第5話 熊谷君が苦手

翌朝の学校。


支倉ハイムはいつも通り登校すると、北条セナに、


「今日は塾の日だね!」


と言った。




セナは、


「そうだね~!塾の先生も忙しくなって来たよね!ウチらの面倒で!」


と言って笑った。




それからずっと二人で話していた。




やがて担任の先生が教室に入って来て、朝のホームルームが始まる5分前になった。


ハイムは自分の席に戻ると、穂谷野に話しかけた。




「穂谷野君は音楽は聴くの?」




昨晩ハイムは家で勉強の合間に好きな女性アーティストの新曲をダウンロードして聴いた。穂谷野は自分の席で受験参考書などをパラパラめくっていた。これから教室が受験勉強の色に染まっていくのだろう。




「…!…うん!き…聴く…!」




穂谷野は好きな女の子から話しかけられて、しどろもどろになってしまった。以前から容姿が可愛くて気に入っていたが、ここ数日よく話しかけて来るハイムに徐々に心が奪われていて。




「…そっか」




ハイムは前田よしとにも音楽の話題で話しかけようと思っていた。よしとに話しかける事自体は、昨日思いもよらぬタイミングで出来たが。穂谷野が、リアクションを間違えた事を悔やんでいると、ハイムは、よしとの方に歩いて行って全く同じ質問をした。




「前田君は音楽は聴くの?」




「聴くよ」




「誰?…どんなの聴くの?」




「hycoを聴く」




「あ…!…同じだ!」




よしとは、笑って、




「そうなんだ!いいよね!新曲が出たよね!」




と言った。そのまま二人で話していると朝のホームルームになって、ハイムは自分の席に着席した。「なんだ前田君はイイ人じゃないか」とハイムは思った。穂谷野は何かが悔しかった。




担任の先生は来月の体育祭に向けて、そろそろ準備をする時期だと説明した。リレーの選手を選抜しないといけなかった。




担任の先生は、男子バスケットボール部の熊谷という男子に、




「熊谷が中心になって選抜しておいてくれ」




と言った。




熊谷は、




「は~い!」




と悪ふざけのような顔で言った。熊谷は背が高く、バスケ部のキャプテンだった。成績は中の上か、上の下か、穂谷野より良かった。




「…よしとが弾丸のように走ってくれまぁす!」




熊谷がそう言うと、教室中がドッと笑った。よしとは、




「いや…熊さんのほうが速いから…ね」




と苦笑いだった。




「あんの…俺が走るからには優勝したいんで…穂谷野とかも全力でダイエットして貰いたいから…」




すると熊谷の周辺の席の女子がゲラゲラと笑った。穂谷野は決して脚が遅くなく、むしろ速い方だったが、見た目があまり体育の出来る者の風体では無いので「出来ない人」と思っている女子は多かった。




熊谷が話終わると、周辺の席の女子達が、




「え?…ていうか熊谷がリーダーやんの?」




「熊谷がずっと走ってればいいじゃんね!」




と煽った。




熊谷はイケメンだった。端正な顔立ちで女子に人気だった。ただ穂谷野をリレーの選手に選ぶのは嫌だった。あの漫画の柔道部のような如何にもな体形で俊足である事が予てから気に入らなかった。バスケ選手として、アスリートの端くれとして、食べたい物を食べる奴は許せなかった。こう見えて日々プロテインの量と格闘する熊谷なりに他人には好き嫌いがあった。




ハイムは熊谷を遠目にジッと見てから、クルッと振り返って、小声で穂谷野に、




「嫌だね…」




と言った。




穂谷野は「カッコ悪いな」と思った。




その日の昼休みに、ハイムはよしとに話しかけた。




「穂谷野君って男子にどう思われているの?いじめに遭っているの?」




「穂谷野はイイヤツだからからかわれているけれど、50m走は6秒9の俊足だ、見た目のイメージがあるから知らない人もいるけどね…」




「ん~?前田君はなんで知っているの?」




よしとは、


「5月のスポーツテストの結果を念入りにチェックした」


と答えた。やはり成績優秀者らしく数字や調査には強かった。




「じゃあ!前田君が熊谷君に頼んでリレーの選手にしてよ!」




よしとは、




「そうだな!勝ちたいもんな!」




と言って、早速女子と戯れる熊谷の元に行った。そして数字通りに穂谷野を選手にするように言った。




「熊さん!穂谷野がああ見えて足速いから!」




熊谷は、やはり何かが気に入らなかったのか、席を立ちあがると、




「穂谷野と柔道して決める!俺も大外刈りを試す!」




といきり立って叫んだ。




「よしとはアレな…日本国憲法の世界だからな…」




熊谷はまた悪ふざけの口調でそう言うと、よしとの横をすり抜けて廊下に出て行った。




ハイムはヘラヘラした熊谷の顔をギョロッとした眼で見ながら、一歩二歩後ずさって、廊下に出て行くのを見送った。




熊谷は廊下に穂谷野がいないか探した。




そしてすぐ戻って来て、




「穂谷野いねぇから選手でいいや…肝心な時にいない時点で『持っている』」




と言った。よく意味のわからない日本語だったが熊谷なりに正々堂々と選手を選びたいと思ってはいるようだった。




「よしとは穂谷野が好きなアイドルも調査しておいてください!」




熊谷は本当に穂谷野をリレーの選手に選んだ。5人いる選手のうち残り2名も正しく数字で選んだ。




ハイムはその日の放課後、穂谷野に、




「穂谷野君!アイドル好きだったんだね!あとリレーの選手だよ!頑張ってね!」




と言った。




穂谷野は突然の出来事に、




「あ…うん…!うん!頑張るよ!」




と精一杯の気持ちで答えた。




よしとは、穂谷野と戯れるようなハイムを見て、可愛いなと思った。




ハイムはその日の夕方に個別指導塾に行って、授業を受けた。




「体育祭の前に模擬試験があるから頑張らないとね」




とセナに言った。模試はこの週末だった、セナの親が会場まで車で送ると言っているようだった。支倉家は御厚意に甘えて送迎して貰う事にした。

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