第15話 ハートのエース⑤
というわけでその日の放課後から、女子野球部の練習に参加するようになった。
女子の中に男子が一人混じるとなれば何か言われるかなと思っていたんだけど、意外なことに部員たちからは何も言われなかった。どころか「助かります」「頑張ってくださいね……」と肩をぽんされた。夏澄がそれだけエースとして信頼されているんだろう、と最初は納得してたんだが、どうもそうじゃないことが練習に通ううちに分かってきた。
あいつ……人使いがめちゃくちゃ荒いんだ。
「──夜光さん夜光さん夜光さーんっ! お代わり持って来ましたよっ!」
「何ぃ!? またか!?」
ベンチに座ってボールを磨き続けてる俺の元に、ボールがどっさり盛られたハコを夏澄が持ってくる。
これで一体何ループ目だよ……。気が遠くなってきた……。
「な、なあ。ちょっとだけ休憩挟んでもいいか?」
「えー? 休憩?」
「労働基準法で決まってるんだぞ! 人間は長いこと働いたら休まないといけないんだ!」
権利を主張する俺の隣に、にこにこ顔の夏澄が座る。
人差し指で、俺の顎をくいっとやった。
「今、夜光さんはナニモノですか? 人間なんですか?」
「うっ……。夏澄さんの、犬です……」
「そーですよねー? 犬にほーりつは関係ないですよねー?」
「い、いやいやいや! 生類憐れみの令というものもあってだな!」
「あれれー? 人間の言葉が聞こえますねえ?」
「……くぅーん……」
あははっ、と夏澄は楽しそうに笑って、俺の頭をわしわし撫でる。
人としての尊厳が破壊されていた。でも正直それでもいいと思いかけていた。
夏澄は帽子を脱いで、俺の頭に被らせる。
休憩しますねの合図だ。側に用意してあったスポドリを渡すと、今度は夏澄の方が撫でられた犬みたいに目を細めて喜ぶ。
「調教は順調ですねー? 一ヶ月と言わずずっとにします?」
「わうわう……(首を横に振る)」
「あははっ。もういいですってば。一緒に休憩しましょうよ」
なら最初からそう言ってほしいワン……。
お言葉に甘えてしばらくぼーっと練習を見ていると、夏澄がぽつりと溢した。
「あの。どうですか、女子野球は?」
「どうって、何が?」
「……見てて、つまんなくないですか?」
夏澄が不安げに俺の顔を覗き込んでくる。
いつも自信満々なだけに、凄く意外だった。
「つまらなくないよ。本当に面白い。野球には縁がなかったから、その点でも新鮮だし」
「そ、そうですか。……楽しめてくれてるなら、良かったです」
夏澄はほっとした表情を浮かべ、そのまま困り眉をして笑う。
「人気ないですからねえ、女子野球。とにかくジュヨーがなくて」
「需要?」
「カッコよくて凄いプレイを見たいなら男子のプロ野球でいいでしょう? きらきらした青春! って感じがいいなら、世間的に認められてる男子高校野球でマネをやればいいし、そのー……こういうの本当にムカつきますし、口にするのもイヤなんですけど、いやらしい目で見るなら、女子陸上部とか見ればいいやになっちゃうでしょう?」
夏澄は冷たく目を細める。
「結局『女子野球じゃなきゃダメな理由』が、ないんですよね。今のところ」
「……夏澄」
「えへへ。だからその理由に、あたしがならなきゃいけないんです!」
夏澄がベンチから立ち上がる。
金属バットの打撃音とグラブがボールを弾く音に紛れさせて、小さく呟く。
「……こんなところで、躓いてる場合じゃないんだ……」
俺は聞こえなかったフリをして、被せられた帽子を夏澄に返した。
「投げ込みに戻るのか?」
「はいっ! 今日も全力投球で行って参ります! ……夜光さんも頑張ってくださいね?」
「分かってるよ。毎日仕事はしてるだろ」
「そっちじゃなくて、あたしの研究の方ですよ。次は絶対に打つんでしょ?」
挑発的に笑って、夏澄はまたしても顔を近づけてくる。
グラブを自分の顔の横に付けて、ナイショ話でもするように、吐息交じりに囁いた。
「──勝てたら、あたしのこと、犬にしてもいいですよ?」
「〜〜〜っ!?」
「えへへ、ばーか。絶っ対無理ですけどねー!」
べーっと舌を出してから、夏澄は走って練習に戻っていく。
俺はその背中を呆然と見つめてから、しみじみと呟いた。
「飼いたい……」
「夜光さま、けっこうSだもんね。パソコンの中そういうの多いし」
「…………何で知ってるんですかっ?」
「騎士の性癖を知るのは魔女のつとめ」
プライバシーってもんがないのか? 魔女の世界には。毎回毎回急に現れるし……。
「こっちの調査は順調。夜光さまは? ……問題、どう?」
うん、と俺は頷いた。
「実はもう、ほとんど特定は済んでいる。後はベルの情報で裏を取るだけだ」
「え……? ほんと?」
俺はブルペンで投げ込みをしている夏澄を指差す。
さきほどの可愛いらしい表情は一切なく、闘犬のように張り詰めた顔が美しい。
投げたときに漏れる「しっ」という息や、響くミットの音が、全力投球を示していた。
「魔法で夏澄の球速を測れるか?」
「ん。じゃ、スピードガンを夜光さまの眼鏡に付ける。…………付けた。わたくしも見る」
ずばん、と速球がミットを鳴らしたのち、数字が表示された。
【110km/h】
「……え? 何か……おそい?」
「怪我をしてるんだよ」
告げると、ベルはぱあっと顔を輝かせる。
「じゃあらくしょう。魔法で治せば、すぐに解決できる」
「……いや。そんなに簡単な問題じゃない」
中指と親指で挟んで上げた眼鏡が、忍び寄る宵闇の中で光った。
「──もっと根深い怪我だよ。これはな」
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