第2話 百姫夜行②
「…………ん? 今誰か、呼んだか?」
ぱたん、と本を閉じ、俺は自席で教室を見回す。
放課後の星蘭高校二年A組の教室には、俺と友人以外誰もいない。本に集中している間に、みんな下校してしまったらしい。
「……気のせいか?」
「呼んだぞ。天才くん」
そうからかってくるのは、我が校一のイケメン──来栖湊だ。
『自由闊達』の校風で有名なうちの学校は制服をいくら着崩してもよく、おしゃれ好きな湊は今日も「ほぼ私服だろそれ」って格好で着飾っている。
モデルみたいにカッコいいやつ。でもカッコよければ何を言ってもいいわけじゃない。
「その呼び方はやめろ。俺は天才なんかじゃない」
「ほーお。こんな成績、見えるように落としといてそれ言うか?」
湊が一枚の紙をひらひら振る。
「……あ。すまん。捨てといてくれ」
昨年末俺が受けた『全校一斉学力テスト』の結果用紙だ。
毎年学年末に行われる超進学校・星蘭高校の名物行事で、対象は全科目かつ全範囲。テスト順位は学年を考慮せずつけるという、いわば学力無差別級大会だ。
「──おいおい。全教科満点のテスト、捨てといてはねーだろ!?」
俺はその大会で優勝した。学力は校内一ということになるが……、
たかがそれだけのことである。
「ふんっ。そんなもんただの紙切れだ。欲しけりゃやるぞ」
「いらねーよ、ヤなヤツだなー。なーんでそんなイヤミに言うんだよ?」
俺はぶすっと唇を尖らせる。
「……だって、いくら勉強できたって、モテなきゃ虚しいだけじゃないか……」
湊が「へえっ?」と間抜けに驚く。
「え……夜光ちゃんって、女に興味あんの?」
「はあ……? 当たり前だろ。性欲滾る男子高校生だぞ、俺は」
「えー、マジ!? おいおいそーいうの話せんだ!?」
湊が途端に嬉しそうに笑う。
「意外だわ。てっきり『恋愛なんてくだらん』みてーなこと言うのかと」
「なわけないだろ。俺を何だと思ってるんだ?」
「女より数式、的なさあ。天才って素数で興奮すんだろ?」
「しない! ……こともないけど。1,234,567,891が素数なのって興奮しない?」
「しねーよ。やっぱ違えなあ天才は」と湊は笑う。
だから違うというのに。持ち上げられるのは据わりが悪くて、とても嫌いだ。
「なあ湊。俺はお前が思うような高尚な人間じゃないんだぞ。人生で一番悩んでいることだって、すごく凡俗だ」
「え? 何だよそれ、言ってみ?」
「……う。いや……その、だな。……実は、俺は……」
打ち明けるのは、正直恥ずかしい。
だけどこれを伝えるのが、俺という人間を理解するのに最も手っ取り早いだろう。
「──俺は童貞であることが、人生最大の悩みなんだ……!」
まるで時間が停まったみたいに、湊が固まって動かなくなる。
だけど数秒後、理解が追いついた湊は「ぶはっ」と吹き出しやがった。
「貴様ぁっ!? 男一匹が命を賭けて訴えているのに、笑うとは何事だ!?」
「わ、わりわり、バカにしてるわけじゃねーんだよ! マジで! 男の一大事だよな、そりゃ…………分かってんだけど」
湊はもう一度口元を押さえて吹き出した。
「お前みたいなすげーヤツが、そんなしょーもないことで悩むかあ?」
「しょーもないこととは何だ、しょーもないこととはっ!?」
ばーんと机を叩いて立ち上がる。
「そりゃあ湊からすればしょーもないことかもしれないさ! だけど俺からすれば
ミレニアム懸賞問題よりも遥かに難問なんだよ!」
「んな大袈裟な……」
「大袈裟じゃない。いいか? 確かに巷では『空木夜光は天才だ』なんて持て囃されているかもしれん。だがその後ろに『だが童貞だ』と付けてみろ! 途端に滑稽になるだろう!?」
「いーじゃんそれでさあ。このうえ女まで抱いてたら、夜光ちゃんすっげえ嫌なヤツよ?」
「知らん! 嫌なヤツでもいい! 俺は女を抱きたいの!」
ひとしきり叫びまくると、俺の心は勢いを失い、どんどんダウンに落ちていく。
「……はぁ。モテたぁい。彼女ほしい。セックスしたぁい……。でも俺じゃ無理なんだよぉ。どうせ童貞のままずーっと歳を取って、三十歳ぐらいになって、魔法使いどころか何者にもなれない虚無おじさんになって、そのまま孤独死してくんだぁ……!」
人生を悲観する俺の肩を、湊がぽんと叩く。
「オレがいるじゃん。愛してんぜ、夜光ちゃん♪」
「うるさぁい! 美少女に転生して出直してこい!」
くそっ、何て虚しいんだ。でもこれで分かって貰えただろう。
この俗物が俺──空木夜光という男なのだ。
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