第2話 三人のアメリカ兵
時間がとまった感触があった。
再び時間が動き出したのは、母が私の襟を掴んで、自分の陰に隠した瞬間からだった。
なんでアメリカ兵が!?
やたらと背の高いそのアメリカ兵は、何やら落ち着いた口調で母に話しかけてきたが、私たちは、英語が全くわからない。
もう一人のアメリカ兵も銃に手をかけたまま、色々と早口で喋りかけてきた。こっちの男は泣きそうな顔で、いまにも私たちを撃ち殺しそうな雰囲気だった。
背の高いアメリカ人が、そいつを手で制していた。銃を降ろすように指示しているように見えた。
母はしきりに「わからない。わからない」と繰り返した。
私は部屋を見回し、武器になるようなものを探したが、猟銃は父が持って出ているし、あいにく斧は家の外にある。台所に包丁があったはずだが、二人を相手に戦えるのかと……震える足に相談していた。
そのうち、長身のアメリカ兵が手招きして、母を外に連れ出そうとした。私は慌てて、その手を掴んだが、母は私を守るように盾になりながら、外に出た。
長身のアメリカ兵が指さす方向を見ると、更にもう一人のアメリカ兵が倒れていた。負傷している。陽が落ちゆく中でも、周辺の雪が血で染まっているのが見て取れた。
「フランス語は?」
母の言葉に、背の低い方が慌てて頷いた。母は、幼い頃にフランスにいた経験があり、多少のフランス語が使えたことが功を奏した。
一方、背の低いアメリカ人も、フランスに留学していた経験があったそうだ。
母は、二人のアメリカ人に、とりあえずその怪我人を家の中に連れてくるように伝えた。そして私には「綺麗な雪をバケツに入れてきてちょうだい。それでお湯を沸かして。それとあなたの部屋を使うわよ」と言ってきた。
「あの人たちを助けるの?」
小声で母に聞いたが、母は答えてくれなかった。
アメリカ兵は、私たちを撃ち殺せば、この小屋に入ることもできただろうに、不思議とそれを避けた。それどころか「今晩だけでいい。助けて欲しい」と言ってきたと、後で母に聞いた。
◇
私のベッドに横たわる怪我人の看病を、長身のアメリカ兵がした。生憎、この家には治療薬はもちろん、まともな傷薬すらない。もっとも、傷薬程度で治せるような怪我でもないのは、明白だ。
とりあえず傷口を綺麗な布で拭き、指で押さえて止血するしかなかった。
背の低いアメリカ人は、食卓でしきりに母に感謝を伝えていた。フランス語の「メルシー」は私も知っているフランス語だった。
母は迷惑そうな顔を崩さなかったが、それでも、彼らに食事の準備をすると伝えて台所に去っていった。
残された私は、アメリカ兵が勝手な真似をしないように睨みつける役だ。
軟弱なアメリカ兵は、その沈黙にすら耐えられなかったのだろう。何かしきりに話しかけてきたが、私は全く無視をし続けた。
と、そのうち、彼が自分の名前を言っていることに気付いた。
フランス語ができるアメリカ兵はジム。私の部屋で怪我人を看病している背の高いアメリカ兵はロビン。そして怪我で動けないアメリカ兵はハリーという名らしい。
あとは何を言っているのか、よくわからなかった。ただ名前を聞かれた気がした。
「……フリッツ」
ジムはにこやかな顔で「フリッツ、フリッツ」と繰り返した。
私は敵兵に名前を繰り返されるのがバカにされたようで腹立たしかったが、相手は武器を持っている。母の前で激高させてはならないと思い、ただ、そうだと頷いた。
すると、ジムは胸のポケットから写真を取り出した。
そして写真を指さし、自分を指さした。写真には私と変わらない年頃の女の子が写っていた。太陽がまぶしいのか、顔をしかめて、笑っていた。
それは私たちと変わらない子供の笑顔に見えた。
「クリスティナ」
彼女の名前なのだろう。私はただ頷いた。頷くしかなかった。彼女が娘なのか妹なのかもわからない。
長身のアメリカ兵ロビンが、部屋に戻ってきて、ジムと何か言葉を交わした。扉の隙間から私のベッドに、怪我人のハリーが横たわっているのが見えた。容体が変化したわけではなさそうだった。ただ、ハリーは寝てしまったのだろう。
それでもロビンは自分の瞼を手で覆い、ジムと何かを話した後、私に少しだけ笑顔で話しかけてきた。
二人とも、疲れ切っているのか、目の下に隈を作っていた。
なんだか、哀れに思ったことを今でも覚えている。相手は、身振り手振りで、自分たちが隊とはぐれて、森の中を彷徨っていたことを伝えようとしていた。
「フリッツ。お皿を並べてちょうだい」
母に言われて台所に入って、私は驚愕した。
母と私の分の他に、三人のアメリカ兵のために、じゃがいものスープができていた。それどころか、オーブンで焼き続けていた鳥まで並んでいた。
それは、我が家のほぼ全ての食糧に近かった。
「いいの? お父さんに怒られない?」
驚いて、母に尋ねたが、母は無表情のまま、
「いいのよ。今日は『
そこにノックの音がした。扉を優しくコツコツと叩く音だった。
「パ……お父さんだ!」
アメリカ兵の手前、少しでも背伸びしたかった私は、呼び慣れない「お父さん」という言い方で、玄関に飛んでいき、鍵を開けて、その扉を開けた。
「おかえり! お父……」
すっかり日が落ち、外は相変わらず音もなく、雪が降り積もっていた。
扉の向こうに立っていたのは、肩に雪を乗せた、見慣れたドイツ国防軍の軍服。
四人のドイツ兵だった。
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