第6話 セナの憂鬱とハイムの進路

夜の学習塾。


学校は来月の体育祭の準備が始まった。受験生の支倉ハイムは今月下旬の模試を頑張らなければならない。9月、10月、11月の模試は志望校を最終決定する為に非常に重要なものだ。特にハイムのような高偏差値の受験生にとっては全く気が抜けない。また10月と11月は中間テスト、期末テストもあって内申点に大きく影響する。中学三年生の二学期とは、学校行事よりもむしと頑張って勉強をしなければならない。




ハイムは、北条セナと同じ指導ブースで数学の講座を受講していた。ハイムの通う学習塾は2対1の個別指導塾で、生徒2名に担当講師1人が授業をする。この日の単元は円周角だった。成績の良い生徒は「分からない角度をxとおきます」と習う。小さなホワイトボードを使って熱心に解き方を教える担当講師は、質問をしながら授業をする。




「支倉さん。どこをxと置きますか?」




「はい。求めたい角度をxと置きます」




「北条さん。xを使って表せる角度はありますか?」




「はい。中心角が2xです」




担当の講師は丁寧に補助線を引いて、中心角を二つに分けた。ハイムは、




「わかりました!」




と嬉しそうに声を上げた。解き方を閃いたのだ。まだセナは少し首を捻って悩んでいた。




「じゃあ支倉さん。ヒントをお願いします」




ハイムは図を指差しながら、




「補助線の右半分がここの中心角になっています」




と答えた。




「そうですね!」




講師がしばらく解説をした後は、二人とも私語をせず問題演習と答え合わせを繰り返した。時計が進む。教室の蛍光灯の灯りが勉強熱心な二人の頭上で煌々と輝いている。よくある個別指導塾の風景だ。途中の5分休憩でセナはペットボトルのお茶を鞄から取り出すと、




「ハイムは数学得意だよね~!」




と言った。




ハイムは、




「パズルみたいだよね!」




と言って励ました。




セナは長空北高校を受験する生徒の中では、少しだけ成績が低い。中学三年生に上がってから何度も模試を受けたが、合格圏を割る事もしばしばあった。学校で学年一位のハイムは安全圏だ。少し学力に差がある。




5分休憩が終わると、また黙々と数学の講座を受講した。今月下旬の模試は北条家の車で会場まで送迎して貰える。




この日は数学の講座が終わると帰宅した。塾の駐輪場は電灯の灯りで明るく、二人は自転車に跨ると「今日もお疲れ様」の笑顔が零れた。同じ部活の仲間でグループがあった人間関係も勉強を軸に再構成されていく。二人はお互いが懸命に努力する姿を支え合う事ができる。そんな折、思った事をはっきり言えるのがセナだった。




セナは、笑ったまま、




「…私はハイムの足を引っ張っちゃってないかな?…塾の無い日は学校の図書室で一緒に勉強しているけれど」




と言った。




ハイムは、少し驚いて、




「どうしたの?大丈夫だよ…成績がどうとか言い合わずに同じ学校に行きたいって気持ちで私達は仲良しになれたのに…」




と言った。




そして微笑んだ。




セナは、




「社会が同じくらいの偏差値だから、学校で勉強するときは社会にしようよ…」




と言った。




ハイムは、




「…セナがそう言うなら良いよ!」




と言った。




ハイムの存在は、セナには少しプレッシャーかもしれなかった。それでもハイムは屈託なく笑ってセナを励ますのだった。同じ中学から、同じ高校に行きたいとは、強い絆だと考えての事だった。必ずしもそう思わない者もいる中で、ハイムとセナは、そう思うのだった。




セナは、


「よ~し!帰ってご飯食べるぞ~!」


と言った。




そして自転車で帰宅した。夜の闇の中を、二人で走っていき、途中で別れて。




支倉家は、ハイムの遅い夕飯を食卓に残して帰りを待っていた。ハイムは、




「お母さん。日曜日の模試は北条さんのお家が送り迎えしてくれるって言ってるよ」




と言った。母親は、セナの母親から直接電話で聞いた事を伝えると「きちんと御礼を言うように」と言って、温めたオカズを食卓に運んだ。ただ母親の用件は他にもあったのだった。ハイムが夕飯を目の前に手を合わせて、これから食べようとすると、母親は、




「志望校なんだけど、お父さんとお母さんで話し合って、長空北高校より上のレベルにしようって思うの」




と言い出した。




ハイムは「頂きます」の言葉が喉の奥につかえてしまった。長空北高校を受験する事がきっかけとなって、セナと仲良くなったし、前田よしととも話しをするようになったのに。




「もっと上位の都立でないと、旧帝大に合格できそうにないの…」




「お母さん。大学受験は高校生になってからだよ」




「長空北高校は学年3位が筑波大なの。長空北高校でも学年1位になれるの?」




「…うん!なる!なるから!セナと友達でいたい…」




母親は、




「あぁ…そう…」




と言うと、ハイムの人生設計についてクドクドと話し始めた。




ハイムは食べ終わると、自室に籠って塾の復習をした。お気に入りの女性アーティスト・hycoの新曲を片耳イヤホンで聴きながら、ノートをまとめた。




「そういえば今朝、前田君とhycoの新曲の話で盛り上がったんだった。せっかく前田君の馴れ馴れしい所に慣れて来たのに志望校が変わっちゃうんじゃ無駄骨だなぁ…」




そう思って、なんとなく前回の模試の結果を眺めた。5教科で偏差値72。長空北高校の合格圏は67だ。




「前田君は偏差値70くらいだったかな。『高校で絶対にバレーボールを続けたい』って言ってたな…。前田君は長空北高校に行く目的があるんだよね…。私は…」




ハイムは、長空市内で家から近く、少しゆっくり受験勉強をしていても合格出来そうだという理由で、長空北高校を志望校にしていた。ハイムは「ふ~ん」と鼻で息をして、今度前田君から話しかけて来たら何で長空北高校の男子バレーボール部に入りたいのか尋ねてみようと思った。

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