第16話 ハートのエース⑥

 それから数日後、ベルの情報収集が進んで、いよいよ夏澄の問題が確定した。

 俺とベルは最後の認識合わせをするために、ベンチに座って夏澄の練習を見学する。

 懸念していた『怪我』は、その日もやっぱり顔を出した。


 ──ずばん!

 マウンドから投じられた夏澄の剛速球が、ミットに吸い込まれていく。


【138km/h】


 めちゃくちゃ速い。最高速近い、まさに全力投球だ。

 バッターはその球に対してバットを振るどころか、微動だにしなかった。

 ……その必要がないからだ。


「──ボール! フォアボール!」


 今やっている練習は試合想定の総合打撃練習だから、バッターが出塁してしまう。


「夜光さま。またふぁーぼーるだね」

「……そうだな。かなり多い。しかも今のなんてストレートの四球だ」

 四球は守備が何も介入できないまま、タダで走者を出してしまう。

 相手との勝負を避けたいとかでない限り、基本的に一番ダメだとされているらしい。

「夏澄は、元からあんな感じではなかったんだよな?」

「ん。調査結果によると、元々『コントロールが課題』とは言われてたみたい。でも    そんなの関係なしのすごいパワーで、並み居る敵全員ごっ倒してきた。先月開催の女子高校野球リーグの表彰式では、年間最優秀投手にも選ばれてる」

「……ということはこうなったのは、新学年に上がったこの春から、と」


 ──かきん!

 爽快な打撃音が、俺とベルの話を遮る。

 夏澄の球はサードとショートの間を綺麗に抜け、レフト前ヒットにされていた。

 険しい顔をした夏澄が、食らい付くように、次の打者に向かって投球を続ける。

 ……しかし──、


 ──かきん!

 ──かきぃん!

 ──かきぃん!‌!‌!


「……打たれ始めたか。ベル」「ん。球速、かくにん」


【110km/h】


「……最高速から30キロダウンか。それでも女子なら破格の速さだが」

 しかし夏澄の場合は、話が全く変わってくる。

「普段から140を見てるから、いい感じに打ちやすいって部員は言ってた」

「うちの部は強いらしいしな。ストライクを置きにいくだけの球じゃ通用しないよ」

 そして夏澄には、パワーを保ったまま細やかなコントロールを行う技術がない。

 あいつは天才とか言ってるけど、本当はまだまだ課題だらけなんだ。

「全力で投げるとコントロールが乱れる。速度を落とすと中途半端になって通用しなくなる。この悪循環が、発作のように起こってしまうことがある。その発生条件は──」

「ん。あの子の打順、近づいてきたとき」


 ベリーショートの、肩回りが分厚い女の子がネクストバッターズサークルから立ち上がる。

 大きい。身長は百七十以上あるだろう。

 彼女が慣らしで軽くバットを振るだけで、しなやかなフォームから凄味が放たれる。

 俺が唾を吞むのと同時、外野手たちが全員後退していった。


「名前は由川花希さん、だったな」

「ん。あれでまだ、四月に入ってきたばかりの一年生」

 ちょうど、夏澄が調子を崩し始めた時期と符合する。

 左打席に入った由川さんは、下からバットを大回しした後に、弓を引くようにバットを立てて構えるルーティンを行った。

「あれ、イチローさんのルーティンだよな。……あ、ベルは知らないか?」

「だいじょぶ。インターネットでも有名。やべーやつだよね?」

「ま、まあ雑な理解だがそれでいいよ。それで由川さんの情報は?」

「これまたやべーやつ。中学の頃から、既に夏澄レベルで有名だった」


 ベルが淡々とその言葉を紡ぐ。


「『天才』だって」

「……夏澄が嚙みつくには十分だな」


 調べたらすぐに明らかになった。

 夏澄は由川さんが入部してすぐ、白昼堂々一打席勝負を挑みにいったらしいのだ。

 ──同じ天才は二人もいりません。どっちが強いかあたしと勝負です!

 そして、その結果は──。


「──ボール!」


 思考を遮って、夏澄の球が激しくミットを鳴らした。

 狂犬みたいな形相の夏澄と、クールにバットを構える由川さんが睨み合う。

 真剣勝負のひりついた空気が、離れていても伝わってきた。


 ──ボール!

 ──ボール!

 ──ボール! スリーボール!


【139km/h】


「……ダメか」


 速いが外れる方のパターンだ。あっという間に夏澄は自滅寸前となり、汗を拭う。

 次の四球を出せば押し出しで一点入る。そんなみっともないのは絶対イヤだ。

 じゃあまた遅い球で置きに行くの? ……いやダメ。この相手にそんなの絶対通用しない。

 じゃあ、他に何を投げたらいいの? どんな球なら抑えられるの?

 一体あたしはどうしたらいい……?

 ああ、でも、とりあえず投げなくちゃ──。

 ……そんな迷いが透けて伝わってくるような、中途半端な一球だった。

 投じた瞬間に末路が見えるようで、俺は思わず目を瞑る。

 ……知らなかった。

 本当に芯を食った打撃の音というのは、心を砕くように、ここまで硬質に響くのか。


「──────────────」


 世界を終わらせる流星を見るように、誰もが呆然と、茜空に消える白球を見上げていた。


「……すごい。天才だね」


 魔女であるベルでさえ、そう呟く。

 夏澄だって、入学したときは同じ事を言われていたはずだ。

 だけど、今は──。


「……夏澄」


 見る影もなく、彼女は痛切な表情で左胸を押さえて俯いている。

 砕かれてしまったハートを、誰にも見つからないように隠して──。

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