第三話 後輩の気持ち

 部屋に戻ったサキは乱暴にドアを閉めてから、私をソファに押し込むように座らせた。


「ちょっと、サキ、強引すぎるって」


 勢いで背もたれにぶつかって戻って前かがみになったのもあって、さすがにサキの顔を見ながら文句を言うと、隣に座りながらむっと私をにらんで、一瞬見つめあってからしゅんとうつむいた。


「……ごめんなさい。その、ちょっと、冷静じゃなかったです。痛かったですか?」

「それほどではないけど、まあ、私こそ、さっき逃げたのはごめん。ちょっといきなりで、混乱してて」


 いったん落ち着いてほしくて声をかけたけど、素直に落ち込まれると申し訳なくなる。逃げて放置してたんだ。そのくせのんびり姉崎、じゃなくてこずちゃんとお話ししてたのを見たら、そりゃあイラっともするだろう。


 膝をぶつけ合うようにやや斜めに座って気持ち向かい合う姿勢で真面目に謝ると、サキも同じように斜めに座りなおして私と膝をぶつけたままそっと私を見つめた。


「いえ……私のこと、嫌いになって戻ってこなかったんじゃないですよね?」

「まさか。そんなことない。サキのことは好きだよ。ただ、その……キスとか、考えたことなくて。サキは……サキは、私と、恋人になりたいの?」


 私のこと好きなの? と聞くのはなんだかものすごく自意識過剰っぽいセリフだし、それに好きって言葉だけじゃわからないと思ったのでそう聞いた。

 聞いてから、やっぱりこの聞き方も十分恥ずかしくなってしまう。だけど私以上に聞かれたサキの方が真っ赤になってあわあわと目を泳がせだしたので、それを見守るくらいの余裕はあった。


「……わ、わかりません」

「そうなんだ?」


 サキの答えに、ちょっとほっとする。聞いておいてなんだけど、恋人になりたいと言われた時の返事は決まってなかった。だけどそれはそれで疑問は残る。


「じゃあさっきのは、単にキスがしてみたかったっていうだけなの?」

「そ……言っておきますけど、誰でもいいわけじゃないですからね?」

「そんなのは疑ってないけど、どうしてキスを? 少女漫画好きだし、前から憧れてたとか?」

「……それが、ないとはいいませんけど。その……先輩、来年には卒業しちゃうじゃないですか?」

「まあ、そうだね」


 私は来年の三月には卒業する。当たり前だ。だからこれは話を始めるための前振りだと思って軽く頷いて続きを促した。だけどサキは私の態度にむっとしたように眉をよせ、ソファの隙間に手をついて身を乗り出す。


「だからですよ」

「え? と……」


 距離をつめられ、大きくその目をまっすぐに見せられると、どうにも平常心ではいられない。私はソファにもたれるように避けてなんとか答えようと頭を切り替える。

 だから? 私が卒業するから、キス? 思い出にってこと?


「中学生になったら、部活とか、勉強も今よりいっぱいやることが増えて、今みたいに私と遊べなくなるでしょう?」

「それは、そうかもしれないけど」


 中学生活がどういうものか具体的には知らないけど、学校が終わるのも小学校よりは遅いだろうし、みんな部活をしないといけないと聞く。そうなればまあ、今みたいに学校終わりにそのまま遊んだりするのは難しいだろう。

 でも、それはしかたないことだ。


「そうなったら、先輩はよりもっと仲のいい友達をつくって、なんならもしかして私のことなんて、忘れちゃうかもしれないじゃないですか」

「わ、忘れるはいいすぎでしょ」


 どきっとしながら反論する。でもだって、どうしても今よりは疎遠にはなっちゃうよね? 忘れることはないけど、週に一回遊ぶのでも結構頑張らないと難しくない? 今だって週末二日とも友達と会わないとか普通にあるし。


「……友達のことは否定しないんですね」

「いや、まあ、一緒にいると仲良くなるところあるし」

「それが、嫌なんです。私は先輩が一番大好きだし、先輩にとっても私が一番であってほしいんです。中学生になっても、私が一番特別であってほしいんです」


 どこか泣きそうに顔をゆがめながらそう言われて、そこまで言われてようやく私も理解した。恋人とか、友達とか、そう言うのじゃなくて、とにかく特別な関係でいたいから提案したんだ。


「……」


 とはいえ、じゃあ、どうすればいいんだろう。そんなことしなくてもいつまでもサキが一番特別だよ、とは言えない。心にもないことは言えない。

 だって、そもそも一番特別ってなんだろう。サキが今、一番仲のいい友達なのかな? 誰が一番なんて考えたことがない。

 確かに今一番頻繁に遊ぶ相手だし、唯一の後輩だから同級生の友達より可愛がると言うか、優しくしているところはあると思う。だからまあ、一番と言えば一番、なのかな?


