第12話 高慢と傲慢

「エヴァンス」

 僕が弱々しく彼の名を呼んで返すと、エヴァンスは厳めしい顔をムッとさせてツカツカと歩み寄ってくる。


 ……なんか、怒っている?


 僕はエヴァンスの顔と歩き方でソレを察し、ゴクリと唾を飲んだ。


 エヴァンスはそんな僕を気にせずに、目の前に立って、僕をギロリと見下ろす。

「探したぞ」

 淡々と告げられた言葉に、僕は「エヴァンスが僕を探していた?」と、愕然としてしまった。


 僕はパチパチと目を瞬いてから、「ど、どうしたの?」と尋ねる。

 すると僕の言葉に覆い被さる様に「今し方聞いた」と、冷淡な声が降りかかってきた。

「お前、我々の班から抜けるそうだな」

「う、うん」

 高圧的な言葉に縮こまって答えると、「心底驚いたものだ」と彼は淡々と言葉を継いだ。

「大人達から、彼には特別な役割があるからと告げられた時には。私の聞き間違いかと思った位だ。確かに、貴様はある意味特別ではあるがな……まさか、良い意味での特別を貴様に宛がわれたとは思うまい」

 いつもよりも棘があって、いつもより攻撃的。

 ずけずけと頭上から降り注ぐ言葉に、僕は俯いてしまった。


 すると「おいおい、随分醜い僻みだな」と、彼よりも攻撃的な声がズバッと飛ぶ。


 その声にハッとする。


 僕とエヴァンス、どちらも同時にバッと彼女を見つめた。

 クラーフは大きく背を仰け反らせ、顎をくいっと上げて尊大な姿勢を取っている。

「そんなに気に食わねーのか、ハジャが特別な存在と成ったのが」

 お前、ホントに小せぇ男だな。アタシの嫌いなタイプだ。と、鼻で笑い、ケケッと相手を露骨に舐めている笑みを零す。


 エヴァンスは、滔々とぶつけられた言葉に面食らうが。すぐにカチャと眼鏡を押し上げて、彼女をギロリと強く睨めつけた。


「黒いレイティアを操縦したハジャの横に居た女か……何者だ、お前は? コードナンバーと所属部隊を言え」

「アタシと話をしてぇなら、目上を敬う礼儀と節度を持ってから出直してこいよ」

 冷徹な高圧と傲慢な高圧がぶつかり合い、バチバチッと苛烈な火花が迸る。


 さながら、激昂する龍と虎だ。その間に居る僕は小さくあわあわとしながら「お、落ち着いてよ」と仲裁に入る。

 けれど、そんな弱々しい仲裁で「そうだな」と鎮まってくれる龍と虎ではないのだ。


「何者かは知らんが、得体の知れない子供として大人に通報してやるぞ」

「おいおい、すぐ大人に助けを求めるのかよ? ほんとちっせぇ奴だな。そんな奴だから、ハジャと違って、不出来な子供のままで終わるんだぜ」

 ハハッと嘲笑混じりの尊大な言葉に、僕の肝っ玉がぎゅんっと縮まる。


 な、なんて事を言うんだクラーフは! ハジャと違って、なんてエヴァンスにとってはとんでもない一言だよ! 

 僕の方が上みたいな言い方をされるのは屈辱であり、侮辱そのものになるんだから!


「何だと?」

 案の定、エヴァンスの目と眉は更に吊り上がる。

「貴様は何も分かっちゃいない。ハジャが私よりも優れている訳がないだろう。ハジャは出来損ないだ!」

 彼は眦を決して言うと、「そうだろう?」と、僕の方にその激怒をゆらりと向けた。

「レイティアを操れない乏しすぎる想像力、鈍すぎる判断力。どれほど我々の足を引っ張ったか、どれほど我々におんぶと抱っこをされていたのか。忘れた訳ではあるまい」


 ……勿論、忘れるなんて事はない。僕は本当に不出来で、いつも班の皆に迷惑をかけていた。それは間違い様のない真実で、変える事が出来ない過去だ。


 容赦なく降り注ぐ罵倒に、僕はグッと唇を強く噛みしめる。


「貴様は出来損ないだ。だから先日の一件も、貴様の力ではないのだろう。大方、あの黒いレイティアが鍵だ。そうだろう? あれがレイティアであればどうだった。貴様は戦う事も出来なかったはずだ」


