第8話 百姫夜行⑧

「……くそ。よりにもよって、どうして恋愛なんだ……」

「〈影魔女〉を、女の子の中から追い出すため」


 …………嗚呼。この背中に突如現れた質感。もはや、諦めて受け入れるしかなさそうだ。


「どういう、理屈で?」

「〈影魔女〉は、少女の心の闇から落ちる影に棲む。だったら、大元の心の闇を祓ってやれば、奴らは居場所を失って外に出てくる。そこをわたくしたち〈正魔女〉が仕留めるの」

「……心の闇」

「漏れ出る闇の魔力のこと。祓えるのは光の魔力だけ。そして光の魔力を生む、心の源が」

「女の子の、恋とか愛というわけか」


 ん、と背中に触れた体温が頷く。

 確かにそれだと魔女一人では難しい。人間の、とりわけ男性の協力を得た方が楽だろう。


「だけど、どうして俺なんだ? 明らかに人選ミスだろ……」


 大して格好良くもない、偏屈を拗らせた童貞男。それが俺だ。

 多少勉強ができるからって、そんなの恋愛には何の役にも立たないし──。


「そんなことない。夜光さまは、騎士として最強の資質を持っている」

「さ、最強の資質?」

「夜光さまには力がある。人が抱えるどんな難問でも、解決してあげられる力が」

「……ああ。あのテストか。あんなの本気にするなよ。所詮は机上の空論だぞ」

「空論で構わない」


 だって、とベルは力強く言う。


「わたくしには、魔法が使えるから」

「あ……」

「だから夜光さまがどんなドリーム解決法を導いても、わたくしはそれを現実にできる。頭で考えたことが全部できたら、夜光さまは無敵でしょ?」


「……っ、だ、だけど、問題を解決してあげられるからといって、イコール俺が女の子に好かれる訳じゃない!」

「そこはプロであるわたくしに任せてほしい。〈正魔女〉はターゲットを騎士に惚れさせるための手練手管を沢山学んでる。プロの手厚いサポートが、夜光さまにはずっと付く」

「む、むう……」

「それに〈影魔女〉に憑かれた女の子……通称〈姫〉は、必然的に誰にも言えない闇を抱えてる。それを察して助けてくれる男の子が目の前に現れたら、向こうからはまさしく騎士様に見える。恋に落とすのは、考えてるより難しいことじゃない」


「……確かに、そう言われると……」

「つまり、百姫夜行は困っている美少女を助けてあげたら惚れられるお仕事。是非やるべき」


 ……や、やばい。聞いてたらどんどんやりたくなってきた。

 やり手の営業に口説かれてる気分だ。これが情報商材とかならもう買ってる。


「……やっぱり、自信がないよ……」


 だけど、俺が拗らせてるものは根が深くて。

 こんなにも口説かれてるのにまだ動けない自分が、ヘドが出そうなほど嫌になる。


「俺は童貞に呪われてるんだ。百人抱くなんて夢のまた夢で……」

「……ね。夜光さま、こっち向いて」


 情けなさで唇を嚙みながら、言われるがままに寝返りを打つ。

 するとベルの綺麗な顔が至近距離──ついばむように、キスされた。

 長い数秒。離れると、ちゅ……と生々しい音が鳴る。


「──じゃあその呪い、解いちゃお?」


 俺の唇を人差し指でつつーっとなぞってベルが淫靡に微笑むと、心臓が跳ねた。


「0から1は、特別だけど。そこから100は、たいしたことない」

「っ……ベ、ル……」

「ね。夜光さま。……一緒に、はじめて、シよ……?」


 ベルは俺の右手を掴み──そのまま、上着の下から身体の中へと誘った。

 指先がしっとりとした汗の滴る肌をなぞり、ふっくらとした円を描いて傾斜を登る。

 初めて触れる女の子の乳房。いつ外したのか、下着がない。

 想像していたよりもずっと強い弾力の中に、指先は沈み込んでいく。

 触れた素肌の奥で、どくんどくんと、ベルの心は期待で生々しく鳴っていた。


「……ふふ。ばれちゃった。夜光さまと会ってから、ずっと、こうだよ……?」


 火傷しそうな熱量を持った肌から、急いで手を抜く。それでも指先に燻る熱は消えない。

 血液を伝って、俺の頭をとかしていく。


「……あっ……」


 ベルが小さく喘ぐ。俺が覆いかぶさってきたからだ。

 彼女の手首を掴んで、枕の横に押さえつける。


「っ……じょ、冗談にするなら、今だぞ!?」


 ビビらせるように俺は言う。

 でも本当にビビっているのは俺の方だって、たぶんベルにはお見通しだった。

 ベルはくすりと笑って、俺の腰に両脚を絡めてくる。

 そして熱いそこに迎えるように、俺を引き寄せて……ねだった。


「……たべて?」


 覚悟を決めた。昨夜のリベンジに挑むように俺からがっつき、舌を絡ませにいく。


「ん、ぅ…………ん……!」


 やってやる。やってやるぞ。俺は童貞を捨てるんだ。

 ここで全部清算して、今度こそ、前に──!


『──止めて、夜光! 近づかないで……っ!‌!‌!』


 ──どくん。

 心臓を黒い手に掴まれたような激痛が、息を止める。


「ぐ、ぅう……っ!?」

「や、夜光さま!? どうしたの!? ……夜光さま!?」


 意識が保てなくなっていく。

 ……ああ。やっぱり、駄目なんだ。俺は誰とも、愛を交わせないままなんだ。


 未だに俺を呪い続ける、『あいつ』が心にいる限り──。

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