第5話 百姫夜行⑤
ややあって、目に感じていた光の圧が消える。
俺は顔の前から手を下ろし、目をおそるおそる開いた。
「──……え?」
どこか遠くの宇宙の知らない惑星に、ワープしてしまったのかと思った。
眼前に広がる未知の光景に、俺は呆然と立ち尽くす。
銀河の只中に飛び込んだような、色とりどりの星々が夜空に散らばっている。
星がありすぎて、それから灯籠のようなランプが夜空に沢山浮かんでいて、夜とは思えないほどに世界が明るい。地上には一面、青々とした草原と、美しい花畑が広がっていて……。
「こ、ここは一体……? 天国か……?」
「──魔女界と人間界を繫ぐ狭間の世界、〈ヴァルプルギスの夜〉」
魔方陣から聞こえたのと同じ、女の子の声が聞こえて振り返る。
……ああ、そうか。俺は夢を見てるのか。
じゃないとこんなに可愛い女の子、現実に存在するはずがない──。
「会いたかった。空木、夜光さま」
呆けた俺は夜空を見上げる。
世にも可愛らしい少女は箒に腰掛けて、そこに浮かんでいる。
不思議な装束に身を包み、絹のような蒼の長髪のてっぺんに、とんがり帽子を乗せている。
サファイアのような美しい瞳と目が合うと、魅了の魔法に掛けられたように動けない。
草原を吹き抜ける夜風に髪を靡かせ、謎の少女は微笑んだ。
「──わたくしは、魔女。ベルカ・アルベルティーネ」
「……魔、女……」
非現実な存在のはずなのに、その神秘的な美しさには圧倒的な説得力があって。
俺は思わず、唾を飲み込む。
すると呪文でも呟くように、彼女の薄桃色の唇が動いた。
「……かっこいい……」
……えっ? かっこいい?
俺は自分の耳を疑うが、
「かっこいい……。やっぱり生でお会いすると、もっと素敵……」
どうやら本当に言ってたらしい。
彼女は白い頰をぽーっと赤らめて、俺に向かって微笑んだ。
えっ……? 死ぬほど可愛い。俺もしかして今から死ぬの?
「いきなり『メッセージ付きよいね』を送ってごめん。でも、どうしても夜光さまと契りを交わしたくて、そのお力を試させてもらった」
メ、メッセージ付きよいね? 契り? 試させてもらった?
「……あ。もしかして、あの問題入りの封筒のことか?」
「ん。あの五題は、『姫上試問』というもの」
「『姫上試問』?」
「魔女の騎士になりうる、特別な人間を選び抜く試験。夜光さまはそれに、完璧に合格した。……素敵。かっこいい。惚れ直した」
「っ……!? ほ、惚れ直したって」
「手紙の通り。わたくし、夜光さまに一目惚れした」
サファイアの瞳が、純粋な輝きで俺を映した。
「──夜光さま、すき。だいすき。……あいしてる」
その言葉を、かつて『死んでもいいわ』と訳した人がいるという。
俺もまさしく今、そんな気分だった。
「ね。……ごほうび、覚えてる?」
彼女は悪戯っぽく微笑み、箒の上で脚を組み替える。
一瞬中が見えそうだった。さ、最高……。
「じゅ、純潔を捧げる……とかいうあれだろう? 知ってるぞ。あんなの本気じゃない、釣りだって言うんだろ!?」
いや、気を確かに持て俺! この手のオチは古今東西決まってる。
絶対に『純潔』とは他の何かを例えた言葉で、俺の期待する展開から外れていくんだ。
だってこんなに品があって可愛い女の子が、エロいことなんて考えるはずが、
「違う。ほんき。処女、もらって?」
あった。
「えぇっ!?」
素っ頓狂な声で叫ぶ俺。彼女の追撃は止まらない。
「ええじゃない。……夜光さま。えっち、しよ? たくさんわたくしのこと抱いて?」
耳と顔が熱で溶けそうだ。
──お、おおお女の子がえっちって! えっちって言ってるッ!
「や、やめろ! ううううら若き乙女が、そういうことを口にするもんじゃない!」
「そういうことってなに?」
「い、いや、それは、そのう……」
「せっくすのこと?」
「うわぁぁ────っ!? やめろぉっ!」
噓です本当はもっと言ってほしい。録音して持って帰りたい。
そんな助平心なんてお見通しだよと言わんばかりに、ベルカ嬢はくすくす笑った。
「夜光さま、かわいい。童貞」
「っ、うるさい! 悪かったなぁ!」
「なんで? ぜんぜん悪くない」
ベルカ嬢は嬉しそうに箒の上で脚をぱたぱたさせる。
「好きな殿方が、他の女を知らないの、最高じゃない?」
「……っ」
「ふふ。……もうすぐ、どーてーじゃなくなっちゃうけどね?」
ねえ無理誰か助けて。この魔女、頭いかれそうなぐらい可愛い!
だけど絶対深入りしない方がいいよな……。今にやばい交換条件を持ち出されるぞ。
「でも条件がある」
「ほんとに出すのかよ……。な、何だ?」
ベルカ嬢は細い箒の上で立ち上がる。
そしてとんがり帽子を取って、深く礼をした。
「わたくしと契約して、騎士になって。そして【百姫夜行】に挑んでほしい」
「……騎士? 【百姫夜行】とは何だ?」
「ふふ。契約するまで教えない」
「怪しすぎるだろそれ!」
「じゃあ、えっちしないで、かいさん?」
ベルカ嬢は目を細め、くすりと嗤う。
「わたくしはもう、引っ込み付かないけど?」
……ああ。やっぱりこの子は魔女なんだ。俺みたいな愚かな男が逃げられるはずがないし、逃げたくない。
それにどうせ夢なら、がっつかなきゃ損ってもんじゃないか。
「よ、よし。その契約、結ぼう! 騎士とやらになってやる!」
だ、だからあの、抱かせてくれませんか、魔女様──?
そう俺が言うよりも先に、彼女は箒から跳んでいた。
「やった……! 契約成立! もう、一生離さない!」
流星雨が降り注ぐ夜空をバックに、ベルカ嬢が胸元目がけて降ってくる。
それは良かったんだけど、
「ちょっ……おわぁあ────っ!?」
上手く受け止めることができず、俺たちはもんどり打って倒れ込んだ。
かろうじてクッションになれた俺に、ベルカ嬢は馬乗りになると、
「──んっ!?」
俺の両手首を押さえつけ、なんといきなりキスをしてきた。
あ、あたたかくてぷにっとした感触……なんて浸る暇もなく。
次の瞬間には、にゅるりと彼女の舌が口内に割り込んできた!?
「んっ!? んんん〜〜〜〜!?」
「…………♪」
急展開すぎて頭が付いていかない。
ああ……でもこれで、ようやく、ねんがんの、童貞、卒業、が
───────────。
「……ぷはっ。……夜光さま? ……あれ、夜光さま?」
「──────────」
「……噓。オチてる……」
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