 言い返したいけど、何一つとして言い返せない。全部、その通りだ。

 本当に自分は無力だと感じた、そしてあんまりにも無力な自分が居る事を痛感している自分に悔しさがどろりどろりと渦巻いた。


 その悔しさからも何も出来ず、また渦が大きくなる。


 ガリッと、僕の口腔内で歯が荒々しく噛み合った音が小さく弾けた。


 その時だった。

 ジャラララッと氷が勢いよく流し込む音が聞こえ、バリバリバリッと猛々しく噛み砕かれる音が弾ける。


 ハッとしてそちらを見ると、クラーフが頬袋いっぱいに詰め込んだ氷をバリバリッと噛み砕きながら「てめぇの御託は聞き飽きたよ」と、堂々と言い放った。

「それに会話してやる義理もねぇわ。こと、レイティアに乗れる方が選ばれし者だと思ってる傲慢野郎とはな」

 クラーフはぶっきらぼうに唾棄すると、「ただし!」とタンッと荒々しく空になったコップを置いた。


 その猛々しい所作に、僕はビクッと身体を震わせ、エヴァンスはキュッと眉根を寄せて睨めつける。


「一つ、断言してやろう。お前はいずれぞ」

 あまりにも衝撃的な宣告に、エヴァンスばかりか僕も目を丸くしてしまった。


 クラーフは戦闘成績で、僕がエヴァンスに勝つって言いたいのだろうか?

 でも、そんなの「あり得ない」と言って良い領域にある。

 僕は、エヴァンスに勝った事がないからだ。勉強も、戦闘も、そして容姿も……どこを取っても、いつも惨敗している。


 そんな僕がエヴァンスに勝つ……? 夢のまた夢の話過ぎるよ、クラーフ。


 僕がそう思うのと同時に、エヴァンスもそう思ったのだろう。

 エヴァンスは嫌悪で顔を歪め、言外に「そんな馬鹿な事があるか」とビシビシと放った。


 けれど、クラーフは「ハジャが勝つ」と言う尊大な態度を貫いて、彼と対峙している。


「……話にならん」

 エヴァンスは眼鏡を押し上げて冷淡に吐き捨てると、僕をギロリと睨めつけてからくるっと踵を返して、颯爽と僕達から離れて行った。


「けっ! しょうもねぇクソガキだぜ!」

 クラーフは鋭く舌を打ち、去って行く背中に向かってピッと中指を突き立てる。


 僕は慌てて「クラーフ!」と聳え立った中指を織り込んだ。

「てゆーか、言われっぱなしでいるなよなぁ! ちょっとは言い返せってんだ!」

 自分の方が強い存在なんだからよぉ! と、クラーフは指を織り込んできた僕にガブリと猛々しく噛みつく。

 僕は「そんな事ないよ」と弱々しい笑みを浮かべて、彼女の手から指を退かせた。

「エヴァンスが言う事は、何も間違っていなかった。だから何も言い返せなかったんだよ」

「……お前なぁ」

 クラーフは苦々しい顔で特大のため息を吐き出し、「自己肯定感が低すぎるのも考えもんだな」と、ぶすっとした顔で頬杖を突く。


 けれど、「まぁ、仕方ねぇか」と一人で諦め、一人で「は~、もういいや」と勝手に切り上げた。


 僕はいつも通りのクラーフに半分安堵する。もう半分は「本当にマイペースだな」と、彼女の豪気な性格を痛感して、じわじわと引いている。


「これから、ハジャ自身もよぅく分かっていく事だろうからさ」

 投げやりに飛ばされた言葉に、僕は「?」と首を傾げてしまいそうになった……が。グッと首の骨を固定して、「そうだと良いけどなぁ」と曖昧な笑みで相槌を打ったのだった。


 それからはクラーフが「じゃ、もうちょっと回ってから帰るか!」とひょいと腰を上げたので、エヴァンスによって植え付けられた悲しみと悔しさに打ちひしぐ事はなかった。


 財布に残るお金も何とか死守して、僕らはセクタ・トウトを上がり、デューアの基地へと戻って行ったのだった。

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