問題解決能力としての大学日本拳法 V.1.1
@MasatoHiraguri
第1話 大学日本拳法(体育会)の意義
体力がある、声が大きい、というだけでは体育会出身とはいえない。
体力があるといって、「朝、会社へ出勤する前に5キロマラソンしてきた」と言って自分の体力を誇示したり、部下の警察官に「ぶっ殺すぞ」と、大きな声で恫喝することによって体育会(らしい?野性味)を見せつけるなんて、いかにも幼稚な韓国脳的感性であり、日本人として「体育会出身」の意味をはき違えている。
「在来種純粋日本人としての体育会の証明」とは、「哲学由来の問題解決能力」にある、と私は思っています。心と体で汗をかくことで哲学する。そんじょそこらの青白い哲学者や、座禅だけで悟ろうなんていうクソ坊主の思惟とか瞑想とは違うのです。特に日本拳法に於いては、寸止めではない真剣勝負の世界で死に物狂いになることで、一般の人間や普通の生活では見えないものを見ることができる。そして、そんな「殺し合いの日々」から帰納した(形而上的なる)ものを、現実の生活に演繹していく。
『茶道講話』武者小路千家流家元 官休庵 千宗守先生述 日本料理研究會版という小冊子では、家元が茶道で実現されているこの考え方を紹介されています。
色・金・物欲といった形而下(器)しか見ない韓国脳と異なり、心・精神・スピリット(魂)という形而上的世界(道)から器と交渉することのできる力(能力)こそ、真の大学体育会(日本拳法)の意義である、と(いうのが私の個人的な考え)。
「哲学」といい、ちょっと昔は日本でも西洋でも、文化系でも理工系でも、或いは、たとえガテン系であっても、哲学は当たり前だったのです。
明治の物理学者寺田寅彦という人は、同時に立派な哲学者でした(寺田寅彦全集・岩波文庫)。
私の大学日本拳法時代のあるOBは、大学前までケンカばかりしていた凶暴な人間でしたが、私の知るOBの中では、唯一、哲学的な言辞を残した人です。在日韓国人100万人の中でも一人くらいはこういう人もいる、のか。それとも、たった一人しかいない、と見るべきなのか。
元プロボクサーのガッツ石松氏など、生計を立てるため(家族のため)、テレビ・タレントなんていう軽薄な商売を(しかたなく)やられていますが、彼の言葉には哲学的な精神が溢れている。「私はボクシングをやってから人生が360度変わりました。」なんて、人を笑わせながらも、その裏に彼の深遠な哲学的思惟を感じさせてくれるではありませんか。
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火炎式縄文土器をはじめとする縄文時代の各種遺物(土器・女性のアクセサリ-・小物)の素晴らしさとは、その深い精神性由来の芸術性(模様や形)にある。
5千5百年前の「縄文ポシェット」なんていう、女性が肩からかける小型のバッグ( → 採集した木の実を入れる)は、そのかたちや模様といい、何万年もの、長い縄文人の(精神的)歴史が具現化した一品(逸品)といえるでしょう。
一方、弥生時代の土器や人形とは、まるで時代が逆戻りした錯覚に陥るほど、幼稚な作りであり、芸術的価値は縄文時代のそれに比べると格段に落ちる。埴輪(祭祀用弥生土器)なんて、様々な仕草や表情のある縄文人の土偶に比べると、いかにも幼稚という感じがしまう。朝鮮半島からやってきた渡来人・外来種偽日本人の精神文化というものが、如何に稚拙(子供じみて、へたなこと)でいたかということがわかります。
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<糞と味噌を一緒にすべきではない。形而下と形而上の区別・認識>
差別は良くないが、区別は大いにすべきです。
人の顔かたちを論う(物事の理非をあれこれと言いたてる。可否を言いたてる。とやかく論ずる)べきではありませんが、その精神性はしっかりと識別しておかねばならない、と私は思っています。
どんなに見た目が悪い人間でも正直者はいるし、見た目が聖人君子でもコソ泥のような人間は沢山いる。
日本の韓脳政治屋や警察屋など、「政治家」「議員」「警察手帳を持った権力者」なんていう器(看板)だけ立派で、裏金作りをはじめとする数々のモノカネ・利権獲得行為によって、国民から詐欺師・偽善者・泥棒呼ばわりされている現状を見れば、如何に器よりも道(形而上・精神性)が大切か、ということがわかります。
精神が病んでいるというか、そういう人間性だからああいう行いを平気で何度でもする。病気なら一時的ですが、人種として不正が身についているかのようです。不正も何度もやれば押し通せるという、両班・ヤンパンという貴族的感性といえるでしょう。もはや(世論がなんと言おうと)裏金作りが(自分たちにとっては)正常なことであるという自覚・精神で生きているから、永久に彼らの不正はなくならない。器だけでなく道そのものがそういう生き方なのでしょう。
「日本(人)の敵は中国(人)やクルド人」ではなく、韓脳政治屋や韓脳マスコミ、韓脳医療業界や警察、そしてその裏で彼らを操る海外の銀行家なのですから根は深い。
彼らを反省させるなんてことは、太陽を西から昇らせるが如く、全く以て不可能なこと。選挙や弾劾、革命でさえ変えられない。ヘラクレスがいくらいくら切り落としてもまた生えてくるヒュドラの首のように。
で、私の場合、いつもの(老い先短い)私独自のパターンですが、自分自身の形而上的生き方で対応していく。といって、お経を読んだり、ご詠歌を詠う(宗教にすがる)のではなく、体育会らしく、大きな声とストレートな行動で余生を送るという、私の大学日本拳法そのものの、単純・簡単な問題解決法なのです。
これから人生が始まるという若い方々は、警察官としてバリバリやりがいのある人生を送るなら、台湾へ行って警察官になるとか、「北帰行」原曲のように、「この身入るるに狭き日本」を出て大陸(ロシア・中国・南米諸国)へわたり、馬賊かラスト・バタリオンにでもなるか、と夢が広がるでしょうが。
(続く)
2024年10月31日
V.1.1
平栗雅人
問題解決能力としての大学日本拳法 V.1.1 @MasatoHiraguri
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