月とは異なり、夜空を連想させる髪色をした世話係は軽く下げた頭をすぐに元の位置に戻すと、懐から大量のお菓子を取り出した。
「お嬢さま、勉強ばかりしていては体内の糖分が減っていってしまいますよ。脳を動かすのにはブドウ糖が必要不可欠なんですから。少し休憩にしましょう」
「私が宿題を始めたのは五分前だし、さっき
「大丈夫です、お嬢さまは食べ過ぎてもいつもすぐに元の体型に戻るので」
「それはそう」
詩月は守屋の言葉を否定することなく頷くと、ペンを握り直して視線を下に向けた。
そこには学校から出された数学のプリントが二枚、ほとんど空欄状態で佇んでいる。
なにも詩月は数学が苦手というわけではない。ただこのプリントの存在に気がつき、問題を解き始めたのがものの数分前だったためにまだ空白が多いだけだ。
だというのに、糖分補給という名目で休憩にしないかと勧めてきた守屋はただ自分がお菓子を食べたかっただけなのだろうと詩月は悟り、口を開いた。
「私はこれが終わってから食べるから、少しくらいなら守屋も食べていいけど」
「そんな、お嬢さまの分を奪うようなことはできませんよ。あっ、これ美味い」
「食べてるじゃない」
口先だけ否定しておいて、彼の口元にはクッキーの欠片がついている。一体いつの間に口の中に放り込んだのだか。
少し疑問に思ったものの、すぐに興味をなくした詩月は今度こそ問題を解き始めた。
一問、また一問と問題を解き空白を埋めていく。学校で習う科目の中でも数学と英語は塾で学んでいるのでいくら宿題を出されたところで苦ではない。
「お嬢さま、こことここの問題の答え間違えていますよ」
まだお菓子を貪っていたのか、口をもぐもぐとさせながら背後から覗き込むようにして守屋が指摘する。
幼い頃から詩月の世話係に任命された守屋はこう見えて勉強ができる方だ。よく課題を解く詩月の背後に回ってはこうして解き間違いなどを指摘してくる。
「間違えてませんけど」
そう言って詩月は消しゴムを握った。
二枚の数学のプリントを終え、ブラウニーを頬張る詩月に守屋は飲み物を淹れたりお菓子のおかわりを用意したりと忙しなく動いていた。
「お嬢さま、今日はケーキもありますからね」
「そんなにいらないんだけど……」
「チョコでも苺のショートでもモンブラン、タルト。なんでもご用意できますから」
「……」
守屋という人間は普段はさほど勤勉な方ではない。嬢野家に仕える使用人の中では比較的適当な方で、よく詩月付きの世話係であることを理由に屋敷を訪れた要人の相手などの面倒ごとを断っている。
詩月としても時間にうるさい小言ばかりの使用人よりかは守屋程度のゆるさが気に入っているので自分のお付きという肩書きを利用されていることは黙認していた。なんならそういったことには興味がないと言い換えても構わない。
しかしながら今日の守屋には引っかかることがあり、どうも無視できない。普段ならお菓子を用意したあとは好きなのを食べたらいい、といったスタンスであるにも関わらず、今日はお菓子を食べる詩月にやけに干渉してこようとする。
守屋はいつからこんなに過保護になったのだろうか。
詩月が不気味さを感じて疑いの目を向けると、守屋はその視線に気がついてうっすら笑ってへらへらとしているだけだった。
「紅茶コーヒー、ジュースにお茶。なんでも用意できますので。いつも頑張っているお嬢さまにご褒美ですよ。なんでも食べたいものを買ってきますからね。この守屋めになんなりと、遠慮などせずになんでも言ってくださいね」
「気持ち悪い」
「あれ、
守屋がなんでも言っていいと言ったので――別にそんなこと言われなくても言っていたとは思うが――詩月が素直な感想を口にすると守屋は眉を下げた。
「私を煽ててなんのつもりなんです?」
「いやぁ……ハハハ。実はそのぉ……これのことなんですが」
詩月の鋭い視線に観念したのか、守屋は苦笑すると下がり眉のまま懐から白いハンカチを取り出した。
守屋の手がそっと慎重な手つきでハンカチを捲る。
「これは……」
ハンカチから顔を覗かせたのは緑色の石がついたブローチだ。これは母の物でたしかこの石は翡翠だったと思う。
「実は今日の昼頃にこれを物置で見つけたのですがどうも長年放置されていたらしく……ほら」
そう言って守屋は翡翠を持ち上げた。すると翡翠はいとも簡単にブローチから外れてしまった。
「壊れていたんですよ……どうしましょう?」
「長年放置されていたというならいらないということなのでしょう。捨てておけばいいのではないかしら?」
「え」
「それとも素直に壊しましたすみませんって謝ればいいのでは?」
「……いやー、すみません。たしかにこれを壊したのは俺です。マジですみません」
とくに怒ることなく淡々とした詩月の態度に、守屋はすぐに自身の犯行だと白状すると頭を下げた。清々しいほどの潔さだ。
「別にいいけど、次からは気をつけなさい」
「はーい……でもよく俺がやったって気がつきましたね」
「本当に発見した時から壊れていたのなら直接お母さんにそう言えばいいだけのこと。そうせずに私を通そうとしたのは代わりに私に謝っておいて欲しいってことでしょう」
詩月がナッツを口に放って咀嚼すると飲み込んだ。その後開かれた口からは自身の推測が語られた。
そしてその考えは当たっていたようで守屋は肩をすくめて参ったと呟いた。
「物置で埃を被っていたくらいだから奥さまもこのブローチのこと忘れてるんじゃね? とは思ったもののだからって勝手に捨てるなんてできないし、直接謝るとか怖くてできなくて。ほら、俺あの人苦手で」
「ほら、と言われても。私は口うるさいハウスキーパーの方が苦手だけれど、守屋はそんなこと知らないでしょう。それと同じ。人って意外と他人に興味ないものなんだから」
「いやいや、俺が何年お嬢さまに付き添ってきたとお思いで? 他の使用人はもちろんのこと、お嬢さまが苦手としているハウスキーパー本人も気がついていますよ」
「そうなの? 興味もない周囲の人物の人間関係を把握しているなんて、貴方たちの仕事は大変なのね」
「ううん……」
困ったもんだと言いたげな表情を浮かべる守屋を無視して詩月は次のお菓子に手を伸ばした。
別に守屋を庇うわけではないが、あのブローチのことなど母は本当に覚えていないだろう。だから壊れたと報告したところであの母が気に留めるはずがない。
――どうせ、彼女にとっては詩月から贈られた初めてのプレゼントなんてその程度のものなのだ。
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