第6話 百姫夜行⑥
というわけで予想通り、自室のベッドで夢から覚めた。
「……夢ですら最後まで出来ないのかよぉ……っ」
現実ってなんて世知辛いんだろう。
とはいえ、夢とは思えないほどリアルな感触だった……。未だに余韻が残ってる。
目頭を覆っていた手で、唇をなぞった。
「…………久しぶりだったな……」
「なにが?」
「そりゃあキスに決まって…………って」
この声。良い匂い。やわっこく温かな感触で固められた片腕……イズディス?
がばっと片手で掛け布団を払う。
ベルカ嬢がもう片方の腕に絡まっていた。しかも……全裸で!
「うわぁああああ──────────っ!?」
「ふふ。おはよ、夜光さま」
「おおおおお、おはよだと!? 馬鹿なっ、あれは夢では!?」
「……? そんなわけない」
ベルカ嬢が、俺の右手と恋人繫ぎして見せてくる。
互いの薬指に、立派な指輪が嵌まっていた。
「なっ、これは!?」
「契約指輪。愛と忠誠を誓うもの」
さあっと汗が引いていくのが分かった。
「こ、これ、外れ……」
「ない。死が二人を分かつか、【百姫夜行】が終わるまで」
くすくす、と魔女が嗤う。
一時はあどけなく思えた笑みが、今はひどく不気味に映った。
「──もう、ずうっと離さない。……あいしてるよ。夜光さま?」
☽☽☽
とりあえず家人に見つかる前に急いでベルカ嬢を連れ出し(ついでに服も着てもらい)、早朝の学校に向かった。
特別棟の三階奥──第二理科室の鍵を開ける。
緑と黒の遮光カーテンが閉まった教室の中は、朝とは思えないほどに真っ暗だ。少しほこり臭い匂いが、鼻を突く。
「よ、よし。今のうちだ。早く入ってくれ」
「ん。……ここどこ?」
「科学部の部室だ。部員は俺だけ。ここなら基本誰も来ない」
そう、と彼女はクールに微笑む。
「ここでシちゃうの? 初回から校内とは、だいたん」
「ば、馬鹿、違う! 普通に話をしたいだけだ! ……というかだなぁっ」
俺は情けない声を上げながら、右腕を振る。
しかし、もにゅんと彼女の膨らみを感じるだけで(最高)、ベルカ嬢は引き剝がせない。
「いい加減離れてくれ! 家からずっとこのまんまだろ!?」
「んぅ……。やだ。夜光さま、絶対逃げるもん」
「に、逃げないって。そのつもりなら学校に連れてこないだろ?」
「…………ふぅん?」
ベルカ嬢は顔を近づけてきて、どこか含みを持たせて笑ってくる。
はぁぁもう近いっ、どきどきする。死ぬ!
「た、頼む、ベルカさん。まともに頭が回らないんだよ! 何でもするから!」
「…………じゃあ今から、わたくしのことは『ベル』って呼んで。そしたら、離れる」
「えぇ!? そんな、女子をいきなり呼び捨てなんて」
「嫌ならこのまま。是非もなし」
ぎゅーっと更に抱きついてくるベルカ嬢。
こ、このままでは脳が焼き切れてしまう。頑張るしかない……!
「……っ、ベル。は、離れて、くれ……」
「……ふふ。しゃーなし。これから毎日、愛を込めて呼んでほしい」
最後の締めにぎゅーっと抱きついてから、ベルはようやく離れてくれた。カーテンの閉まった理科室をきょろきょろ見回し、ほこり臭い匂いに鼻をひくつかせる。
「夜光さま、窓開けてもいい?」
「ああ、待ってくれ。今、開け──」
ベルが指をぱちんと鳴らす。
その瞬間、全てのカーテンがばっと開いて陽光が差し込み、
「どーん」
ベルが両腕を内から外に軽く振ると、窓の鍵が一斉に外れてがらりと開いた。
早朝の爽やかな風が、古い空気を一掃する。
蒼い長髪を気怠げに払って、ベルがため息をついた。
「しゃーなし。……いい加減、働くか」
当たり前のことを今更思い知らされる。
この子は、正真正銘の魔女なんだって。
「じゃあ今から使命──【百姫夜行】について説明するね。我が騎士、空木夜光さま?」
魔法で宙に浮かせたティーポットから、ベルがカップに紅茶を注ぐ。
互いに理科室の丸椅子に座り、机を挟んで向き合った。
「夜光さま。『姫上試問』の問題概要、覚えてる?」
「ああ。一度読んだものは忘れない」
──問題を抱えた女の子の心に、影の化物が取り憑いてしまった。
これを助けるために、問題を解決する方法を考えてほしい。じゃないとその子は悪い魔女になって、世界を荒らしてしまうから……という話だったよな。
「さすが夜光さま。話が早い。……実はあれ、架空の問題じゃない。昔、実際に起きた問題。それから今この瞬間も、人間界で起き続けている問題」
「何……?」
「わたくしたち〈正魔女〉の使命は、人間界と魔女界の平和を守ること。そのために、この世界に災いをもたらす影の化物──〈影魔女〉たちを狩ること」
ベルが人差し指を立てて、空中に長方形を描く。
すると光の軌跡ができ、囲まれた場所がSF映画のウインドウみたいになった。
件の〈影魔女〉の映像がそこに映る。
シルエットは魔女帽子とローブを被った、細長い魔女の影。それが三次元の立体になっている。真っ暗な夜空を切り取ったような漆黒の身体を地面から伸ばし、顔の端から端まで裂けた口で哄笑を上げていた。
「これは……結構、不気味だな」
「〈影魔女〉には実体がないから、姿は個体によって変わる。これはあくまで一例。……こいつら、基本的には雑魚。でも肉体がないゆえの、やっかいな特性を持っている」
「それは?」
「〈影魔女〉は、少女が落とす心の影に同化する」
つまり、病んじゃった女の子に取り憑くの、とベルは続けた。
「そのまま成長すると、奴らはやがて宿主の少女の心を吞み込み、肉体を乗っ取る。そうやって、悪しき魔女として転生を果たそうとする」
「それは…………まずい、よな。おそらく」
「ん。この魔女が暴れると、被害は大きめの天災一つ分相当。紙屑みたいに人が死ぬし、反転した少女はもう二度と戻ることはない」
「……ひ、人が、死ぬ……」
口の中が乾いていることに気付いた俺は、紅茶のカップを手に取る。
情けなく、水面は波紋を立てていた。
「──だいじょうぶ」
ベルが拳でばちんと平手を殴り、にやりと笑う。
「そうならないように、わたくしたち〈正魔女〉がいる。……安心して。わたくしは今まで、〈影魔女〉を狩れなかったことは一度もない」
「おお……! それは頼もしい」
「狩れたことも一度もないけど」
「ん? それって」
「これが初仕事」
「ド新人じゃないか!!!」
まずい。死ぬほど頼りない。これは俺がしっかりしないと……!
「それで、俺は何をすれば? まさかその〈影魔女〉って化物と戦えってわけじゃ……」
「ない。荒事は魔女担当。夜光さまには、【百姫夜行】の騎士の務めを果たしてほしい」
「騎士の務め……?」
何だろう。想像もつかない。
だけど契約したのは俺なんだ。どんな仕事だろうと責任持ってやり遂げて──!
「──〈影魔女〉に憑かれた女の子を百人、恋に落として抱きまくること」
もちろん全力ダッシュで理科室から逃げた。
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