「……何にも言ってくれないんですね」

「その、気持ちは嬉しいよ。そんなに私のこと好きだったなんて。ありがと」


 黙ってしまった私にサキが悲しそうに言うので慌ててフォローをしてから、そうだな、その通りだと自分の言葉がしみこんでくる。

 そんな風に思われてるなんて考えもしなかったし、困惑してしまったけど、でも冷静に考えたらそうだ。お互いに好きだとは認識していても、そうはっきりと私が一番特別と言われたらまあ、嬉しい。照れるけど。


 照れくさくて頭をかくと、サキは私のまんざらでもない反応にジト目を向けてきた。


「そうです。先輩は全然、そう思ってくれてなかったみたいですけど」

「ぜ、全然ってことは、ないけど……。私にとっても、サキは今一番近い友達で、唯一の後輩で、うん、一番可愛がってる相手だよ?」


 恥ずかしくなって顔が熱くなりながらもそう言ったのに、サキは疑うような顔のままさらに聞いてくる。


「一番好きですか?」

「うーん、まあ、そうかな」

「なんであいまいなんですか。そこはうんって言ってくれてもよくないですか?」

「だ、だって、誰が一番とか考えたことないし」


 別にサキが駄目とか、二番目とか、他の人がいいとか、そう言うことではない。比較して考えたことがない。他に友達がいないわけではないけど、高学年になってから放課後倶楽部や習い事で放課後忙しかったりして放課後会うことが少なくな

ったし、いまのところサキが一番距離が近いのは間違いない。

 でもだからサキが一番って断言してしまうと、他の友達は二番なんだってなる。幼稚園から一緒でめちゃくちゃ一緒に遊んだし、お互いの親の顔だって知っている。仲のいい友達だと言う気持ちは以前から何もかわっていない。

 私にとっては他の友達もサキも、仲のいい友達と言う感覚だ。


「……ひどいです」

「いや……だって、友達に順位とか、つける必要ないと言うか」

「それが納得できないなら、一番はいいです。でも、特別にじゃなきゃ嫌です」

「他の友達と比べたら、サキのことは特別扱いしてるよ。それは本当」


 可愛い後輩なので、サキにはお菓子を奢ったりとか他の友達よりだいぶ親切にしている自覚がある。それは年下相手の義務だからじゃなく、サキにだからそうしてあげたいし喜ばせてあげたいからだ。

 一番特別と言われたらわからないけど、うん、こう考えるとサキは私にとって特別な女の子なのかもしれない。


「……じゃあ、キス、してくれますか? 特別扱いしてくれているなら、もっと、はっきり、忘れられないくらいの特別なことをしてほしいです」

「キスは……やっぱり、恋人とするべきことだし」


 サキのことは好きで、特別だったと自覚もした。元々、別にキスするのが嫌っていうわけでもない。

 だけど、それでも、じゃあしよっかと言えるほど軽いものじゃない。いや、わかんないけど。でもお互い、恋心があるってわけじゃないに。


「だったら、だったら私、先輩と恋人になってもいいです。そうならないと、先輩の特別でいられないなら」

「そ……」


 そんなのは、おかしい。そう言おうとしたのに、問答無用に顔が近づいてきて、鼻先が触れ合って言葉がでなくなる。


 サキの瞳から、熱を感じる。体があぶられるようで、私まで体が熱くなってきてしまう。もう逃げられない。サキと、キスをするんだ。そう思うとドキドキして、心臓がうるさくなる。


「……先輩、好きですよ。ずっと、特別にしてください」


 サキはやや震える声でそう言って、ふっと目を閉じた。目の前で火が消えたような、アルコールランプに蓋をしたときのような不思議な感覚に、私はつられるように目を閉じた。


「んっ……」


 鼻先がこすりあわされ、そのままずれて頬に当たるようにして顔全体がぶつかるようにして、唇同士が触れた。

 やわらかい。気持ち悪いような、気持ちいいような、なんだかふわふわぞくぞくする不思議な気持ちだ。どうすればいいのかわからない。


「……先輩、私のこと、忘れちゃいやですからね」


 固まるようにしてキスを受けた。唇が離れて目を開けると、いまだすぐ傍にいるのにさっきの近すぎる距離との差にすごく離れたようにすら感じられる。

 サキは真っ赤な顔で、瞳をうるませながらそう言って微笑んだ。その表情がなんとも言えない大人っぽいもので、なんだか私の知ってるサキじゃない気がして、ドキドキはおさまらない。


「だから、忘れないって……」

「一瞬でも、ですよ」


 そんなの、勉強も頭にはいらないじゃん。なんていう反論は、サキの唇でふさがれた。

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