第3話 四人のドイツ兵

 母は、咄嗟の判断で、私と一緒に、寒い家の外に出た。


「突然に、すみません。奥様」


 一番、階級の高い人らしい人物が、母に話しかけてきた。

 何事かと尋ねる母の手は、少し震えていた。敵兵を匿えば重罪なのはわかっていた。脅されたと嘘を言っても許されないだろう。

 

 男は他の三人と目配せをしたが、何故私たちが外に出たのか、わかっていない様子だった。すぐに中に入れてもらいたいくらいに、凍えていたからだ。彼は自分をエストマン大尉と名乗った。第何連隊に所属している歩兵部隊だそうだ。


メリークリマスマスフローエ・ヴァイナハテン。大尉さん。どうされましたか?」


 戦場に似つかわしくない言葉に虚を突かれた大尉は、すぐに笑顔になった。


「ああ、そうでした。今日は大切な日でしたね。メリークリマスマス。実は我が連隊とはぐれてしまい、帰り道も分からなくなったので、申し訳ないが、明日の朝まで泊めていただけないかと」


 この四人は雪降る林の暗がりの中、我が家から漏れる僅かな灯りを頼りに、ここまで来たのだろう。凍える指先を皮手袋の上から撫でながら、体を冷やさないように足踏みをしていた。


「それは大変でしたね。体も冷えたことでしょう。中には火もあります。ちょうど、料理もできたところです。どうぞ、ご一緒に暖まっていってください」


 母はぎこちなく、それでも、にこやかに応対した。


「ただし」


 母は私を隠すように前に立ちはだかると、


「既に先客がいらっしゃいますので、驚かさないよう、銃はそちらの薪の上に置いていただけますか?」


 と答えた。


 母は覚悟の上での要求だったのだろう。


 それまで足踏みをしていた兵士たちが、先客と聞いて足を止めた。自分達と同じようなドイツ兵が他にもいたのかと思ったに違いない。


 しかし、ひとりのドイツ兵だけが、肩から下げた小銃を構えようとした。それで他の兵士も、その可能性に察した様子だった。


「……アメリカ兵か?」


 その問いに、母は答えなかった。大尉はそれを肯定と受け取ったのだろう。


「何人いる?」

「ここでは、皆、私のゲストよ。戦争をしたいのなら、そこで野宿をしていただけますか」


 母の表情は私からは見えなかったが、その口調は、毅然としたものだった。


 大尉は一瞬考え込んだが、頷いて、その銃装ベルトコッペルを外した。それにならって、兵士は小銃や機関銃を次々と薪の上に置いていった。


「アメ……いや、そのご先客の武装も解除していただけますか?」


 母は頷いて、家の中に戻った。

 母を待つ間、私は自分でも不思議なことに何故か、家の外、扉の前に立った。

 目の前のドイツ兵が銃をとったり、勝手に家の中に入ることを阻止するためだったが、今思えば、なんでそんなことをしたのか……。


 ドイツ兵は吐く息で指先を暖め、変わらず足踏みをして、母を待った。

 大尉は私と目が合うと、やさしく微笑んだが、すぐに背を向け、他の兵士と小声で話をしていた。


 高地の深い池のような、青い瞳だった。


 背を向けてからは大尉たちが話す内容はよく聞き取れなかったが、話しかけている兵士の不安や愚痴を、首を横に振ってなだめているようだった。


 その会話に参加していない、眼鏡をかけた兵士が、私に話しかけてきた。まだ若い兵士だった。


「お父さんは、いらっしゃるのかな?」

「父は……じきに帰ってくると思いますが、帰ってこないかもしれません」

「そうかい。じゃあ、君たち二人なんだね」


 私は、これ以上は何もしゃべるまいと、頷くだけにしたが


「良い匂いだ。お腹がすくような匂いだ。お母さんは、料理上手だろ?」


 部屋から零れる食事の香りを誉められ、


「上手だよ。今日はじゃがいものスープに特別なチーズ。それに鶏があるんだ」


 と無邪気に答えてしまった。

 その時のそのドイツ兵の目の輝きといったらなかった。


「そうか、今日は、特別な日だったな」


 眼鏡をかけ直し、兵は僕の頭を撫でた。


「名前は?」

「フリッツ」


 眼鏡の兵士は、優しく微笑んだ。


「僕の友人の名と一緒だ。僕の名はハインツ。ハインツ・クッツアーだ。よろしく」


 そう言って差し出された手を、私は軽く握って握手をした。冷たい皮手袋の大きな手は、私の手を強く握り返してきた。


 自分の心臓の鼓動が、相手に気取られるのではないかと、私は慌てて手を離したが、相手はすまなそうに笑うだけだった。


 ふと、兵士の一人が、木の下の雪を指さし、大尉を呼んだ。四人がしゃがんで雪を落ちていた木の枝で払った。


 私は自分の血の気が引いていくのがわかった。


 兵士が見つけたのは、あのアメリカ兵の血痕だ。


 大尉は立ち上がると、私に振り返り、静かに呟くように私に尋ねた。


「怪我をしているのか?」


 私は目を逸らすのがやっとだった。早く母が戻ってこないかと、それだけを考えていた。その願いが通じたのか


「お待たせしました」


 と、母が扉を開けた。その腕の中には三つの突撃銃があった。抱えるようにそれを運び、ドイツ兵の武器と一緒に外の薪の上に置いた。


「どうぞ、お入りください。たいしたもてなしもできませんが」


 四人は警戒しながらも、先に入っていった母に続いて、小屋の中に入っていった。



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